マラドーナのような選手は二度と生まれないし、だからこそ美しく感じるのだろうと語るセルジオ越後氏

初めて生でマラドーナを見たのは、日本開催だった1979年ワールドユース(現U-20W杯)の決勝だ。以前からアルゼンチンにすごい選手がいると話題になっていたんだけど、当時の日本ではサッカーはマイナーで、もちろんネットもない。彼のプレーを見たのはその大会が初めてだった。

マラドーナ率いるアルゼンチンの相手はソ連。小さな体で左利きの彼が好き放題にプレーしていたことをよく覚えている。

例えば、CKになるとアルゼンチンは全部ショートコーナーでマラドーナにボールをつなぐ。そしてドリブルで仕掛けてチャンスをつくる。技術で相手のパワーをねじ伏せていた。国立競技場に詰めかけた日本人のお客さんは「こんなサッカーがあるのか」と驚いていたね。

結局、アルゼンチンは圧倒的な強さを見せて優勝し、マラドーナは大会MVPに輝いた。当時はユニフォームのパンツの丈も短くて、とんでもない太さの太ももも印象的だった。86年のメキシコW杯優勝をはじめ、その後の彼の活躍は言うまでもない。

ブラジル人はサッカーに関してとにかくプライドが高く、なおかつアルゼンチンを嫌いな人が多いんだけど、みんなマラドーナのことは認めていた。

「(メキシコW杯準々決勝の)"神の手"はただのハンド。審判がヘタなだけ。でも、"5人抜き"はスゴい」「(W杯優勝3回の)ペレの次にうまい。W杯に一度も優勝していないジーコと同じくらいか少し上」という具合だ。こういうことを言われると、ジーコは「W杯での勝利がすべてじゃない」と言って怒るんだけどね。

単純な技術の高さだけで言うなら、今の時代にも素晴らしい選手はたくさんいる。でも、貧しい地域で生まれ育ち、ストリートで技術を磨いたマラドーナは、魚にたとえれば養殖じゃなく天然モノ。時折、誰も思いつかない、マネできないマジックを披露した。

どちらがよいか悪いかは別として、今はアルゼンチンに限らず、ブラジルでも子供の頃からサッカースクールに通い、システマチックなサッカーを叩き込まれる。監督がiPadを使って指示を出す時代だ。マラドーナのような選手は二度と生まれないし、だからこそ美しく感じるのだろう。

また、彼の場合はただうまいだけじゃなく、文字どおり国の全部を背負ってプレーしていた。戦争(フォークランド紛争)に敗れ、経済的に苦しくなり、治安も悪化。そんな厳しい状況にあるなか、W杯に優勝して希望の星になった。

世界のほとんどの人がアルゼンチンの大統領は知らなくてもマラドーナは知っているでしょ。まさにアルゼンチンの宝。薬物、アルコール依存などピッチ外でのトラブルの数々も、彼と同じような境遇で育った人たちにはとても共感できることだったんだ。

前述のワールドユース以降、日本でもにわかにサッカー人気が高まった。その後のW杯などでのマラドーナのプレーぶりには、小野伸二ら日本の選手もたくさん影響を受けている。

個人的にも、ワールドユースとちょうど同じようなタイミングでサッカー教室(さわやかサッカー教室)を始めたんだけど、子供たちをホメるときに「キミはマラドーナみたいだね」と言うと、みんな大喜びしていた。そういう意味では、もしかしたら今の僕があるのは彼のおかげなのかもしれない。

あらためて、亡くなるには早すぎた。ご冥福をお祈りします。

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