来る日も来る日もブルペンにこもり、先発を救援して抑えにつなぐ。勝敗を左右する大事な局面でピシャリと抑えても、「当たり前」と見なされる......。そんな過酷な職務を全うし続けているのが、中継ぎ投手=リリーバーだ。
そんな仕事人のレジェンド3人に光を当てる「俺の中継ぎ論」インタビュー。初回は、日米の強豪球団を渡り歩いた岡島秀樹(おかじま・ひでき)氏。滋味深い「仕事論」はすべての「働く男」必読だ!
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「僕は先発もクローザーもやりましたが、中継ぎが一番性に合ってました。毎日でも投げたいタイプだったので、登板間隔が空く先発はもちろん、試合展開によって投げない日もあるクローザーも気持ちが切れちゃう。
むしろ、無死満塁で『行け』と言われると『ラッキー』と思っていました。抑えればヒーローじゃないですか。とにかく目立つことをしたかったので、ほかの投手がいやがるような場面でこそ燃えました」
岡島氏は肩をつくるのが人より早い点も中継ぎ向きだったと自己分析する。
「巨人時代には、先発の斎藤(雅樹)さんのケガで1回から急遽(きゅうきょ)登板し、準完封したこともあった。アメリカでも危険球による乱闘後、『誰かいないか』と言われてマウンドに立った。
結局、リリーフにとって大事なのは、どれだけ気持ちが入るか。体はつらくても、『俺しかいない!』という場面はやりがいがありました」
そのスタイルを形づくる上で誰か参考にした人は?という問いには「いない」と即答した。
「自分が一番スゴいと思ってたし、僕の投げ方は誰にもマネできないもの。自分の個性と思ってやっていましたから」
そんな岡島氏が考える、中継ぎ投手の極意とは?
「中継ぎは、絶えず前を向き、結果を恐れずに突き進むポジション。先発なら登板間隔が空くことで振り返る余裕もありますが、毎日のように出番がある中継ぎ投手に、後ろを振り向く余裕はない。
反省はするけど、次に残しちゃダメ。今日は今日、明日は明日。とにかく前だけしか見ない。人生もそうでしょ? 前を向くことで活路が開ける。まぁ、僕は下を向いて投げてましたけど(笑)」
●岡島秀樹(おかじま・ひでき)
1975年生まれ、京都府出身。巨人、日本ハム、ソフトバンクで日本一、レッドソックスでワールドシリーズ制覇など、"優勝請負人"として活躍。日米通算815試合登板