代表決定戦で優勝し、東京五輪出場を決めた村上。今後はワールドツアーでランキングを上げ、日本からもう1チームが出場できる条件を得るために戦う

ビーチバレーボールの起源は、バカンスの遊び。それもあってか、ちょっと変わった経歴や能力を持った選手も多い。海外ではサッカー選手や元NBA選手もプロレベルでビーチバレーをプレーしており、ツアーのプロモートをする現役選手もいる。

日本にも"異端"な選手はいるが、5月22、23日に開催された「東京2020 ビーチバレーボール日本代表チーム決定戦(女子)」で優勝を果たし、日本代表に内定した村上めぐみもそのひとりだ。

敏捷(びんしょう)性と"読み"の守備、強烈なサーブを持つ日本屈指のレシーバー。石井美樹とのペアは世界ランキング32位で、日本のチームとしては最高位である。

現在35歳の村上の身長は165cm。細身で、強靱(きょうじん)な筋肉があるわけでもない。童顔も相まって見た目はごく普通の女性である。インドアでの実績もなく、当初は国内でも無名の選手だった。

2008年、大学を卒業して体育教師になろうとしたが、友人に誘われて新潟のビーチバレークラブ「上越マリンブリーズ」に入団する。ビーチの経験はほとんどなく日焼けも嫌いだったが、学生時代にインドアで完全燃焼できなかった村上は、「背が低くても頑張れる場所が砂の上にある」と感じた。

身長165cmと小柄で、ビーチ挑戦当初は攻撃面で大きなハンデがあった。しかし今はブロックをかわす技術、強く打つ跳躍力も身につけた

ただ、目標の新潟国体では優勝したものの、国内ビーチバレーJBVツアーではまったく勝てず、なかなかペアを組んでもらえない時期も。身長が低い上に跳躍力も技術もなく、「山なりのスパイクしか打てなかった」(村上)が、戦える場はここしかないと必死にプレーした。

ビーチバレーでは背が低い選手が狙われることが多いため、とにかく自分の能力を上げていった。結果、11年には国内ツアーで初優勝。14年には仁川(インチョン)アジア大会(韓国)の日本代表の座を勝ち取った。その大会では5位に終わったが、フィールドは少しずつ海外に広がっていく。

世界を明確に意識するようになったのは、リオ五輪のアジア大陸予選。村上は日本チームの一員として戦ったものの、4位で五輪出場を逃して涙を流した。

その後、東京五輪に向けてワールドツアーを積極的に転戦。今年7年目となる石井とのペアは、18年のジャカルタ・パレンバンアジア大会(インドネシア)でも銀メダルを取り、アジアを代表するチームとなった。

「昔は日本一さえも頭になかった」(村上)ところから徐々にステージを上げ、13年かけてついにオリンピックチケットを手にした村上。その競技人生を振り返って「不思議です」と大笑いするが、弛(たゆ)まぬ向上心と逃げずに立ち向かい続けた結果だろう。

ただ、「まだ仕事は終わっていない」という村上は、代表決定戦が終わると、すぐにロシア・ソチでのワールドツアーへと旅立った。

現在オリンピックランキング19位の石井&村上ペアだが、6月に15位以内に入れれば開催国枠とは関係なく、ランキングでの出場権が与えられる。つまりランクを上げれば、日本からもう1チーム出場が可能になるということ。

そのもう1チームの候補は、代表チーム決定戦の決勝で戦った鈴木千代と坂口由里香のペア。村上と石井は「大丈夫、もう1枠取ってくるから」と言い残して海を渡った。

「なんの取りえもない」小さな選手だった村上は、今や日本女子ビーチバレー界を背負う"大きな選手"になった。

今年で48歳になるとは思えないほど、体を鍛え抜く西村。実業家としても精力的に活動しているが、選手としても日本のトップレベルで活躍を続けている

一方、男子の異端プレーヤーは、今年48歳になる西村晃一。村上と同じように、身長175cmと高さはないものの、96年からインドアのVリーグで活躍。日本代表にもリベロで選出されたが、「スパイクを打ちたい」と02年にビーチに転向する。ビーチ歴だけで19年、第一線で活躍しているレジェンドプレーヤーだ。

西村の武器は、驚異的な跳躍力と、"スピードスター"と呼ばれるアジリティと機動力。ゲームコントロールも一級品で、試合の流れを読む力にも長(た)けている。巧みな戦術や時間の使い方で、劣勢であってもいつの間にか試合を掌握してしまう。

西村の異端さは年齢と、それを感じさせない身体能力だけではない。ビーチ転向と同時にプロビーチバレーチームを立ち上げ、実業家としても活動している。ビーチの大会やイベントを企画して開催することも。国内ツアーにおいては、自ら海外選手を招聘(しょうへい)して参戦し、ツアーの活性化にひと役買ってきた。

特に、アメリカAVPツアーの人気選手ケイシー・パターソンとのペアは日本ビーチ界に衝撃を与えた。高い基礎技術と、観客を盛り上げるパフォーマンス。日本選手に欠けていたものを見せつけ、その後のツアーに大きな影響を与えている。

そのほか、ジュニア世代の指導など選手の枠を大きく超える活動をしてきたが、「世界と戦う」ことは忘れなかった。

17年には右肩を故障して手術。年齢もあり、医者には完治が難しいと言われたこともあったようだが、半年余りのリハビリを経て復帰。満身創痍(まんしんそうい)のなか、集大成の東京五輪に向けて現役を続けてきた。

柴田大助とのペアは3シーズン目。コロナ禍の影響で国際大会が軒並み中止になり、ポイントが稼げなかったため、東京五輪開催国枠ランキングでは6番目(西村個人のランキングは5位)だ。

6月5、6日の日本代表チーム決定戦に出場予定だが、優勝してもその後の国際大会でポイントを大きく稼がなければ出場権が得られないなど、道はとてつもなく険しい。それでも西村は、一縷(いちる)の望みにかけて諦めずに戦い続ける。