当時のV川崎は、個性的かつプロ意識の高い日本人選手がそろっていたと語るセルジオ越後氏 当時のV川崎は、個性的かつプロ意識の高い日本人選手がそろっていたと語るセルジオ越後氏

今回は僕が選ぶJリーグ歴代最強チームを紹介しよう。27年間の歴史を振り返れば、魅力的なチームはたくさんある。2007年から3連覇を達成した鹿島。その鹿島と"2強時代"を築いた磐田。浦和とG大阪の時代もあった。

最近では川崎や広島も強かった。そんななかでも、僕が一番印象に残っているのは、初年度王者にして1993年、94年と連覇したV川崎(現・東京V)だ。

93年シーズンの開幕は5月中旬、アメリカW杯最終予選も重なり、週2試合ペースでの連戦が続いた。V川崎は日本代表にカズ、ラモス、武田、北澤、柱谷、都並と多くの選手を送り込んでいて、チームづくりや課題を修正する時間があまりなかった。

1stステージは鹿島に譲って2位。2ndステージは、W杯初出場を逃し、精神的にも肉体的にも疲弊した"ドーハの悲劇"後に9連勝して優勝し、そのままCS(チャンピオンシップ)も制した。よく気持ちを切り替えたと思う。

94年も夏にカズがセリエAのジェノアに移籍しているんだよね。1stステージは4位だったけど、カズの抜けた穴をブラジル人FWのベンチーニョが埋めて2ndステージ優勝。CSでは広島相手にラモスの見事なループシュートなどで連覇を決めた。

当時のV川崎の最大の魅力は、個性的かつプロ意識の高い日本人選手がそろっていたこと。後に鹿島でも活躍したビスマルクや、94年のMVPのペレイラなど頼もしい助っ人もいたけど、チームの顔はあくまで日本人選手たち。

ブラジルでプロ契約をして帰国したエースのカズ。日本国籍を取得し、日本代表の10番を背負うラモス。北澤も人気があったし、武田もピッチ内外で話題を振りまいて"夜の帝王"とか言われていた。そして、怖い顔をした柱谷が後ろを支える。

ある意味、彼らがJリーグ人気の火つけ役。皆、ポルシェやベンツに乗っていて、国産車に乗っていたのはビスマルクくらい。その人気ぶりはすさまじく、サッカー専門誌だけじゃなく、女性誌、ファッション誌、アイドル雑誌などにも取り上げられ、表紙を飾ることもあった。

アウェーの試合後、相手チームのファンにサインや写真をねだられたビスマルクは「ブラジルでは石を投げられてもおかしくないのに」と驚いていた。六本木が大好きなラモスも「人が大勢集まっちゃうから(街中での)待ち合わせができなくなった」と嘆いていたね。

フロントもプロの仕事をしていた。93年、Jリーグ第1号ゴールを決めたマイヤーが機能しないと見ると、夏にはビスマルクを獲得。94年にカズがイタリアに移籍すればベンチーニョを補強。すぐに次の手を打っていた。

思えば、そうした独特のチームカラーは日本リーグ時代から際立っていた。ほかのチームの選手が仕事をかけ持ちしているなか、V川崎(当時、読売クラブ)の選手はサッカーに専念。技術が高いのはもちろん、相手をおちょくるようなプレーを見せたり、相手のユニフォームを引っ張ったりと、当時の日本では異端の集団だった。

そして、試合が終われば、ジュリアナ東京(一世を風靡(ふうび)した巨大ディスコ)に集合。遊ぶときは思い切り遊ぶ、練習するときは集中して練習する。そしてピッチ上で結果を出す。ほかのチームが企業スポーツから完全に抜け出せないなか、プロとは何か、それを最初に示してくれたチームだった。

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