不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本のサッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史さん。

そんな福西さんの目に今の日本サッカーはどのように映っているのか? 今回から全4回にわたり、今の日本代表やJリーグについて、ご自身の現役時代のお話も交え語っていただく。

第1回目は、2022年開催のカタールW杯に向け重要な1年を迎えた日本代表について。コロナ禍という未曾有の状況下で開催された、昨年の親善試合を福西さんはどう見たか?

――今年は東京五輪や、2022年カタールW杯アジア2次予選・最終予選が行なわれる予定です。日本代表、五輪代表にとって大事な一年が幕を開けました。

福西 東京五輪から2022年冬のカタールW杯に向けて日本サッカーが盛り上がっていくためには、やっぱり東京五輪での成功は欠かせません。なんとしてもメダルを獲得してもらいサッカーの注目度を高めてもらいたいですね。

そして、五輪代表の主力選手たちが五輪後にA代表へ加わって、日本代表を活性化させてほしいと思います。

――その日本代表は、昨年は10月、11月にヨーロッパで国際親善試合を4試合行ないました。10月はカメルーンと0-0の引き分け、コートジボワールには1-0で勝利。11月はパナマに1-0で勝利し、メキシコには0-2で敗れました。福西さんは、この4試合にどのような感想をお持ちになりましたか?

福西 まずは試合をできたことが大きかったですね。森保(一)監督が1年振りとなる日本代表活動にどう臨むかに注目していたのですが、いきなり次のステップに進むのではなく、これまでの復習をしたように見えました。選手たちがチームとしての流れを再確認できたのはよかったと思います。

もしこの4試合を行なえていなかったら、3月25日から再開されるW杯アジア2次予選は、日本代表の活動としては2019年冬以来となっていました。

試合中に選手たちが戦い方を修正しようとなったときに、それだと立ち戻る場所が古すぎて曖昧になってしまう恐れもあった。その点でコロナ禍のなかでも代表活動が行なえたのは大きかったということです。

――試合の内容は、どう評価されましたか。

福西 これまで3バックはやっていなかった割にはよかったと感じました。限られたメンバーであれだけ抑え込めるなら相手に応じて3バックを使う選択肢もありますね。ただ、メキシコ戦のように両WBが守りに入ってしまうと、前線の人数が足りなくなって押し返せなくなる。そういう課題が浮き彫りになったのも試合で試せたからこそ。選手個々の能力は見えましたし、システムのなかでやれること、やれないことの線引きができたのは大きな収穫でした。

――そんな中で、印象に残った選手を教えて下さい。

福西 遠藤航ですね。もともと守備の上手な選手でしたが、海外に行ってプレーが洗練され、以前よりもボールを奪えるようになりました。ボールホルダーとの間合いの取り方、誘い方、接触の仕方など、ボールを奪いに行くか、行かないかの判断も含めて、ボールを奪う前の準備をしっかりやっています。そこが素晴らしいですね。

――日本代表でも守備的MFの軸になりつつあります。

福西 守備力に注目が集まっていますが、遠藤が成長したのは攻撃面ですよ。ボールを奪った後にパスで捌けるようになったのが大きい。日本人のボランチは、ボールを奪う能力に長けている選手はけっこういます。パスを捌ける選手もいますが、両方が揃う選手は実はそう多くないんですね。やっぱりボランチは守備ができて、パスも捌けるようになって初めて日本代表に定着できるのだと思います。

――ボランチは守備さえできればいいというわけではないんですね。

福西 そうです。守備ができないことにはボランチとして使われないのですが、代表などの上のレベルを目指すには攻撃ができないといけない。代表に入るだけか、代表に定着できるかの境界線もここにありますね。

――福西さんご自身は、どうだったんですか?

福西 プロに入るまではFWで、これは通用しないとボランチにコンバートされたのが95年でした。そこから守備を一から勉強して、96年はボールを奪えるようにはなりました。

――コンバートされたうえで、どのように守備に適応していったのでしょうか?

福西 当時の一番身近な手本がドゥンガでした。ボクは子どもの頃から器械体操をやっていたので身体能力はあったのですが、足は速くないし、体力もなくて。ドゥンガも足もターンも遅くて、1対1をやってもめちゃめちゃ弱い。だけど、試合になるとボールホルダーとの間合いの取り方やポジショニングが抜群だからボールを奪える。そういうところが勉強になりましたね。

――福西さんが守備に加え、パスを捌けるようになったのも、96年頃だったんですか?

福西 いやいや、全然でした。96年はまだパスは捌けなかったので、ボールを奪ったらすぐドゥンガに渡していて、守備も攻撃もできるようになったのは、初めてJリーグ・ベストイレブンになった99年頃だったと思います。

――福西さんが日本代表に初招集されたのも99年で、コパ・アメリカでしたね。

福西 そこで日本代表に入れましたが、代表レベルの速さや強さはシンドくて、「このままでは世界で戦うのは厳しい」と感じ、そこからさらにレベルアップするように取り組みました。日本代表でやれる技術と自信がついたのは2001年、2002年の頃でしたね。

――なるほど。今の日本代表の話に戻らせていただきますが、ほかに気になった選手はいらっしゃいますか?

福西 評価が上がったのは鎌田(大地)でした。トップ下はこれまで南野(拓実)がつとめてきましたが、鎌田をトップ下で起用する選択肢もおもしろいでしょうね。1トップに大迫(勇也)でトップ下が鎌田の組み合わせは期待しています。

――鎌田選手のどんな点を評価されているのですか?

福西 鎌田はもしかするとボールを持っているところだけを見ていると、評価が上がりにくい選手かもしれませんが、彼はボールを持っていないときの動きの質が素晴らしいんですね。何気なくポジショニングをしているように見えて、実は味方が使えるスペースを作ったりします。彼自身にスポットライトが当たる仕事は多くないですが、チームとして戦っていくには彼のような仕事ぶりは欠かせないものです。

――W杯アジア予選は3月から再開予定で、2022年冬のカタールW杯までの時間も限られてきました。そろそろ代表メンバーを固定した方がいいという考えもあると思うのですが。

福西 確かにW杯まであと2年しかありません。ただ、選手というのは2年間でかなり成長するので、ここで固定化してしまうと旬の選手を代表に融合させられないリスクがあります。

――森保監督のマネジメントはどうご覧になっていますか?

福西 森保監督の采配を見ていると、日本代表の基盤として考えているのが10月のカメルーン戦だったと思います。そこからメンバーや戦い方に少しずつ手を加えながら、多くの選手たちに日本代表の戦い方の根幹を共有させようとしました。

ボクはこのマネジメントに賛成ですね。多くの選手が代表での戦い方を共有できていれば、ここからの2年間にどの選手が急成長を遂げようとも日本代表に戦力として組み込めます。日本には東京五輪世代を含めた若い世代には有望株が多くいますので、彼らをカタールW杯までにどうA代表の戦力にするかまで、森保監督は見据えていると感じています。

――そうなんですね。次回はその若い世代について伺わせてください。

●第2回 福西崇史が思う東京五輪代表の選手に必要なものとは?「世代の中でのトップではなく、同じポジションのA代表選手を上回ることを目指すべき」

■福西崇史(ふくにし・たかし)
1976年9月1日生まれ 愛媛県新居浜市出身 身長181cm
1995年にジュビロ磐田に入団。不動のボランチとして黄金期を支える。その後、2006年~2007年はFC東京、2007年~2008年は東京ヴェルディで活躍。日本代表として2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップにも出場。現役引退後は、サッカー解説者として数々のメディアに出演している。