東京五輪からの新種目である「3x3(スリー・エックス・スリー)」。単に人数やルールの違いだけではない、5人制とは大きく異なる魅力とは?
3x3を牽引する、五輪代表筆頭候補の落合知也(おちあい・ともや)が熱く語る!
●「3x3」とは?
ストリートで発展し、競技人口は世界で40万人超、ワールドカップには180以上の国と地域が参加する人気スポーツ。通常のバスケットボールコートの約半分(縦11m×横15m)を使用し、3人で試合に臨む。10分一本勝負で、一方のチームが21点先取した場合はその時点でゲーム終了。5人制よりもスピーディで、スリリングな攻防が特徴。
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■体育館バスケとストリートボール
「9歳のときです。小学校の下駄箱に手紙が入っていて。『うぉ、ラブレター!』ってテンション上がったんですけど......」
3x3日本代表候補の落合知也は、バスケットボールとの出会いを苦笑いで振り返る。巨人軍に憧れる野球小僧で、お気に入りのシェーン・マックのユニフォームに袖を通し、東京ドームに通っていた頃だ。そこまで親しくない友人からのその手紙は「一緒にバスケをやろう」という誘いだった。
「ラブレターまがいの行為も気になったので、最初は冷やかし半分で練習に行ったら、翌週にはもう試合に出ることになって」
当時、身長は150cmを超え、コートでは最も大きかったが、そのデビュー戦は華々しいものではなかった。
「リングにボールを入れる、玉入れくらいの認識で。ルールも知らなかったですからね。覚えているのは128-6でやられたこと、そのうち2点を自分が取ったこと」
大敗の悔しさと初得点の気持ち良さに突き動かされ、徐々にバスケにのめり込んでいき、もともと備わっていた運動能力と相まって、その素質は開花した。
中学時には茨城県選抜に名を連ね、名門・土浦日大高に進学。インターハイやウインターカップ出場を果たし大学は法政大へ。2年生のときにはインカレ準優勝、3年ではユニバーシアード日本代表候補にも挙げられた。大学卒業前は複数のプロチームからのオファーも届く。
バスケットボール選手として間違いなくエリートコースを歩んできたが、そんな「体育館バスケ」に迷いや戸惑いが生じていたという。
「部活や体育会の厳しいバスケって、体の強さや基本の技術を備えるためにはかなり効果的で、貯金として僕の中にしっかり残っていて、僕の選手としてのベースはそこで培ったものだと感謝もしています。
でもその一方で、特に高校と大学のバスケはある意味では押さえつけられているところもあった。誰かが用意してくれたメニューをこなし続けているだけだと、『俺ってなんにも自分で考えてない、選択してないな。そもそも本当にバスケを好きなのかな』という根本的な疑問が浮かんできて」
当時、国内トップリーグが「bjリーグ」と「JBL」に分裂するなど、選手が未来を見いだしにくい"バスケ暗黒の時代"であったことも無関係ではないだろう。周囲にいた有望な選手たちの中にはシューズを脱ぎ、就職する者も少なくなかった。
落合もプロチームには入らず、バスケットボールから距離を置き、姉の砂央里がモデル、タレントとして活動していたこともあり、モデルの仕事などに挑戦する。
そんなときに、ストリートボールに出会った。
「先輩が『おまえ、今バスケしてないなら、うちに来てくれよ』って感じで。でも正直、ストリートにいい印象は持ってなかったんです。『どうせチャラチャラしたヤツらがヘラヘラやっているんだろ。こっちは部活ガンガンやってたんだ』といった感じで、もっと言うとナメてました」
しかし、コンクリートのコートというストリートのプレーグラウンドで、ピックアップゲームと呼ばれる、そのときどきで居合わせた知らない人同士でやるバスケは、彼にとっていい意味で予想を裏切る体験だった。
「とにかくみんな個性と熱量がすごかったですね。今まで僕が触れてきたバスケとはまったく違う角度でバスケに向き合っていて。トレーニングメニューも組まれていないし、マネジャーが水を出してくれるわけでもない。そもそもボールも自分で用意しないといけない。与えられたものが一切ないなかで、自分でどう戦えるか考えるという世界は自由で斬新でした」
落合にとってそれは結果至上主義の体育館バスケからの解放であり、勝てばうれしい、負ければ悔しいというシンプルなゲームへの回帰だった。
イタリア料理店のウエイター、携帯電話の新規契約の営業など数々のアルバイトを続けながら、ゲームとトレーニングを重ね、「LEGEND」や「RED BULL KING OF THE ROCK」などの国内最高峰、あるいはストリートから世界へつながるような、さまざまなゲームに参戦。
そこで結果を出すうちに、いつしか敬愛するデニス・ロッドマンの愛称と同じく「WORM(ワーム)」と呼ばれるようになった。
「バスケの楽しさだけを追い求める時期ではあったんですけれど、そのうちにストリートボールでメシを食うためにはどうしたらいいんだろう。そんなことを先輩や仲間らと話すようになっていった。その最初のひとりになりたいな、という思いがふつふつと湧いてきたんです」
■現役NBA選手が3x3をやったら
2013年、25歳となった落合は大塚商会アルファーズ(現・越谷アルファーズ)のトライアウトに参加し、契約を勝ち取る。5人制バスケを再開したわけだが、契約要項にはアルファーズの活動と並行して、ストリートボールも継続するという条件が盛り込まれていた。その活動形態は今も継続している。
「チームの理解とサポートを受けながら、Bリーグと3x3を両立させる。現時点ではそれが経済的にも時間的にもスキルアップのためにもベストだと感じています」
その思いにリンクするように、3x3は2017年6月、IOCの理事会で五輪正式種目として承認された。この新種目の魅力は、スピーディな攻防と激しいフィジカルコンタクトだと落合は語る。
「5人制のバスケは敵陣までボールを運ぶ時間が必要なのですが、3x3はハーフコートでひとつのリングに向かってシュートを打ち合う。その際に激しい攻守の切り替えがあり、限られたスペースで大男たちが激しくぶつかり合う、基本的に止まらないスポーツですね。考えながら動き続けるのはかなりタフで、頭も体も両方がしんどい」
例えば、渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ/ハッスル)や八村 塁(ワシントン・ウィザーズ)といった現役NBA選手が3x3でプレーした場合、高いパフォーマンスを発揮できるのだろうか。
「この2選手の場合は、個の能力が高いのでフィットすると思います。5人制は組織のゲームであり、ある程度の能力差は戦術でカバーできるけれど、3x3ではそれが難しい。ゴール下にものすごい大きい選手がいても外のシュートに対応できないと意味がない(※3x3では、5人制でいう3ポイントシュートが2点となる。それ以外は1点)。
3x3では、職人系、一芸に秀でた選手より、3人共にミドルサイズのオールマイティな能力を持った選手が求められるんです」
東京五輪で3x3の周知と普及が進み、5人制から3x3に転向する選手、逆にストリートからBリーグに挑戦する選手が現れることを落合は期待する。
「一過性にはしたくない。僕が3x3と5人制とのかけ橋や物差しになれたらいいですね。ストリートからプロにも行ける。世界と戦えることを証明するためにも結果は欲しい。やっぱり、メダルですよね。チャンスは十分にあると思います」
メダルを獲得するためには技術や体力、経験など自らの能力をすべて発揮した上で、強いメンタリティも必要だと落合は感じている。
「3x3ではまず自分を主張しないといけない。自分がどんな選手か観客にも理解してもらって、観客をアゲて味方につける"演者"みたいな部分もあります。日本人は、気質なのかもしれませんが、勝負どころでパスを出す選手が多い。もちろん、それが悪いわけではありません。
でも、やっぱりそこで打てるメンタリティ、あるいは『決めたい』というエゴなのかもしれませんが、それを強く持っている選手が、ストリートや3x3で最後にコートに立っている選手なんだと僕は信じています。勝負を決するシュート、入れば勝ち。落としたら負けというスリリングな状況があれば、自分で打ちにいきます」
日本代表決定は6月下旬の予定だ。この夏、体育館生まれ、ストリート育ちの異端児が、バスケットボールの新たなシーンを生むかもしれない。
●落合知也(おちあい・ともや)
1987年生まれ、東京都出身。土浦日大高校、法政大学というバスケ強豪校を卒業後、ストリートボールチームUNDERDOGでプレーを続け、トップボーラーとしてキャリアを築く。2013年からはBリーグで5人制のプレーを再開させると共に、14年には3x3の日本代表に初選出。Bリーグ「越谷アルファーズ」、3x3「TOKYO DIME」にそれぞれ所属。身長195cm
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