指導者ライセンスを取ってJリーグで監督をするのもいいんじゃないかなと語るセルジオ越後氏

元日本代表DFの闘莉王(J2京都・38歳)が現役引退を発表した。会見には日本代表で長く共にプレーした先輩の楢崎と中澤が駆けつけていたけど、あの3人のトライアングルは最強だったなと思い出すと同時に、ひとつの時代が終わったと感じた。

なんか寂しくなったね。ひとりのサッカー関係者としてはもちろん、同じ日系ブラジル人としても、心からお疲れさまと言いたい。

16歳でブラジルを離れ、渋谷幕張高校(千葉)にサッカー留学したのが始まり。そこから広島、水戸、浦和、名古屋、京都と渡り歩き、J1、J2通算529試合に出場。主にセンターバックとしてプレーしながら104得点という規格外の数字を残した。

あらためて同じブラジル出身の僕から言えることは、言葉も生活習慣も何もかも違う国からひとりでやって来て、よくこれだけ長く一線でプレーし、たくさんの成功を収めたなということ。

僕もひとりで日本に来たからよくわかるけど、最初は本当に大変。日系人といっても日本語を読めない。話せない。だからコミュニケーションを取れない。そして、食事には納豆など生まれて初めて見るものが次々と出てくる。だから誰でも一度はホームシックになる。

しかも彼は10代で来日しているわけだからね。今ほどネットも普及していなかったし、家族ともなかなか連絡を取れなかっただろう。そのストレスは相当なものだったと想像する。

サッカーでも苦労は多かったはず。高校卒業後に入団した広島では外国人枠の影響で出場機会に恵まれなかった。でも、期限付き移籍したJ2の水戸で注目を集め、さらに日本国籍を取得したことが飛躍につながった。

その後の活躍はあらためて言うまでもないけど、浦和でも名古屋でもチームにJリーグ初優勝をもたらし、日本代表では南アフリカW杯で前述の楢崎、中澤と共に鉄壁の守備を築き、初の決勝トーナメント進出の原動力となった。大したものだよ。

ラモスや呂比須、三都主らこれまで多くのブラジル人選手が日本国籍を取得してきたけど、そのなかで最も華やかな成績を残したといっていい。

闘莉王はヘディングが強く、正確なロングパスも蹴れる、優れたセンターバックだ。でも、ご存じのように彼の最大の持ち味は「絶対に勝つ」という気持ち。浦和でも名古屋でも日本代表でも、そういう熱いものをチームにもたらした。

ただ、ドゥンガのような強烈なリーダーシップでチームを鼓舞する一方、時にそれが行きすぎることもあった。大事な試合ともなれば、審判や相手チームの選手はもちろん、チームメイトや監督にも文句を言う。相手にリードされれば、ポジションや布陣を無視してどんどん攻め上がる。負ければサポーターと言い合いをして、悔し涙を流すこともあった。

それでも彼が仲間やサポーターから認められ、愛されたのは、チームのためにいつも全身全霊で戦っていたから。そういう選手は貴重だし、日本人の心をがっちりつかんだ。

これから彼がどういう道に進むのかはわからないけど、まずはブラジルに帰ってゆっくりと休んで、家族との時間を増やし、親孝行をしてほしい。そして、再びサッカーの虫が騒いだら、指導者ライセンスを取ってJリーグで監督をするのもいいんじゃないかな。熱い闘莉王イズムを植えつけたチームがあったら面白いと思うよ。

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