かつて世界選手権を3度制した山本美憂が、「事実上の世界一決定戦」と言われた川井梨紗子vs伊調馨を解説 かつて世界選手権を3度制した山本美憂が、「事実上の世界一決定戦」と言われた川井梨紗子vs伊調馨を解説

7月6日、埼玉・和光市総合体育館で「レスリング世界選手権代表選考プレーオフ」が行なわれた。注目の女子57kg級では、リオ五輪金メダリストの川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)が五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)に勝利し、世界選手権(9月、カザフスタン)の代表に決定、東京五輪連覇へと前進した。現在グアム在住で、このプレーオフを見るために帰国していた元世界女王の山本美憂が、川井vs伊調ほか注目の試合を解説!

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――美憂さんは現在、MMA(総合格闘技)ファイターとして活躍していますが、今でもレスリングはよく見ているんですか?

美憂 見てますよ。前は好きな選手の試合しか見てなかったけど、レスリングを離れてMMAをやるようになってからのほうが、世界のいろんな選手をよく見るようになった。常にトップレベルの闘いを見ておきたいので、チェックしてます。今回のプレーオフもすごく楽しみにしてた!

――世界選手権の代表は、12月の全日本選手権(天皇杯)と、6月の全日本選抜選手権(明治杯)の優勝者から選ばれます。昨年12月の天皇杯は伊調選手が優勝、今年6月の明治杯は川井選手が制したため、今回のプレーオフが組まれました。ほぼ確実にメダルが期待される階級ではこれが事実上の五輪最終予選と言われているので、レスリング界では最も盛り上がるといっても過言ではないイベントですね。

美憂 そう。オリンピックまでの過程の重要な大会だし、日本のレスリングのレベルはすごく上がっているから、日本の大会の決勝が事実上の世界一決定戦だったりする。伊調選手と川井選手の試合も、オリンピックの決勝戦と言ってもおかしくないレベルだった。

――美憂さんはこのふたりに思い入れはありましたか?

美憂 (レスリングの)現役時代に、川井選手のお母さん(初枝さん)とチームメイトで、すごく仲がよかったの。梨紗子のことは子供の頃から成長を見てきたから、思い入れはあった。伊調選手とは合宿とかで会話したことがあるくらいだけど、いろんなことを乗り越えて戻ってきたから、感心するというか、偉いと思う。

――約2年のブランクを経て、35歳で復帰というのはすごい。美憂さんも引退、出産などを経て何度も復帰しましたけど。

美憂 年齢の話になると、私は参考にならないね(笑)。本人の体調、精神面、いろいろあるので、年齢は基準にしないほうがいいと思うけど、伊調選手はうまく調整して、ブランクを埋めてきたなって思いました。

川井vs伊調は大接戦だったが、「川井選手は冷静に集中できていたのがすごい」と山本美憂は言う 川井vs伊調は大接戦だったが、「川井選手は冷静に集中できていたのがすごい」と山本美憂は言う

――では、試合はどう見ましたか?

美憂 予想してたとおり、基本的には守りの伊調選手、攻めの川井選手という展開だったけど、伊調選手はタックルで足を取られても、抜群のボディバランスでよく守っていた。普通の選手だったら守りきれないという場面が3度くらいあったけど、全盛期と変わらず、全部守ったのがすごかった。特に第1ピリオドの終わりは、川井選手が伊調選手の足を高く持ち上げたんだけど、伊調選手はすごいバランスでしのいでいた。そして、最後は粘り強くポイントを取りに行った。あのディフェンスには川井選手も疲れたと思う。「ここで取れる」と思ったところで取れないと、精神的にも肉体的にも疲れる。それでも最後まで攻めにいってたからすごいね。

川井選手は冷静だった。川井3-2伊調で試合終了が近づいたとき、伊調選手が川井選手の足首をキャッチして、川井選手が場外に出て伊調選手に1ポイントが入った。3-3で試合終了になったけど、レスリングは1ポイントから5ポイントまで、技の大きさによってポイントが違って、同点で終了した場合は、その中でより大きいポイントを取った人が勝つ。試合中、テンパっちゃってもおかしくないのに、川井選手は自分が2+1の3点で、伊調選手は1+1の2点であるとしっかり把握していて、「場外に出ても伊調選手に1ポイントしか入らないから3-3でも自分の勝ちだ」ってわかっていた。この舞台でここまで冷静に集中できていたのがすごいです。

――川井選手は9月の世界選手権でメダルを獲れると思いますか?

美憂 (他の選手は)研究してくると思うけど、今日みたいにここまで粘って勝ちに結び付けられれば、世界も獲れると思う。メダルを獲って一気に東京五輪出場を決めるかもね。

――川井選手が世界選手権でメダルを獲れなかった場合、東京五輪の出場権はまだ決まらず、12月の天皇杯にかかってきます。

美憂 そう。だから、伊調選手にもまだチャンスはある。これでひと息つかず、トレーニングを続けてほしいですね。

女子50kg級の入江ゆき(右)vs須崎優衣(左)もハイレベルな試合だった 女子50kg級の入江ゆき(右)vs須崎優衣(左)もハイレベルな試合だった

――今回のプレーオフ、ほかに注目していた試合はありますか?

美憂 女子50kg級の入江ゆき(自衛隊)vs須崎優衣(早稲田大)。軽量級だから、構えは低いわ早いわで、しっかり見てないと追いつけない! 細かい崩しとか手捌きがふたりともすごく上手。勝った入江選手は落ち着いた中にも攻める気持ちがあって、バランスが取れていたね。

男子の試合では、フリースタイル65kg級の乙黒拓斗(山梨学院大。日本歴代最年少世界王者)vs樋口黎(日体大助手。リオ五輪銀メダル)がすごかった(乙黒が勝利)。これも川井vs伊調と同じく、世界一決定戦に近かった。

私が注目しているのは乙黒選手の足の使い方で、相手の横につこうとする。みんな横に回れって教えられるけど、うまく足が使えない。でも、乙黒選手はささっとやってる。横につかれると相手は対応できない。昨年の世界選手権でも横からタックル入ったり手首掴んで落としたり上手かった。体の柔らかさもすごくて、胴体が弓なりに反る。だから組みながらも自分の体勢を整えられる。これは生まれ持ったもので、相手はイライラしちゃうと思う。右構えでも左構えでもタックル取れる器用さもある。どこからでも取りに行くところがすごく好きですね。

相手の樋口選手も、11センチもの身長差があったけど、それを生かして下から脇差しして乙黒選手の動きを止めて、粘り強かった。でも、得意の片足タックルになかなか入らせてもらえず、やっぱり乙黒選手が現役世界王者らしさを見せたと思う。6月の全日本選抜(明治杯)では、樋口選手が乙黒選手に勝った。それまで乙黒選手は樋口選手に連勝していたし、下馬評でも間違いなく乙黒選手が東京五輪代表だと言われていたから、少し油断していたのかもしれない。あの明治杯の負けがあったから、さらに強くなると思います。

私、乙黒選手の去年の世界選手権の決勝の映像を何度も見てるの。ひとつでもいいから何か習得したいと思って。何回も見てるけど、できないね。世界選手権では研究されるだろうけど、そこは日本のきめ細かいレスリングで(相手を)封じてほしい。この階級は世界に強豪がいっぱいいるけど、男子で一番オリンピックの金メダルに近いのは乙黒選手だと思う!

山本美憂が絶賛する男子フリー65kg級の乙黒拓斗 山本美憂が絶賛する男子フリー65kg級の乙黒拓斗

――女子だけじゃなく、男子にも注目してほしい、と。

美憂 今日みたいな試合を見せていけばレスリングのファンが増えると思う。オリンピックのときだけじゃなくて見てほしい。日本のレスリングはかなりレベルが上がってきていて、本当にみんなすごいから。オリンピック代表の有力候補は、誰が出てもみんなメダルを獲れる確率はかなり高いですよ。来年に向けて、レスリングにも注目してくださいね! 絶対楽しいから!

●山本美憂(やまもと・みゆう) 
1974年生まれ、神奈川県出身。ミュンヘン五輪代表の父・郁榮の下、弟の"KID"徳郁、妹の聖子と共にレスリングの英才教育を受け、世界選手権を3度制覇。2016年にRIZINで総合格闘技デビュー。現在4連勝中で、RIZIN女子スーパーアトム級王座への挑戦が期待されている