少年時代はケンカに明け暮れ、暴走族の副総長になり、少年院に収容されたことも。ニックネームは"路上の伝説"。今、最も注目される総合格闘家、朝倉未来(みくる)のことだ。
現在27歳の朝倉は、対戦相手への徹底的な分析と、それに基づく緻密な作戦で、RIZINで6連勝中。その明晰な頭脳にも注目が集まっている。同時に、彼はチャンネル登録者数70万超のユーチューバーでもある。今までにいなかったタイプの格闘家、朝倉未来とは何者なのか?
***
――今日の取材のために、朝倉選手のYouTubeチャンネルの動画(約80本)を全部見てきました。
朝倉 ホントですか? ありがとうございます。
――2019年5月にチャンネルを開設すると、「喧嘩自慢をスパーリングに誘ってみた」「ぼったくりバーに潜入してみた」などの刺激的なラインナップで話題を呼び、今やチャンネル登録者数は70万超え。今日はYouTubeで公開された話を掘り下げる部分も出てくるかと思いますけど、そもそもなぜ、ユーチューバーになろうと思ったんですか?
朝倉 YouTubeは2年ほど前からやりたいと思っていたんです。僕は子供の頃から自由を追い求めていて、学校の先生や親に「これをやれ」って命令されるのが好きじゃなかった。自分のやりたいことを責任持ってやっていきたいと考えていたので、ユーチューバーという職業は理想に近かったんです。
YouTubeは、自分たちで考えたことを実現したら、それがすぐに再生回数などの数字に出て、お金に変わっていくのが目に見える。理想的な稼ぎ方だったので、本当はもっと早くやりたかったんです。でも、格闘家としての実績がないままで始めたら中途半端になると思っていた中で、ルイス・グスタボ(ブラジル)戦があったんですね。
――昨年4月でしたね。
朝倉 グスタボはそれまで9戦無敗で実績のある選手だったから、彼に勝ったら自分の実績も認められるだろうし、YouTubeで格闘技を広めることもできると考えて始めたんです。
――当初、一緒に動画を制作しているスタッフの方は「チャンネル登録者は10万人も行かない」と思っていたのに、蓋を開ければわずか3ヵ月で格闘技界ではナンバーワンの20万人に。これは予想していましたか?
朝倉 ここまで早いとは思っていませんでしたけど、YouTubeに関してはすごく研究したし勉強もしたんです。だから自信はありました。
格闘家では僕より先に矢地(祐介)くんや堀口(恭司)くんがやっていたんですけど、まずは彼らの登録者数を抜かそうと。10万人を超えたときには格闘家の中では一番になっていたので、その後は亀田兄弟のお父さん(亀田史郎氏)が17万人だったかな......次はそこだとか。どんどん目標を上げていって、20万人を超えたときに格闘技界では日本一になれたので、次は50万人だと。今の目標は、開設1周年までに100万人です。
――100万人も、もうすぐ実現しそうですね。最も多い視聴者層は?
朝倉 25~35歳で、男性が94%くらいです。
――最初からターゲットをその層に絞っていたんですか?
朝倉 インスタのフォロワーとかでわかるんですよ。僕のインスタのフォロワーは男性が圧倒的に多かったから、その層が食いつくことはわかっていたし、女の子に受ける番組を作っても伸びないでしょうって。
――数字を見ながら、どんな動画を作ればさらに伸びるか分析していくわけですね。
朝倉 そうです。でも、YouTubeの歴史はまだ15年くらいしかなくて、進化の途中だと思うので、「これが正解」とかはないと思っています。そもそも僕はすべてを疑ってかかるんです。
――疑ってかかる?
朝倉 はい、中学校の頃から大人に対してそう思っていたのと一緒で。噂話にしてもそうですけど、人が言ったことを100%は信じないんですね。「もしかしたら真実は違うかもしれない」と、いつも思っていて。だから、他の人が気づかないことにも気づくのかもしれない。
――「サイコパス診断」という動画は衝撃的でしたけど、絶対に催眠術にかからないタイプですよね?(笑)
朝倉 かからないですね。催眠術の動画も企画で録ろうかと思ったんですけど、すべての催眠術師に断られましたからね、営業妨害になっちゃうからって。心霊現象とかも信じていないんですけど、それも昔はみんなに面白がられて、心霊スポットに行ったりもしたんですけど、何も見えなかったです(笑)。
――昨年大晦日、試合前の紹介VTRの中に、少年院を訪問したシーンがありました。少年たちに夢を聞き、それぞれが「料理人です」「フットサルの選手に」などと答えると、「叶うと思います」と即答していた。そう断言できる根拠は?
朝倉 自分の人生も、すべて夢を叶えてきたので。僕は自分のことを優れているとは思っていないんです。もちろん努力はしてきたんですけど、みんなそのくらい気持ちが強ければできるでしょうっていう感じなので。
――朝倉選手は自分を信じる力が強いという印象があります。その自信はどこから湧いてくるんですか?
朝倉 自信......口に出していても、本当は自信がないときだってあるんですよ。ただ、宣言することによって自分を追い込みたいところがあって。けっこう飽き性だったり、諦めが早いと自分では思っているんですけど、そんな自分を理解しているからこそ、大きいことを言って、退けない状況を作っているだけですね。
――自ら背水の陣にして火事場の馬鹿力を出すと。
朝倉 そうです。追い込んだほうが勉強するじゃないですか。「YouTubeをやる」って言ったら「成功できないでしょ」って言われて、「成功するに決まってるでしょ!」って口にしてしまえば、もうやるしかない。だから勉強する。そうやって自分を追い込んでいるんです。
――訪問した少年院で「夢は持ったほうがいい」と話していましたね。
朝倉 今の時代、「やりたいことが何かわからない」っていう人が多いじゃないですか。だけど、やりたいことをやれば、人生がいい方向に行くと思うので。僕も叶えてきたし、そこは認めてあげたいなと。それで、そう(「叶うと思う」と)言ったんですけどね。
――「やりたくないこと」はわかっているけど、やりたいことがわからない人が多い気がします。
朝倉 ネガティブな人が多いですよね。昭和の時代と違って、今は物事を簡単に調べられちゃうから、難しさだけが浮き彫りになってしまう。それが足枷(あしかせ)になっているのかなと。それから、日本人はいろいろ世間体を気にするっていうか。何かデカいことをやろうとしている人をバカにするじゃないですか。叩かれることを気にしている人もいるだろうし。
――少年院では、周りの人を悲しませてしまう「無責任な自由」ではなく、「責任のある自由」を説いていましたが、同じ紹介VTRの中で朝倉選手が思春期にヤンチャをして少年院に入る人生になってしまったことについて、お母さんが「育て方を間違えたのかしら」と言っていました。それに対し、朝倉選手は自身のYouTubeの動画の中で「どんな育てられ方をしても、こうなっている」と言っていましたね。
朝倉 そうですね。他の家庭と比べても、僕は不自由なく育てられたほうだと思います。ただ、みんなと捉え方が違ったのかもしれない。学校の勉強方法とか義務教育に不満を感じていたり。なぜ興味のないことも勉強しないといけないのかな、とか。考え方が他の人と違ったんですよね。例えば√(ルート)の計算とか、社会に出たときには使わないじゃないですか。
――確かに。
朝倉 実際、それなりの大学に行った人に、「中学3年生のときのテストを全問解けますか?」って聞いても、大半の人が「できない」と答えます。だったら、学校の教育は意味がないことをやっているな、それより自分のやりたいことを絞って、そこを強化していくほうがいいんじゃないかと、中学の頃から考えていました。その積み重ねで自由を求めていったら、育った街がたまたま治安の悪い街だったので、そういう方向に行ったって感じですね(笑)。
――ヤンチャしていた時代のエピソードを少し聞きたいんですけど、「最強の武器は公園の自転車」という話が面白かった。
朝倉 僕の地元では、ケンカで木刀とか金属バットとかを使う人が多かったんですけど、あるとき、先輩ふたりに呼び出されて、武器で襲いかかってきたんです。僕は近くにあった自転車でそれを防いで、相手の武器を奪ってから素手で勝負して。自転車は防御にも攻撃にも有効で、3回くらい使いましたね。大勢対大勢の抗争が起きたときにも使ったし、外国人が原付バイクで突っ込んできたときも自転車を投げつけて防御した。そういうことが日常的に起こっていたんです(笑)。
――「50人対2人」というケンカもあったそうですね。
朝倉 ありましたね。こっちとしてはひとりでも多く倒してやろうっていう感じですよね。
――結果、鉄パイプで殴られて、あり得ないくらい顔が腫れたっていう......。
朝倉 そうですね(笑)。
――死ぬかもしれないという怖さはなかった?
朝倉 怖さ......、あんまりないかもしれないですね。
――修羅場を何度も潜り抜けると、危険な状態でも落ち着いていられるようになるものなんですか?
朝倉 いや、初めてのときから落ち着いていましたよ。よく人から「落ち着いているね」って言われるんですけど、あまりビックリしたりもしないんですよ。大きい声を出したりもしないし。
――では、朝倉選手はどんな死生観を持っていますか? 尊敬する人は「特攻で亡くなった人」と答えていて、「小学校以来、泣いていないけど、特攻に関する映像を見て、それに近い感情が湧いてきた」と語っていましたね。
朝倉 もちろん、亡くなっているのと生きているのとでは違いますが、僕も死を覚悟した場面が人生の中で何度かあって、(特攻隊員の感情が)わからなくもないというか。僕が見た動画の中に、特攻隊の人が残した手紙があったんですけど、その価値のすごさを感じて。感動しましたね。僕より年下の人だし、そういう人たちがいて、今の僕たちがいると思ったときに感動しました。
――試合前に「遺書をケータイに残している」と聞きましたけど、それはいつ頃から?
朝倉 2015年とか2016年だと思います。もっと前から簡単な遺書は残していたんですけど、ちゃんと長い文で書いたのは、そのくらいの時期かな。
――それは思い残すことがないように?
朝倉 思い残すことがないように......まあ、それに近いのかな。ちょっと違う気もするけど、そんな感じもします。
――誰かの影響があったんでしょうか?
朝倉 影響はないですけど、死と隣り合わせというか、死に直面したというか、死にかけた経験が5、6回あるので、死ぬことに対して、普通の人よりはリアルに考えたことが多いかもしれないですね。
――どんなときに死に直面したんですか?
朝倉 バイクで事故ったこともあるし。それこそ拳銃を突きつけられたこともあるし。
――拳銃!? 拳銃を突きつけられると、人はどういう気持ちになるんですか?
朝倉 そのときは本当に死を覚悟したというか、悟ったというか、相手に「撃てよ」って言ったんですけど。その頃は本当に死んでもいいかなと思っていたので。一種の中毒になっていましたね。命をかける遊びじゃないと面白くない、みたいになっていました。
――登山家のように、危険な場所に身を投じることによって生を実感する感じですか?
朝倉 それに近いと思います。僕は山ではなく、電波塔を登ったりしていましたけど(笑)。バイクをふたり乗りして、後部座席に後ろ向きに乗ったりとか。そういった遊びの中から、死と向き合う感情を知るみたいな、刺激を求めていましたね。
★後編⇒ユーチューバー格闘家・朝倉未来の野望「30歳までに年収1億円は達成できそうなので、それ以降は...
●朝倉未来(あさくら・みくる)
1992年生まれ、愛知県豊橋市出身。177cm、66kg。中学・高校時代は、刺激と強者を求めてケンカに明け暮れる日々を過ごす。あまりの強さに地元では敵無し状態に。プロ格闘家デビューは2012年。以降12勝1敗1無効試合の戦績を誇る。2月22日には浜松アリーナでの「RIZIN.21」でダニエル・サラス戦(68kg契約)が決定!