2020年5月20日、全国高等学校野球選手権大会の中止が決定――。高校球児たちは、「甲子園に通じていない夏」とどう向き合ったのか?
小説家で強豪校の元高校球児でもある早見和真(はやみ・かずまさ)氏が、愛媛・済美(さいび)と石川・星稜(せいりょう)、ふたつの甲子園常連校のコロナ禍の夏に立ち会ったノンフィクション『あの夏の正解』(新潮社)を刊行。その舞台裏を聞いた。
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――早見さんが現在暮らしている愛媛県松山市には、今回の取材先のひとつ、済美(さいび)高校があります。昨年3月に春のセンバツ、続いて5月に夏の甲子園の中止が決まったとき、率直にどう感じましたか。
早見 みんながコロナで何かを失って、それを乗り越えていかなきゃいけない、でも何を乗り越えていいかわからないなか、彼ら(高校球児)は先陣を切って、命がけで追いかけていた目標を失いました。
それを社会全体が「かわいそう」という短絡的な上から目線で見ているように感じました。僕も最初はそうだったんです。甲子園中止が決まり、選手は泣き崩れ、監督も無念の表情を浮かべ、それでも最終的にはみんなで頑張っていこうと手を取り合う......みたいな、ありがちな光景しかイメージできず、だからこそ最初は興味が湧かなかった。
ただそこで初めて、高校野球をやっていた当時の自分の身に置き換えてみた。僕なら甲子園出場が叶(かな)わないのであれば、迷わず辞めていたはず。甲子園のない高校野球になんの意味も見いだせなかったと思うんです。
――夏の甲子園は、それだけ球児にとって絶対的な目標ということですね。
早見 これは今回の取材を通してたどり着いた答えでもありますし、自分の体験を振り返って感じることでもあるのですが、高校野球の正体って、皆が疑いもせず横並びで同じことをする同調圧力と、上の言うことは絶対の正義であるという上意下達(じょういかたつ)のふたつに集約されていると僕は思っています。
そして、そのふたつを守って歯を食いしばっていれば甲子園出場のチャンスが広がるという構図が、高校野球を100年間不動のものにも仕上げたし、いびつなものにもしていったのだと思います。
でも、その大前提だった甲子園がなくなってしまった。僕はそのとき、もしかするとそのふたつから解き放たれた高校球児に出会えるのではないかと思ったんです。高校球児が自分の言葉を持つ瞬間に立ち会えるんじゃないか、と。それはコロナ禍で、僕がいちばん見たかった、必要としていたものでした。
――作中では、済美のキャプテン・山田響選手が「身内が亡くなったことよりもつらい」と語るなど、球児たちにとって甲子園中止のショックの大きさは計り知れないものがあります。
早見 語弊を恐れずに言えば、多感な時期に人生をかけてきた目標を奪われるという、とんでもなく得難い経験をした彼らが、少しうらやましくもありました。
それは、幸運にも甲子園の土の上に立てた選手や華々しい活躍をした選手よりも、はるかに実のある経験かもしれない。ただこの経験を糧にできるのは、ちゃんと思考して苦しんでそれを乗り越えた人間だけです。
――作中で同じことを、済美の矢野泰二郎選手の兄で、2018年の夏の甲子園で満塁サヨナラ弾を放った元済美の矢野功一郎選手が語っています。
早見 弟の泰二郎選手について、「ちょっとだけうらやましくもある」と言ったくだりですね。彼は「わかりやすい壁を乗り越えた自分たちより、泰二郎たちのほうが乗り越えるものがずっと大きい」と言ってくれました。
これは今回の取材に一本の背骨を与えてくれた言葉でしたし、僕自身の背中を強く押してくれた言葉でもありました。
――コロナ禍の真っただ中、3ヵ月間、愛媛と石川を4往復したそうですが、取材は苦労も多かったのでは?
早見 コロナで行動が制限されたり、選手たちを前に感染対策を徹底しなければならなかったことはもちろんですが、何よりも彼らの本当の言葉を聞き出すためにはどうすればいいのかを、ずっと考え続けていました。
そもそも、本来は監督と選手だけがいる場に僕という"異物"が入り込んだ時点で、ノンフィクションといえるのかという葛藤が常にありました。
僕さえ現れなければ、甲子園中止という事実とここまで向き合うことなくこの夏を通過していたかもしれない選手たちを捕まえて、「こんなときだからこそ考え続けなければいけない」「流されることを否定してほしい」なんてことを話していましたし、17歳、18歳の少年たちにとってはある意味で残酷なことを強いているという自覚がありました。
でも、"異物"として取材する覚悟を決めたからには、こちらも腹を括(くく)って彼らと向き合おうという気持ちでした。
――両校の監督にとっても、苦しい夏であった様子が作中の随所からうかがえます。
早見 僕自身は指導者側の経験をしていませんから、この夏の前と後でふたりの監督の何が変わったのか本当のところはわかりません。しかし、図らずも同世代であるふたりの指導者が、本来は吐露しないであろう悩みをちゃんと打ち明け続けてくれたことは僕にとって鮮烈な体験でした。
自分が選手の側にいたときには、監督がこれほど真摯に悩み、苦しんでいるということに気づくことはできませんでしたから。少なくとも僕の目線から見た監督のイメージは大きく変わりました。
――取材と執筆を終えた今、あらためて思うことは?
早見 取材を始める前、昨年4月時点の自分への刃でもありますが、彼らを「かわいそう」という上から目線の同情を注いだ大人たちがたくさんいました。だけど、そういう目でしか見られないのは思考停止だと思うんです。
その大人たちは10年後、20年後「かわいそう」という目で見ていた対象に淘汰(とうた)されていくんだと思います。思考した人と、思考停止に陥っている人だったら、思考した球児たちのほうが強いに決まっているっていう確信があります。彼らが今までに見たことのない社会をつくり上げるべきで、その主役になると期待しています。
願わくは10年後か20年後に、今回取材した選手たちに「結局、あの夏はどういう夏だった?」と、もう一度聞いてみたい。これがどういう意味を持つ経験だったのか、本当の答えが聞けるのはそのときかもしれません。
●早見和真(はやみ・かずまさ)
1977年生まれ、神奈川県出身。2008年、強豪校野球部の補欠部員を主人公にした青春小説『ひゃくはち』で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2020年『店長がバカすぎて』で本屋大賞ノミネート、『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞と山本周五郎賞を受賞。ほかの著書に『ぼくたちの家族』『小説王』『ポンチョに夜明けの風はらませて』『かなしきデブ猫ちゃん』(絵本作家かのうかりん氏との共著)などがある
■『あの夏の正解』
(新潮社 1400円+税)
2020年5月、夏の甲子園の中止が決定。挑戦することさえ許されなかった高校球児たちは、「甲子園のない夏」とどう向き合い、何を見いだしたのか。元高校球児の小説家が、コロナ禍の愛媛・済美と石川・星稜という、ふたつの甲子園常連校に取材を敢行。補欠部員の青春を描いたデビュー作『ひゃくはち』から13年、再び高校野球の世界に飛び込み、未曽有の試練に直面した高校球児たちを記録したノンフィクション