クラブ史上2度目となるラ・リーガ1部を戦うSDウエスカ。クラブが標榜(ひょうぼう)する"NO REBLEN(スペイン語で「最後まで諦めない」)"という理念を体現するのが、在籍2年目の岡崎慎司だ。初のスペイン挑戦となった昨季、チーム最多の12ゴールを挙げ、2部優勝、昇格の原動力になった。
舞台を1部に移した今季は、ウエスカは最下位に沈み(2月22日時点。以下同)、自身も1ゴールと、1部の壁に苦しんでいる。それでも24節までの直近5試合で勝ち点7を獲得するなど調子を上げつつある。悲願の残留へ、岡崎にかかる期待も大きい。
「今のままでは1部にとどまるのは困難だが、ここ数試合は内容がよくなっている。私たちは絶対に残留を諦めない。リーグが佳境を迎えていくなかで、岡崎の経験は必ずチームの助けとなるはずだよ」
カンテラ(育成機関)の最高責任者であるフアンホ・カマーチョ氏は、そんな展望を筆者に明かした。現在40歳のカマーチョ氏は、クラブの歴代最多出場記録保持者であり、低迷期からクラブを支えた象徴的な存在。トップチームにも強い影響力を持つレジェンドに、岡崎とクラブの育成事情について聞いた。
スペイン北東のアラゴン州に位置し、ピレネー山脈の麓(ふもと)にホームタウンを置くウエスカは、その歴史の大半を下部リーグで過ごしてきた。1960年に創立し、2部への昇格を果たしたのは2008年のこと。そして18年に初の1部昇格を果たすが、1シーズンで降格する憂(う)き目にあった。
選手として12シーズンを過ごしたカマーチョは、入団当時のことをこう振り返る。
「私が加入した06年は、わずか600人収容のスタジアムしかなかった。資金力、人材など、あらゆる面で1部を目指すには程遠い環境だったんだ。そこから少しずつ力をつけ、現在では7000人以上、もうすぐ1万人収容のスタジアムが完成する。その歩みは、非常に感慨深いものがあるよ」
13年には3部に降格するなど、2部でも下位、中位を行き来しており、岡崎が移籍した2019-20シーズンも前評判は高くなかった。だが、ドイツ、イングランドを渡り歩いてきた日本人の加入がチームを活性化させた。
「岡崎は身長こそ高くないが、空中戦で強さを発揮し、優れたヘディング技術がある。そして、最大の特徴はその運動量だ。常にDFのチェックを外す動きをやめないことで、チームに複数のパスラインをつくる。"オフ・ザ・ボール"の質の高さが、チームの得点力を引き上げた。
彼は昨季に12ゴールを挙げたストライカーであると同時に、その数字以上にチームの意識に変化をもたらしたんだ」
カマーチョの言葉どおり、岡崎はスペインの地でも"らしい"ゴールを積み重ねていく。サイドからのクロスやセットプレーでは、体勢を崩しながらも泥くさく頭で合わせるなど、1年目の選手とは思えない連携を見せ、フィニッシュに絡んでいった。カマーチョは、この適応力こそ「岡崎の神髄だ」と強調する。
「私を含めクラブ全員を驚かせたのが、岡崎の適応力だった。どれだけ実績がある選手でも、スペインサッカーに順応することは難しいこと。まして、スペイン語をほとんど話せない、ベテランの日本人選手が溶け込むのは並大抵の努力では叶(かな)わない。
しかし結果としては、最も得点を挙げたFWが、誰よりもチームのためにボールを追いかけていた。練習でも、積極的にコミュニケーションを図る姿が印象的だった。
そんな人間性と姿勢がチーム内に伝播(でんぱ)し、重要な存在になっていった。スペイン人よりもクラブの理念をピッチで表現できる岡崎が、信頼を勝ち取ることは自然な流れだったよ」
岡崎の活躍は、ウエスカに変化をもたらした。若い日本人選手をリサーチするようになっただけでなく、育成面でも育成年代の日本人を受け入れるきっかけのひとつになったのだ。
ウエスカは昨季、指導者の育成や育成年代のサッカーの発展に貢献する日本企業「ワカタケ」とパートナーシップ契約を結んだ。そのワカタケと協議した上で選ばれた7名の子供たちがカンテラの練習に参加しており、岡崎も彼らに講義を行なった。
スペイン国内では、この様子が多くのテレビや新聞で報じられている。参加生のひとりである早津成真(11歳)は、岡崎が口にした言葉が強く印象に残っているという。
「欧州では"これだけは負けない"という武器があっても、それ以上の強みを持っている選手がそこらじゅうにいる。だから、どこの国に行っても自分ができる最大限の努力を続けなければ、結果は出ない」
岡崎の存在により「ウエスカが日本への扉を開いた」とカマーチョは力を込める。
「日本人の特徴は、『勤勉さ』と高い技術を兼ね備えていることだ。育成年代では、カンテラのスペイン人と比べてもなんら遜色(そんしょく)はない。
若い年代で欧州のサッカーに慣れ、競争力のある環境に身を置くことで、ラ・リーガで活躍する選手も増えていくはず。下部リーグや下部組織から慣れていく、ということも選択肢のひとつだろう。
今後は長期的なプロジェクトとして、日本との連携を深め、練習生を受け入れていきたい。そこから、第2、第3の岡崎が育つ可能性も十分あるとみている」
日本が誇るストライカーによってクラブが転換期を迎え、後進への道を切り開いた。ウエスカと日本の結びつきは、これからより深く、強固になっていくはずだ。