昨シーズン、その超攻撃的サッカーで15年ぶりにリーグを制した横浜F・マリノス。その中心のひとりが"ハマのGT-R"こと快速アタッカーの仲川輝人(なかがわ・てるひと/27歳)だ。大学ナンバーワンFWとして入団後、5年目にして一気に花開いたエースが、今シーズン目指すものは? 男気あふれるキャラクターも紹介します!
* * *
とびっきりのスピードでピッチをかっ飛ばす"ハマのGT-R"には本物がよく似合う。今年1月のこと、2019年シーズンのJリーグMVPを獲得した仲川輝人に、横浜F・マリノスの筆頭株主である日産自動車から「ワンガンブルー」のGT-Rが贈呈された。ボンネットに刻まれたトリコロールの「23」("ニッサン")はキラキラと輝いていた。
「日産といえば多少なりともGT-Rのイメージがあって、自分もスピードのあるタイプ。かけ合わせる意味もあって背番号を19から23にしたんです。これから代々、スピードのある選手がつけていく伝統的な番号になればいい。自分がまずその1番手になりたいという思いがあったし、自分に対してプレッシャーをかけたかった」
19年シーズン開幕を前にしての背番号変更。そして、15得点9アシストをマークし、得点とアシストを合わせて23以上というシーズン目標を見事にクリア。同僚のマルコス・ジュニオールと共に得点王のタイトルも獲得し、「23」を1年でエースナンバーに引き上げた。ファン、サポーターのみならず、筆頭株主さえ喜ばせたのだった。
■ずっと朝練を見てくれた恩人のため
恩返し――。
プロ5年目にして大ブレイクした快足アタッカーは、クールな見かけによらず情に厚い男である。
専修大学時代に頭角を現し、多くのクラブから注目を集めた仲川が進路にF・マリノスを選んだのは、ある恩人の存在があった。
「僕をずっと見てくれていたのがチームのスカウトの方でした。大学の朝練が7時から始まるんですけど、週に3、4回はグラウンドに来てくれていました。僕は練習後すぐに学校に行かなきゃいけないから、ほんの少ししか話せない。
それでもずっと通ってくれましたね。ほかのクラブの方もいましたけど、F・マリノスの方は常にいた印象です。やっぱりうれしかったし、自分も情に厚くありたいなと思えるようになったのもその方のおかげなんです」
そのスカウトとはベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)などで活躍した公文(くもん)裕明氏。今はクラブを離れてしまったが、仲川はMVPを獲得したこともきちんと報告している。
大学4年時には右膝に大ケガを負ったが、その1週間後にF・マリノス行きを決めた。ケガがあっても「キミが欲しい」と言ってくれたことも胸にズシンと響いた。
「ケガを負ってからも、本当にいろいろサポートしていただいたし、気にかけてくれた。感謝の言葉しかないですね」
当時のスカウトに対してはもちろん、ケガを負った自分を獲得してくれたクラブへの感謝。だからこそ「23」を伝統の番号にしたいという思いに駆り立てられた。
そんな仁義の男は、ルーティンを大切にすることでも知られる。オレンジジュースを飲む、右足からソックスやスパイクを履く、両手首にテーピングを巻く、EDM系のアゲアゲの曲を聴く、試合前日に体毛をそる......両手に収まらないくらいのルーティンをこなしてから試合に入る。
これはよけいな思考を排除して、試合にだけ集中していく彼なりの儀式だ。そんな仲川式ルーティンは何から始まっていったのか――。
仲川は時計の針を川崎フロンターレU-18時代に戻して、こう振り返る。
「最初は母が作る豚モヤシ炒めだったと思います。高校の頃、豚肉は疲労回復にもいいからと試合前夜に作ってくれるようになって、とてもおいしくて。大学の試合も自宅から通っていたので7、8年は続いたと思います」
塩、コショウの利いた豚モヤシ炒めをエネルギーに変えて、大学ナンバーワンアタッカーと呼ばれるようになる。ルーティンの原点はここにあった。
彼にとってルーティンは意識してやるものではなく、自然な流れでこなしていくもの。不自然と感じたら変更することもよくあるとか。
「体毛をそるというのも試合当日にやっていた時期があったんです。でも、当日だとどうしても時間を気にしたり、焦ってしまったら(ルーティンの)意味がないなと思って前日にしました。
音楽もそうですね。テンションを上げてくれる曲を見つけて『これ、いいな』と思ったら採用します。でも、自分の中でもはやりがあるので、どういうタイミングで替えようかと。シーズン前のキャンプ中に練習試合があるので、そういうときに新しい曲を試したりというのもあります」
■小さくて硬い体を大きな武器に変えた
仁義の人は超ポジティブ思考の持ち主でもある。
選手の大型化が進むJリーグにあって、仲川は161㎝の小柄な体をストロングポイントに転換してアジリティ(敏捷[びんしょう]性)を磨いてきた。
「自分より背の高い選手と戦うことになるので細かいステップで相手を翻弄(ほんろう)するというのは自分だからこそできる動き。中学の頃に身長が伸びないなとわかったんで、自分のクイック性を生かすための練習を反復してやるようになりましたね」
身長がこれ以上伸びないと感じたとき、漠然と「サッカーをやめようかな」と思ったことがあったという。しかし、ネガティブ思考に陥ることなく「これもチャレンジ」という思考にスイッチできるのが仲川だ。
「両親も大きくないし、兄が170㎝、姉が163㎝なので上のふたりに持っていかれちゃったんですよね(笑)。でも、ヨーロッパでも(リオネル・)メッシとか小柄な選手が活躍していたし、ドリブルのスピードがある選手のプレーはすごく見ていました。中学の頃は体も細かったんですけど、筋トレを一生懸命やって、当たり負けしなくなってからは自信もついていきました」
相手を置き去りにする細かいステップによるギアチェンジと圧倒的なスピード。"ハマのGT-R"最大の売りはなんといってもギアをローからすぐにトップまで持っていける能力だろう。
「チームメイトの(松原)健が『ゼロから100までのスピードアップがすごい』と言ってくれます。積み重ねてきて、自然とできるようになっていましたね。だから、ボールがスペースに出たら『よしっ!』という感じになります」
体が硬いこともアスリートにとってネガティブな要素になりかねない。だが、これもポジティブに受け止めてきた。
「昔から柔軟性をもっと高めなさいってよく言われましたけど、なかなか軟らかくならなくて。でも、いつからか、この硬さが(速さを生み出す)バネになっているんじゃないかって思うようになりました。
今もケガをしないためにある程度ストレッチはやりますけど、あまり軟らかくしないほうがいいと思っています。バネを使ってパワーを出していくには、硬いままのほうが自分には合っているという感覚があるんです」
大学4年で大ケガを負い、プロに入ってからもなかなか活躍できず、J2のクラブに2度もレンタル移籍した。それでもポジティブに、真摯(しんし)にサッカーに取り組んでいった先にブレイクが待っていた。
20年シーズンも主役を奪う覚悟はできている。元オーストラリア代表監督であるアンジェ・ポステコグルー監督の下「超攻撃型」に変貌を遂げたチームはリーグ2連覇のみならず、アジアチャンピオンズリーグ、天皇杯、ルヴァン杯と4冠達成を目指す。
仲川も自信を口にする。
「監督が来た1年目(18年)は残留争いもあったし、優勝した去年だって夏場に3連敗して首位との勝ち点差が9まで開きました。それでも自分たちのサッカーをやり続けて、着実に力をつけてきたと思うんです。
苦しんだ分だけ力になっているし、結果が出て自信にもなりました。みんなこのサッカーを楽しんでいるし、全部のタイトルを狙っていきたいと思っています」
そのためにも"ハマのGT-R"の爆走は不可欠。個人的な目標はやはり"ニッサン"である。
「去年はアシストを合わせての23でしたけど、今年は得点だけで23はいきたい。とはいえ、アシストも増やして2桁はマークしたいですね。去年、(J1の)令和初ゴールのゴールパフォーマンスをやったりしましたけど、新しいのもちょっと考えてみようかなと思っています(笑)」
昨年12月には日本代表にも初選出され、注目度もますます上がっている。"サムライブルーのGT-R"と呼ばれる日もきっとそう遠くない。
●仲川輝人(なかがわ・てるひと)
1992年生まれ、神奈川県出身。2015年、専修大学卒業後、横浜F・マリノス入団。FC町田ゼルビア、アビスパ福岡への期限付き移籍を経て、18年にレギュラーに定着。19年は15得点9アシストの大活躍で優勝に貢献。得点王とベストイレブン、MVPの個人3冠に輝く。日本代表出場2試合。身長161㎝、57㎏