Jリーグの多くの課題や問題について語るセルジオ越後氏

元号は令和に変わったけど、前回に続き「平成の日本サッカー」を振り返りたい。

平成が始まった当初、日本のサッカーはプロ化なんて想像もできないほどマイナーだった。それを劇的に変えたのが1993年のJリーグ誕生。前回も言ったように、爆発的なブームを巻き起こし、スポーツ界にまさしく革命を起こした。

その後、日本代表も98年のフランス大会でW杯初出場を果たすと、2002年にはW杯開催国となった。Jリーグ誕生から10年ほどの日本サッカーは大きなうねりを起こしながら、右肩上がりの成長を続けた。見事だったよね。

でも、当然ながら、そんな勢いを継続するのは簡単なことじゃない。平成も後半に入ると、停滞する日本経済の影響を受けるなどして、Jリーグにも多くの課題や問題が出てきた。

なかでも僕が気になっているのが各チームのキャスティングの問題。今、神戸にイニエスタやビジャ、鳥栖にフェルナンド・トーレスがいて話題になっているけど、以前はそのレベルの外国人選手が各チームにいたんだ。元代表どころか現役バリバリの代表選手もたくさんいた。

また、当初は10チームしかなかったから、日本人選手の競争も激しく、それもリーグ全体の魅力をアップさせていた。今では考えられないけど、以前はブラジルでもJリーグの試合中継の人気は高かったんだ。

ところが、来日する外国人選手は次第に小粒になった。チーム数も18まで増え、以前ならとてもJ1ではプレーできないレベルの日本人選手が増えた。これでは魅力が薄れるし、ステイタスも下がる。少し活躍した若手が、すぐに海外に出ていきたがるのも理解できる部分がある。

これに関しては、わかりやすいエピソードがある。Jリーグができる以前、サッカー少年に「将来の夢は?」と聞くと、「海外でプロ選手になる」という答えがほとんどだった。それがJリーグ誕生後は「Jリーガー」になったのに、今はまた「海外でプレー」に戻ってしまった。

確かにJ1に加え、J2(22チーム)、J3(15チーム)と裾野は広がった。でも、果たして今の子供たちにとって、Jリーグは憧れの存在になれているのだろうか。

代表チーム、日本サッカー全体のレベルアップに自国のリーグの充実は欠かせない。個人的には、J1のチーム数は14くらいが適正だと思うし、神戸や鳥栖以外にも大物外国人の獲得に動くチームがもっと増えてほしい。

そして、もうひとつ気になるのは、Jリーグの日本代表への協力姿勢だ。リーグ戦と代表活動がかぶった場合、最近は1チームにつき招集できるのは1名までといった縛りを作ったりしている。Jリーグはそもそも日本代表を強くするために立ち上げたもの。日本代表の強化は何より優先すべき大事なものなんだ。それにもかかわらず、今は本末転倒な状況だ。

あるチームの社長にそう伝えたら、「セルジオさんの言うことはよくわかる。でも、私(のキャリア)はここで最後だし、ビジネスが一番大事」と言われた。正直な答えだね。でも、ガッカリしたよ。目先の小さな利益と引き換えに、大切な何かを失っているのではないか。Jリーグの村井チェアマン、日本サッカー協会の田嶋会長はこの状況をどう思っているのだろう。令和を迎えた今、もう一度、Jリーグの存在意義を考える必要があるんじゃないかな。

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