通算成績は、日米通算748試合、134勝93敗128セーブ104ホールド。2013年にはワールドシリーズ胴上げ投手に

なんの前触れもなく、まさに電撃的に発表された巨人・上原浩治の引退。スポーツ紙デスクはこう言う。

「いかにも上原らしい唐突さ、潔さでした。良くも悪くも計算せず、そのときの感情で動く性格。今季は調子が上向かず、キャンプからずっと2軍調整を余儀なくされていましたが、当初は夏場まで粘ってみようという考えもあったようです。しかし、生命線であるボールの切れがなかなか戻らなかった。

ただ、新外国人クックが登録抹消されるなど、1軍の中継ぎ陣はむしろ手薄になっていました。原 辰徳監督は上原の昇格を検討し、コーチを通して打診したのですが、なんと当の本人が『今の状態ではムリです』と事実上の昇格拒否。これがきっかけで、気持ちは一気に引退へと傾いたようです。

引退に際して『調子の上がらないベテランのせいで、若い選手の出番を奪いたくない』と言ったのも、そんな背景があったからです」

振り返れば、プロ野球界における"保守本流"の巨人というエリート集団にあって、上原は明らかに異質な選手だった。

「上原は入団してまだ寮にいた頃、『プロに門限があるのはおかしい』と球団に噛みつき、規定の年数より前に退寮しました。門限破りはあっても、こんな"そもそも論"を堂々とぶつけて退寮したのは彼が初めてでしょう。

長嶋茂雄監督時代には、中継ぎ転向を命じられ拒否したことがありましたが、おそらく長嶋さんに歯向かったのも彼くらい。そんな逸話はいくらでもあります」(デスク)

選手間でも派閥をつくることは嫌ったが、ハッキリ物を言う性格で若手からは慕われる存在だった。

「特に、メジャー移籍前は野間口貴彦(現球団職員)、復帰後は澤村拓一らをかわいがっていました。田原誠次が昨年オフ、球団にブルペンの環境改善を訴えたときも『上原さんから影響を受けた』と公言しています。彼らもみんな"巨人らしくないタイプ"ですね(笑)」(デスク)

一方、上原をよく知るテレビ局関係者はこう言う。

「多少偏屈なところはありますが、本当にいい意味で普通の人ですよ。あのキャラは、いわば自己演出という面もある。例えば、自ら言いだした『雑草魂』というキャッチフレーズも、プロ野球や巨人というエリート集団の中で生き抜くため、自分に言い聞かせていたものでもあるんです」

上原は、自身の原点は浪人時代にあると語っている。高校卒業後、志望大学に落ち、ほとんど野球から離れてアルバイトと予備校通いの毎日。その後、ドラフト逆指名で巨人に入団するまでの投手となり、タイトルを総なめするような活躍を見せても、やはりよりどころは「雑草魂」だったわけだ。

「もし他球団に入っていたら、あれほどの強い意志やいちずさは生まれなかったかもしれない。巨人という特殊な球団だったからこそ、反骨心と共に44歳までプレーできたのでは」(テレビ局関係者)

引退後、上原はどんな道を歩むのだろうか。別の親しい関係者はこう話す。

「上原は大学時代に中学・高校の教員免許を取っている。プロの指導者にはあまり関心がないようだから、高校の指導者を目指すのでは?」

それなら、彼に似合うのは野球名門校ではなく、やはり無名校の監督だろう。雑草軍団を率いて甲子園にやって来る――そんな姿を見てみたい。