サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第173回。
現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。
今回のテーマは、中村憲剛について。今シーズン限りで現役引退を発表した中村憲剛。その発表に宮澤ミシェルは驚きを隠せなかったという。
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びっくりしたよね。中村憲剛の今シーズン限りでの引退発表があまりにも突然だったからさ。
8月29日の清水エスパルス戦で、去年11月に負った左膝前十字靭帯損傷と左膝外側半月板損傷という大怪我から10ヶ月ぶりに復帰して、途中出場からゴールを決めたじゃない。
その後の試合でも途中出場したら憲剛らしい存在感を発揮していたし、引退発表する前日の試合でもゴールを決めてるんだぜ。さらに足の状態が戻ってくる来シーズンは、もっとやってくれるんだと楽しみにしていたんだよね。
でも、40歳だもんな。最近は全盛期を過ぎても現役にこだわる選手が増えているから、勝手に憲剛もそういう道を進むのだと思っていたんだけど違ったね。
ここ数シーズンは常に引き際について考えていたようだね。それが去年、大ケガをしたことで現実味が増したんだろうな。ただ一方で、ケガを理由にして現役を辞めたくないという気持ちも芽生えたんだと思うんだ。
だから、死にものぐるいでリハビリに励んで、ピッチに戻ってきた。しかも、試合に出られるようになるだけではなく、ケガをする前のような存在感を見せつける。そこまでできたからこそ引退を決断できたんだと思う。
それが憲剛の美学っていうことなだよね。
気持ちはわかるよ。ボクも現役生活の最後はケガからの復帰へのチャレンジだったからさ。
不思議なもので、歳を重ねてからの故障っていうのは、復帰を目指す道のりに新たな自分自身の変化を見出すんだよね。今までの自分から新たな自分に変われるような気がしてさ。痛くて苦しいし、家族にはサッカーにしがみついていて申し訳ない気持ちもあるんだけど、だからこそ一生懸命にリハビリに励めたんだよね。
きっと憲剛も同じだったんじゃないかな。リハビリでひとつひとつをクリアして、サッカー選手としてピッチに立つステップを一段ずつ登っていく。そこさえも楽しめたんじゃないかな。引退は残念だけど、本当に選手としていいタイミングで幕を下ろしたなと感じるよ。
憲剛ほど監督が変わるたびにステップアップして、さまざまなタイトルを獲得した選手も多くないと思うんだよな。
関塚隆さんが監督になったことでボランチとして頭角を現して、風間八宏さんのもとでは憲剛のサッカー観が生きるパスサッカーをできた。鬼木達監督のもとでは念願だったリーグタイトルまでも手にした。
若い頃にバーンと飛び出して、その後は尻すぼみというケースが多いなかで、憲剛は年齢を重ねるほど充実度が増したサッカー人生だったように映るよな。
ただ、日本代表でのプレーはもっと見たかったよな。W杯は2010年南アフリカ大会で日本代表に選出されているけれど、プレーしたのは決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦だけ。しかも後半36分からの登場だった。
2014年W杯は落選。2018年も選ばれることはなかった。やっぱり憲剛を最初に日本代表に選出したイビチャ・オシムさんがあのまま続けられていたら、日本代表でも違った輝きを放ったと思うんだよね。
憲剛は先発でも途中から出てきてもリズムがつくれるし、テンポを変えられる選手だよね。視野は近くも見られるし、遠くも見られて、長短ともパスが正確。前にボールを持ち運ぶこともできたし、スルーパスも上手い。憲剛が主軸の日本代表を見たかったよ。
川崎Fひと筋に18年で、チームがJ2だった頃からプレーして、J1とJ2で通算538試合に出場して83得点。なにより川崎Fのサッカーは憲剛がいたからできたもの。それを見られるのも、あと9試合しかないんだもんな。
引退後はやっぱりクラブのレジェンドだからこそ、監督として戻ってきてもらいたいという意見が多いとは思うけど、いまはただ限られた時間のなかで、憲剛のプレーをしっかり目に焼き付けましょうよ。