すべてはあの開幕戦から始まったんだと考えると感慨深いものがあると語るセルジオ越後氏

新型コロナウイルス問題でJリーグ再開のメドが立たない。今後も厳しい状況が予想されるけど、僕も選手やファンの皆さんと気持ちは同じ。一日も早く試合を再開できるよう願っている。

そこで今回からJリーグの魅力を再確認すべく、その歴史を振り返りたい。今でも鮮明に覚えているのは1993年5月15日の開幕戦、国立競技場で行なわれたV川崎(東京V)vs横浜M(横浜Fマ)の一戦だ。

僕は友人からチケットを手に入れ、記者席ではなくバックスタンドの真ん中辺りにいた。この日はいつもより早く自宅を出て、試合開始の1時間以上前に最寄り駅に着いたんだけど、すでにチアホーンの音が聞こえてきて、自然と早歩きになったね。

そして、国立競技場に着いてさらにびっくり。スタンドはすでに満員、大量のフラッグがはためき、チアホーンの音は耳が痛くなるほど。ゴール裏のお客さんに至っては、レプリカのユニフォームを着込んで応援ソングを歌っている。「ここは本当に日本か!?」「(かつて現役時代に)僕がプレーした国立じゃない」と思ったものだよ。

セレモニーの演出もとにかく派手で、まるでW杯やオリンピックの開会式を見ているよう。選手たちのプレーも熱がこもっていて、試合も面白い。5万人以上詰めかけたお客さんの全員が興奮していたね。プロ化に関わってきた人たち、選手、そして、ファン、皆の夢が実現した瞬間だった。

最初に「プロリーグをつくる」と聞いたときは、期待よりも「大丈夫かな」という不安や疑問のほうが強かった。何しろ当時の日本リーグはテレビ放送もほとんどなく、スタンドはいつもガラガラ。自前の練習グラウンドを持っているチームも少なく、クラブハウスもまるで"部室"。芝の質もヒドくて、国立競技場は年に1度のトヨタ杯開催時に、緑のペンキで色をつけていたくらいだから。

でも、各クラブの関係者が欧州のクラブに視察に行って、プロに必要なものを学んできた。芝生の練習場にクラブハウスと施設面も充実していった。スタジアムもナイター照明がつき、きれいな緑の芝に変わっていった。

選手の環境も激変。移動はグリーン車になり、洗濯もスパイクの手入れも自分でやらなくていいようになった。特に東京Vの選手は人気があり、女性誌やファッション誌に載ることも珍しくなかった。ラモス(瑠偉)も「(よく遊んでいた六本木の街中で)待ち合わせができなくなった」と嘆いていた。とにかく爆発的なブームだったんだ。

ちなみに、僕を取り巻く環境も大きく変わったね。それまでの仕事といえば、「さわやかサッカー教室」という普及活動で全国各地を訪れていたのと、高校サッカー選手権の解説くらい。専門誌では技術を教える連載コラムをやっていたけど、交通費も出なかった。

それが、Jリーグが開幕すると、サッカー番組へのレギュラー出演が決まり、解説の仕事がどんどん増えていった。一番驚いたのはCM出演の依頼が来たこと。思い出すと、今でも不思議な気持ちになる。

当時と比べれば、今のJリーグはそこまで盛り上がっていないかもしれない。でも、子供からお年寄りまで皆がJリーグを知っているのは素晴らしいことだし、すべてはあの開幕戦から始まったんだと考えると感慨深いものがあるね。

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