サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第137回。
現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。
今回のテーマはサッカー用具の進化について。最近、マラソン界では厚底シューズが話題となっているが、サッカーの用具にも進化の歴史があると宮澤ミシェルは語った。
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マラソンの厚底シューズ問題は、一応の裁定が出たね。条件についてはいろいろと疑問に思うところもあるけれど、アスリートの競技力と用具の進化は、切り離せないもの。それだけに判断の難しさは付きまとうものだよな。
サッカーの用具だって時代とともに、すごく進化している。私が子供の頃のボールは、水を吸ったら重くなるのが当たり前。スパイクだって、今と比べたらお話にならないくらいのレベルだった。
それがクオリティーはどんどん高くなって、ボールは蹴り方次第で無回転だとか横回転だとかがかかりやすいものが登場した。スパイクだってトウ部分に回転がかかりやすい形状だったり、そうした材質の使われたものがある。
アンダーウェアにしても、現在は速乾性のすぐれたピチッとしたものを着る。汗が体にまとわりつかないから体力が向上するらしいんだよね。
でもサッカーの場合、用具の進化は誰も問題視しないよね。用具の進化によって不公平になっているわけではないからだけど、昔の選手と現在の選手を同一線上では語れない部分も生んでいるような気がするんだよね。
昔と今を比べるのはナンセンスだとわかっているけれど、例えば現代のボールを使って、全盛期のペレやジーコ、木村和司さんといった往年の名手たちが、フリーキックをしたらどんな放物線を描くのか想像したくもなっちゃうんだ。昔の用具の拙さを知っているだけにね。
フリーキックといえば、JリーグでもっともFKからゴールを決めている選手が、今季はJ1に戻ってくるんだ。
昨季途中に移籍した横浜FCとともに、中村俊輔がJ1を戦う。あの俊輔も41歳だぜ。技術は年齢を重ねても衰えないものだから、FKから得点を決めるシーンを期待しているんだ。
僕は現役を退いてからだいぶ経つけれど、いまだにJリーグ時代に1度はFKを蹴りたかったという思いを持っているんだよね。
高校時代は背番号10番のレフティーでバリバリの技巧派だったから、何本もFKから直接ゴールを決めたし、大学でもFKを蹴っていたんだ。
実業団に進んでからもチーム内でFKの2番手になったし、1988年の天皇杯決勝でもFKを蹴っているんだよね。
あの試合、僕のいたフジタ工業は日産自動車に延長戦で3-1で負けるんだけど、僕の蹴ったFKが決まっていたら......。フジタの1得点は僕がコーナーキックからのこぼれ球をボレーシュートで決めたもので、FKもほぼ決まっていたシュートだったんだよね。
相手は僕が蹴るとは思っていなかったし、蹴った感覚もドンピシャで、ボールが飛んだコースもGKの手が届かないでネットを揺らせるところだった。それがだよ、哲(柱谷哲二)が壁の中でひとりだけジャンプしてボールに少し触れた。それでクロスバーをかすめて外れたんだ。
哲は国士舘大学の1年下だったから、僕がFKを蹴ることができるのをわかっていたんだよね。それでジャンプしてきた。あそこでもう1点決まっていたら、試合結果も違うものだったはずだからね。今でも哲がジャンプしたことが恨めしいよ(笑)。
その後、Jリーグが誕生して僕はジェフ市原に加入した。そこではもうチャンスはなかった。世界的名手だったリトバルスキーがいて、マスロバルもいたからね。だからこそ、一度は蹴ってみたかったなって思いが残っているんだろうな。
FKには、ゴールを決めた選手だけが味わえる特別な空気があるよな。味方も敵もなく、スタジアムにいる選手やスタッフ、観客すべての視線が集まる。あれは最高に気持ちいいだろうなと思うし、僕もJリーグであれを味わいたかったよ。
ボールやスパイクは進化しているけれど、FKからゴールが決まったときの盛り上がりは、時代を超えても変わらないもの。今シーズンのJリーグでは、直接FKからのゴールが数多く生まれるのを楽しみにしているよ。