『週刊プレイボーイ50号』(11月30日発売)では、48歳でプロ野球界復帰を目指す新庄剛志に密着する不定期連載『直撃! 楽しんじょう』の第3回を掲載

衝撃の現役復帰宣言から1年――。48歳でプロ野球復帰を目指す新庄剛志(しんじょう・つよし)。

"番記者"インタビューマン山下が新庄の個人トレーニングに独占密着する『週刊プレイボーイ』の不定期連載『直撃! 楽(たの)しんじょう』。その第3回(11月30日発売『週刊プレイボーイ50号』掲載)では、12月7日(月)に非公開で行なわれるプロ野球12球団合同トライアウトへ向けて戦闘態勢に入った新庄を直撃。

"令和の新庄劇場"がいよいよ幕を開ける!

■選手として入りたいけど、コーチとしても教えたい

――いよいよトライアウトが直前に迫ってきました!

新庄 トライアウトは3打席あるんやけど、全部フォアボールやったらどうなるのかな。

――もしそうなったら最悪ですね。

新庄 それに近い人がいたらしくて、2打席フォアボールでもう1打席がサードゴロやったみたい。まぁそれも(運を)持ってるか、持ってないかだよね。

――今回のトライアウトに参加する注目選手は元楽天イーグルスの由規投手だと思います。対戦するかもしれませんね。

新庄 めっちゃ球が速いピッチャーでしょ。もし彼が投げるなら、ほかの選手に行かせるわ(笑)。でも俺はね、別にバッティングの結果で評価されるわけじゃないと思う。ウォーミングアップの走り方やキャッチボールでスカウトの人は大体わかると思うから。

――もし声がかかれば、49歳でプロ野球選手として現役復帰ですよ。このあいだ40歳の藤川球児さんが引退してますからね。

新庄 現役最後の登板を見たけど、149キロ投げてたよ。どっか獲らないの? 俺が監督やったら、「もう1年投げて」ってお願いして獲るけどな。

――藤川さんとは阪神で一緒でしたよね。

新庄 あいつが1年目で阪神に入って来た時はガリガリで歯もボロボロやったんやから。

――しかし、藤川さんが引退する年に新庄さんが選手として復帰したらすごいことですよね。

新庄 俺は選手として入りたいけど、コーチとしても教えたいから。だから、もし獲ってくれたら、コーチの役割が7割、8割ぐらいだと考えてる。もちろん選手としての準備もするけど、出場するのは毎試合じゃなくてたまにでいい。その代わり、若いヤツらと一緒に走って投げて、俺が持ってる守備の技術をすべて教えるよ。

俺は負けず嫌いやから、陰で練習して、若い選手に追いつこうと思ったりするやろうね。そういう姿を見たら、選手も俺に野球のことを聞いてくると思う。俺はチームの守備力をレベルアップさせることに自信があるから。

阪神時代の恩師、故・野村克也さんが現役時代に背負っていた「19」が刻まれた木製バット。野村さんの記念館に飾ってあったバットを借り、工場に頼んで特注でつくった

■野村監督も脱帽。「外野のことは新庄に任せとけ」

――新庄さんは現役時代、守備に関してはコーチに何も教わらず、我流でやったそうですね。

新庄 コーチに守備を教えてもらうかどうかは、そのコーチが「ゴールデングラブ賞」を何回もらったかによるね。

――そこが基準なんですか?(笑)

新庄 だって俺は10回もらってるから、コーチが4回やったら俺に教えられようがないもん(笑)。

――新庄さんより受賞回数が下だったら教えてもらわないんですか?

新庄 まず教えてこない。俺の方が上手いことをコーチは知ってるから。教えられたことがない。

――新人の頃はあったでしょ?

新庄 いや、シートノックで俺の守備を見たコーチに「お前に教えることはないよ」って言われたから。俺の投げ方と取り方は独特やから、教わる気もなかったし。結果を出せばいいわけで、俺はレギュラーに定着してからずっとゴールデングラブ賞を獲ってるから。

――じゃあプロ入りする前から守備が完成してたということですか?

新庄 そうやね。だから、「外野はいつでもできるから内野をやりたい」ってプロ3年目の時に言ったの。それで2か月間練習した頃にオマリーが骨折したから、代わりにサードを守った。

それでオマリーがケガから帰って来た頃に、今度はショートの久慈(照嘉)さんが自打球で怪我してショートを守ることになって。そしたら、センターの八木(裕)さんがスランプになってセンターを守ったんやけど、「あぁ本業か~」ってテンションが下がったね(笑)。

でも、そのタイミングでランナーを2回刺して、ホームラン級の打球を取ったのよ。それで「12球団ナンバーワンの外野手が現れた」って騒がれたんよ。

――その年にゴールデングラブ賞を初受賞しています。そこからコーチも教えてこなくなったんですね。

新庄 野村(克也)監督も「外野のことは新庄に任せとけ。俺も指示せん。新庄に全部決めさせろ」ってコーチに言ってたから。だから俺は誰にも指示を受けることがなかった。

――すごい信頼ですね。

新庄 俺が判断を間違えることは一回もなかったよ。だって、バッターやピッチャー、キャッチャーが一番よく見えるところにいるのはセンターやから。本当は全員の調子がよくわかる俺がサインを出すのが1番いいのよ。ただ敵チームが俺を見てたら全部バレるけど(笑)。

――確かに(笑)。実際にやったことはあるんですか?

新庄 2試合やったことがある。キャッチャーが山田(勝彦)さんの時に2回とも完封。そしたら、「剛志、次も頼む」って山田さんに言われた(笑)。でもその後はチームがダントツ最下位やったから、「もうどうでもいいわ」って思って、やらなくなったけど。

大谷翔平のスイングを研究したというIWAアカデミーの木村コーチのもとを自ら訪ね、体に負担がかからずにかっ飛ばせる打撃フォームの指導を受けた

■ファンの声援がないと「やったろう!」という気持ちにはならなかった

――新庄さんは今までメジャーで活躍したり、日本ハムファイターズを日本一に導いたり、ずっと夢を叶えて成功してきました。過去に失敗した経験はないんですか?

新庄 人生で一度もないのよ。失敗したことが。

――一度もないんですか?『ドクターX』(テレビ朝日)じゃないですか(笑)。

新庄 俺、米倉涼子なのよ(笑)。

――「俺、失敗しないので」ですか?(笑)。

新庄 俺はいつも成功する前に目標を言うやん。それですべて叶えてきたから。過去に失敗したことがないから、今回のプロ野球挑戦はものすごく面白いよね。これで、もし成功したら、「俺の人生は失敗がないのか」と思って、また新たに変わった目標が出てくると思うね。

――最後にプロ野球復帰を応援してくれているファンにメッセージをお願いします。

新庄 この1年間はマジでファンのみんなに支えてもらった。みんなの声援がないと「やったろう!」という気持ちにはならなかった。本当にみんなのおかげ。とにかく感謝しかない。

「新庄さんはファンに愛される」ってよく言われるけど、違うね。俺がファンを一番愛してる。昔は携帯電話すら見ない男だったのに、インスタグラムをはじめてからは毎日ファンと交流するのが楽しいし、応援してもらうことの大切さがものすごくわかった。

「インスタのフォロワーのみんなと戦う」って刺繍をグラブにも入れたしね。まあ、そのグラブは型付けがうまくできんかったから使ってないんやけど(笑)。

阪阪神タイガース時代から付き合いのあるインタビューマン山下。新庄さんにはいつも「しげちゃん」と呼ばれている。「番記者」としてプロ野球選手に復帰するまでを追い続ける

●新庄剛志(しんじょう・つよし)
1972年生まれ、長崎県対馬市出身(福岡県福岡市育ち)。1990年に阪神タイガース入団。2000年12月、日本人初の野手FA選手としてメジャーリーグに挑戦。ニューヨーク・メッツ、 サンフランシスコ・ジャイアンツで活躍。日本人初のメジャー4番、満塁本塁打、ワールドシリーズ出場の記録を持つ。現在は移住先のバリから帰国し、14年ぶりの現役復帰を目指している。最新刊『もう一度、プロ野球選手になる。』(ポプラ社)、公認応援歌『%1』(HARTY)が絶賛発売中

■『週刊プレイボーイ45号』(10月26日発売)では、不定期連載『直撃! 楽しんじょう』の第3回を掲載!