5月18日、真の世界一を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)の準決勝に臨む井上尚弥

各団体の王者らが集い、"真の世界一"を決めるWBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)。昨年10月のトーナメント1回戦、井上尚弥は「70秒KO」で世界に衝撃を与えた。そして5月18日、英国グラスゴーで準決勝が行なわれる。決戦の約1ヵ月前、本誌は独占インタビューを敢行した!

***

■伝えきれなかった井上尚弥の凄み

約1時間のインタビュー中、井上は思いがけないところで何度も笑った。まずは、なぜ試合開始30秒ほどで対戦相手の動きやパンチを見切れるのかと尋ねたとき。

「なぜって言われてもわからないですけどね。感覚なので。でも、だいたい見切れますよ」

少し困ったような照れ笑い。王者の笑顔だ。

次は明らかに質が異なる笑い。これまでの17戦(全勝15KO)はすべて一方的な展開。たまにはもう少し長いラウンドで攻防があるボクシングを見てみたい、と筆者の素直な思いを伝えたとき。

「次は見られますよ、確実に。楽しい試合になると思います」

5月18日、英国グラスゴーで行なわれるWBSS準決勝、IBF王者のエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)戦のことだ。攻防ということはピンチの場面もあるかもしれない。そんなシーンを想像したら、普通は険しい顔になる。でも、なぜかうれしそうなのだ。

「自分でももっと見たいですもん、その先を。ロドリゲスはすべてにおいてレベルが高い。技術戦が楽しみ。自分でも予想できないんですよ、試合展開が。だから楽しいんです」

いまだ強さの底が見えない。自分がどれくらい強いのか、本当に知りたいのだろう。

自分が"モンスター"と呼ばれる所以(ゆえん)はなんなのか、教えてほしいと頼んだときも、「えっ......」と噴き出した。

「いや、別にただのニックネームとしか思っていないですよ。受け入れつつあるというか、受け入れなきゃ仕方がない。もう、自分が慣れていくしかないですよね」

そう言って爽やかに笑った。

* * *

興奮と悔恨が入り交じった夜だった。昨年10月7日、横浜アリーナ。井上は元WBAスーパー王者のフアンカルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)を左、右の2発、わずか70秒でキャンバスに沈めた。記者席で圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにし、体が熱くなる。会場全体を「歴史的な瞬間を見た」という高揚感が包んだ。

取材を終え、パソコンに向かったが、いかに井上が凄いのかを表現できない。普通の70秒KOではない。これは世界王者ら選ばれし8人による世界最強決定トーナメント、WBSSの1回戦で起こった衝撃のKO劇なのだ。

筆者は学生時代、"聖地"後楽園ホールでアルバイトに励み、ボクシングを30年近く見続けている。人より少しは多くの試合を見てきた自負はある。だが、あの凄み、井上がいかに稀有(けう)なボクサーであるかを伝えきれなかった。最高の試合だった。しかし、もどかしく、不甲斐ない夜でもあった。そんな思いを抱いて会場を後にしたと井上に吐露した。

「それは逆にうれしいですよ。どう伝えていいかわからないくらいの凄さにとらえてもらえたということなので」

してやったり、の表情で自然と頬が緩んだ。

ボクシングは誰が一番強いのかわかりづらい。WBA、WBC、IBF、WBOと4団体あり、正規王者のほか、スーパー王者や暫定王者といった世界王者が乱立している。その複雑さを解消するのがWBSSだ。

「わかりやすいトーナメントというのが一番ですね。パヤノ戦を見てくれた人はWBSSのことをわかった上で見ている。ということは、パヤノがどれだけ強いか把握している。それが伝わっているという感覚がありましたね」

■「実はギリギリのラインで闘っていた」

井上尚弥。26歳。世界3階級制覇チャンピオン。紙一重の闘いといわれる世界タイトルマッチで12戦全勝11KOと驚異の戦績を誇る。いまや誰もが認める日本史上最高傑作のボクサーといっていい。

かつて元世界王者の薬師寺保栄を育てた松田ジム会長の松田鉱二からこんな話を聞いたことがある。対戦相手のセコンドとして、コーナーから井上を見つめた。すると、あるボクサーが頭に浮かんだ。「華があるな、と辰吉(丈一郎)を思い出したよ」。ロープを跨(また)いだ瞬間、眩(まばゆ)いばかりの輝きを放つ。リングを支配する圧倒的な存在感。彼にだけスポットライトが当たっているかのようだったという。

井上は心技体、そのほかボクシングに必要な要素をすべて備えていると称される。筆者が特筆したい井上の強みは、対戦相手の動きを見抜く異常なスピードだ。

本来、ボクシングとは序盤・中盤・終盤と試合を組み立て、1、2ラウンドは様子見をする。相手のパンチの軌道、スピード、パワーなどを見極め、長所と弱点を探っていく。だが、井上の観察力、分析力はまるでセンサーがついているかのように、わずか数十秒で相手の動きを見抜いてしまう。

元世界王者で、井上が所属する大橋ジム会長の大橋秀行は「スパーリングでもいつもそうだよ。恐ろしいよね」とあっさり言う。

実際、昨年の2試合はともに1回KO勝利。5月にジェイミー・マクドネル(英国)を破りWBA世界バンタム級王座に就いた一戦は112秒殺。そして10月、パヤノ戦の70秒KOと続いた。

しかし、井上本人は「完全にパヤノを見切っていたわけではない」と言う。

「パヤノも自分を出し切ってはいなかったでしょうし、僕もまだいろいろな引き出しがあった。ただ、あの瞬間は自分のパンチを出したら当たる、そんな感覚があって、当たっただけです」

謙遜なのか、本音なのか。自画自賛することなく、自らを冷静に俯瞰(ふかん)する。

そのボクシング脳はどうなっているのか、より具体的に聞いてみた。井上は「うーん......」としばらく考え込んだ。

「自分の距離をわかっているだけかもしれない。安全な距離と危険な距離。空間の把握能力はほかの選手よりあると思っていますけど」

安全な場所にいればパンチをもらわないが、自分のパンチも届かない。当てるためには危険領域へと踏み入れなくてはならない。

「一番怖いのは相打ち。だから、打ち終わりを大事にして、自分のパンチが当たった瞬間に移動するんです」

パンチを打ったらすぐに再び安全地帯へ戻る。これを繰り返す。井上はこのスピードがとてつもなく速い。

2016年12月に対戦した元世界王者の河野公平から聞いたことがある。「井上君はパンチを打ったと思ったら、いなくなっていた」。世界戦を10試合こなした猛者でさえ、あまりの速さに驚いた。

頭をフル回転させながら、踏み込み、パンチを打つ、そして瞬時に移動する。対戦相手が決まった時点から、頭の中で何十、何百のシミュレーションを重ねていく。たくさんつくった引き出しから、そのとき一番必要な動きを取り出し、次々と体現する。

「すっごい考えていますよ。試合が終わった後なんか、控室で頭がボーッとしますから。もう、考えすぎちゃって。試合前からどう動こうか考えて、脳を働かす。試合が終わった瞬間、精神的にプツンと切れる感覚ですね」

圧勝に見えた直近2試合も「実はギリギリのラインで闘っていたんです」。そう、ぽつりと漏らした。

そして今はロドリゲス戦に向けて、常に張り詰めた精神状態を維持しようとしているという。

■スランプを乗り越えさらなる進化

今年2月、人生で初めてのスランプに陥った。1回KOが続き、周囲からの期待がひしひしと伝わってくる。「次も倒さないと」――よけいな意識が働いた。

加えて、練習の一環として行なわれるスパーリングでも、相手をKOする「井上伝説」がボクシング界で広まっている。「スパーでも倒さないと」――はやる気持ちが自らの動きを雑にしたという。

「公開スパーとなれば気負うし、倒しにいく。そこで少しはパンチをもらってしまう。自分のボクシングができていないこと以上に、相手に『割とできたじゃん』と思われるのが一番悔しい。何もできなかったと思わせたいんです」

チャンピオンの矜恃(きょうじ)。たとえ練習であれ、相手をねじ伏せたい。今なお強さにハングリーといっていい。

「だって、殴り合いじゃないですか」

まさか井上の口から「殴り合い」という言葉が出るなんて、思ってもみなかった。

「自分の中で闘争本能はやっぱりあるんで。でも、やりたいのは、打たれないで打つボクシング。そのスタイルを保つため、あえてそのワードを普段出していないんです。口に出すと(闘争本能が)出すぎちゃう。そうすると自分のスタイルが崩れていくので」

不調は1週間続き、一時スパーリングを中断。グアムに行き、徹底的に走り込んだ。日本に戻り、2週間後、再開する。

「より精密になりましたね。以前よりひとつひとつが丁寧に。パンチをもらっちゃいけない。雑な部分が完全になくなりました。(スランプが)あって、よかったと思います」

乗り越えたら、怪物はさらなる進化を遂げていた。

ロンドン五輪ミドル級金メダリストで前世界王者の村田諒太からしみじみ言われたことがある。「重量級、軽量級とか関係なしに、尚弥ってすごくないですか。ああいうのを天才っていうんです」。プロ・アマ両方で頂点に立った村田が言うと重みが増す。井上はボクシング界の宝なのだ。

野球の大谷翔平、テニスの錦織圭、フィギュアスケートの羽生結弦。井上は、彼らスポーツ界のスーパースターと同列に語られるべき存在だ。それを意識することはないのだろうかと水を向けると、首をかしげた。

「趣味としては(ほかの競技を)見ます。でも、ライバル視する見方ではないんですよね。自分はほかの競技のルールもわかっていない。(野球の)『二刀流って何?』って聞いたんですよ。みんな投げて打つのも得意な人たちが集まっていると思っていたんです」

そう言うと、恥ずかしそうに大きな声で笑った。

「ほかのスポーツ選手より、(世界最速の3階級制覇王者のワシル・)ロマチェンコ(ウクライナ)とかボクシング界のスターを気にしますね。やっぱりあのレベルに達したい。燃えるものがありますよ」

ボクシングに真っすぐ。この競技を極めたい。強い意志が伝わってきた。

これまでライバルと呼べる選手もいなかった。だが、今は違う。WBSSのベスト4に残る、ほかの3人は別格だという。次戦のロドリゲス、準決勝の反対の山にいる元5階級制覇のノニト・ドネア(フィリピン)とWBO王者ゾラニ・テテ(南アフリカ)だ。

「3人のことは常に頭の中にあって、過去にいなかったライバルといえるんじゃないですか。自分が緊張感マックスでリングに上がったときには必ずいい試合をできている。(彼らは自分の)強さを引き出してくれる相手だと思う」

【※このインタビュー後、テテの負傷欠場、WBA5位のステファン・ヤング(米国)の代役出場が発表され、ヤングに勝利したドネアが決勝進出を決めた】

まずは準決勝。ロドリゲスは井上と同じ26歳で、19戦全勝12KO。無敗王者のふたりが拳(こぶし)を交える。

「アマチュアのキャリアも(182戦)あるし、反応も速い。ゾクゾクする試合になると思う。今はこのトーナメントで優勝することしか考えていない。優勝したらどんな道が開けるか想像できない。どういう景色か見てみたいです」

遠くに目をやり、うれしそうに笑った。リングという戦場へ向かうとは思えない、無邪気な笑顔だった。

●井上尚弥(いのうえ・なおや) 
1993年生まれ、神奈川県出身。2012年プロデビュー。14年4月、デビュー6戦目でWBC世界ライトフライ級王座を、同年12月に8戦目でWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し2階級制覇(国内最速記録)。18年5月にはWBA世界バンタム級王座を獲得し、3階級制覇達成。17戦17勝(15KO)無敗