スポーツキャスター・中川絵美里が、日本ラグビー界の至宝・藤田慶和を直撃! スポーツキャスター・中川絵美里が、日本ラグビー界の至宝・藤田慶和を直撃!

五輪の開催を信じ、表彰台でのメダルを夢見て、日々トレーニングに励むアスリートたち。今回、人気スポーツキャスター・中川絵美里が直撃したのは、日本ラグビー界の至宝・藤田慶和(パナソニック ワイルドナイツ所属/7人制ラグビー日本代表)。栄光と挫折を幾度となく繰り返してきたワンダーボーイが語る、東京五輪への思いとは。

■『スクール☆ウォーズ』の"主人公"が指導

中川 最初にお聞きしたいのはコロナ禍での取り組み方について、です。ラグビーは、チームプレーであることはもちろん、コンタクト(接触)プレーも欠かせないわけで、実戦はおろか、練習の時点で苦労されることが多々あったと思います。ちょうど1年前の4月に緊急事態宣言が7都府県で発出された頃、どのような状況でしたか?

藤田 練習内容はどんどん変更を余儀なくされました。ご指摘のとおり、コンタクトプレーが不可でしたので、やむをえずパスやスキルの練習に時間を割く形をとりました。実戦形式の練習ができなかったのはつらかったです。でも、徐々に感染対策を万全にすることでコンタクトの練習も再開していきました。実戦が再びできるようになったときの喜びはひとしおでした。

中川 藤田選手個人はどのような練習メニューをこなしていましたか?

藤田 僕、実家が京都なんですけど、ちょうど帰省するタイミングで京都府に緊急事態宣言が発出されたんです(20年4月18日付)。それで、身動きが取れない状況になってしまって、2~3ヵ月の間は地元で過ごしていました。

中川 では、実家を拠点にして個人トレーニングを積んでいたわけですね。

藤田 ええ。ただ、実家といえどもハードなトレーニングは自分に課していました。例えば、近所に明治天皇伏見桃山陵という名所があるんですが、そこの石段は230段あって、それなりに傾斜もありますから、全力で何度も走り込むとかなりのものです。

ですから、おばあちゃんがのんびり散歩している横で、僕は倒れ込んでいるという(苦笑)。施設が使えないので、知恵を絞って屋外でそういったトレーニングを実践していました。 

中川 出身校の東福岡高校(福岡県)や早稲田大学では寮生活でしたよね? 実家で鍛錬して自身を高めるというイレギュラーな状況で、戸惑いはありましたか?

藤田 最初の数日は、正直言ってありましたね。でも発想の転換というか、やがて好機ととらえるようにしました。例えば、食事。母親が全面的にサポートしてくれたりして、本当に助かりました。

ハードなトレーニングには高タンパク質低カロリーの食物が欠かせません。僕はそういったものを肉よりも魚で取りたいタイプなんです。魚の脂は疲労回復にもいいので、サケやブリ、サバなどの料理をお願いしてました。あとは、ミネラルもしっかりと摂取したかったので、めかぶですとか。食も大事ですね。

中川 意識的にそうやって"ピンチをチャンス"に変えていったわけですね?

藤田 そうですね、東京五輪が1年延期となったからにはその分、日々の生活や練習内容を見つめ直すことで、セレクション(代表選考)までの準備期間に多少のゆとりが出てきたと考えるようにしたんです。

中川 先ほど、出身校について触れましたので藤田選手のルーツについて、あらためてお聞きしたいです。そもそもラグビーを始めたきっかけというのは? 

藤田 小学校2、3年のときですかね。父親がラグビー部出身で、母校である伏見工業高校に連れていかれたんです。今はなくなってしまいましたが、ラグビードラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS)の舞台となった高校といえば、わかる人も多いかと。そこで、主人公の"泣き虫先生"のモデルである山口良治(よしはる)先生に遊びでラグビーを教えてもらう機会があったんです。  

中川 劇的なご縁ですね。山口さんの指導法はいかがでしたか?

藤田 ラグビーボールって、楕円(だえん)形ですよね。当然ながら、サッカーや野球のボールと違って丸くないし、転がり方も変則的じゃないですか。でも、それを山口先生がいとも簡単に扱っていて、驚きました。

中川 山口先生としては、ボールの動きが予測できているからすんなり扱えるわけですけど、藤田少年からすれば、魔法のように見えたわけですね。

藤田 そうなんですよ。さらに、菅平(すがだいら)高原というラグビー合宿の聖地が長野県にありまして。そこでも山口先生に遊んでもらったんですが、なんと高校生たちと一緒にやらせてくれたんですね。巨漢タイプの高校生相手に走りで競り勝ったもんだから、気持ちよくなっちゃって(笑)。今になってみると、山口先生の教え方はお見事でしたね。すっかりハマってしまいましたから。感謝してます。

中川 その後、強豪校の東福岡高校に進み、全国高校ラグビー大会3連覇を達成。高校3年の時点で、早くもセブンズ(7人制ラグビー)の日本代表に選出されていますが、その頃から世界と戦う意識は芽生えていましたか?

藤田 いや、小学生の頃からですね。例えば、日本の野球少年は日本のプロ野球を見て、プロを夢見るのがスタンダードですよね。でも僕は、南半球の、世界最高峰のラグビーリーグであるスーパーラグビーを見ていました。朝、小学校へ登校する前に、7時から再放送分をチェックしていたんです。世界と戦うことをイメージして。

中川 普通なら朝の情報番組を見るところを、藤田少年はスーパーラグビーでイメトレをしていたと(笑)。早熟だったんですね。

藤田 ですね(笑)。実際に高校へ入ると、徐々にその夢は現実化していきました。国際大会を経験するにしたがって、やっぱり世界と戦うのは楽しいな、と。思い描いていたとおりでしたね。

■大ケガ、リオ五輪、19年W杯での挫折

中川 史上最年少で15人制ラグビーの日本代表にも選出。早大に進み、順風満帆と思いきや、大学のデビュー戦で左膝靱帯(じんたい)断裂という大ケガをされました。このケガはその後のラグビー人生を左右するほどの大きな出来事だったと思うのですが......。

藤田 振り返ってみても、あのケガはしたくなかったなと思います。今でも、疲労がたまってくると若干、膝が曲がりにくくなりますしね。うまく付き合っていかないと仕方ないケガなんです。大学に入りたての頃、驚くほど波に乗っていた自分......それが一転して、どん底に突き落とされたわけですからね。すごく悔しかったことを覚えています。

中川 ご自身でベストな状況まで持ち直すまでに、どのくらいの時間を要しましたか?

藤田 およそ8ヵ月で、復帰できるまでには回復しましたが、なんやかんやで試合に出られるまでに10ヵ月ほどかかりました。自分の中で納得いくプレーが再びできるようになったのは、ケガから1年半たってからでしたね。

中川 当時、メンタルとしては、乗り越えていくのに大変な苦労をされたと思うのですが。

藤田 まったく治らないケガではなかったので、また代表にも戻れるだろうと。なので、リハビリも割とポジティブにできたんですけど、実際のところ、復帰直後にジュニア・ジャパン(*日本代表への登竜門。国内シーズン終了後、主に正代表でない選手で結成)の海外遠征に行っても、なかなか力を発揮できなかった。

ケガの療養明けだから仕方ないと思ってましたし、周囲もこれから徐々に頑張っていけよという雰囲気だったんですが、当時のエディー・ジョーンズ監督(12年~15年・日本代表ヘッドコーチ)だけは違っていて。

代表合宿のとき、呼び出されたんです。そこで、「まだまだ君はマインドが学生そのもの。インターナショナルで戦うとなれば、インターナショナルのマインドでないと通用しない。W杯には行けないぞ」と、叱咤(しった)されまして。

中川 インターナショナルなマインドとは? プロ意識のことを指していたんですか?

藤田 ええ。要は、プロというのは、どういう状況であれグラウンドでパフォーマンスを存分に発揮するために、100パーセント準備しておかなければならないんだ、と。そこでプロの厳しさというものを教えていただきましたね。あのケガがなかったら、ストイックにトレーニングする選手にはなれなかったと思います。

中川 さらに試練は続きます。16年のリオ五輪では、直前でバックアップメンバーに。正代表には選出されませんでした。これもまた相当悔しかったのではないかと。

藤田 そうですね、セブンズに関しては高校生の頃から代表に選んでいただいて、遠征に行くたびにレギュラーとして出させていただいていたので、選出される自信はかなりあっただけに、急にバックアップとなったときはすごく悔しかったです。初めて大舞台で試合に出られないという経験をして、自分の中では、人生最大の挫折といえるぐらい、心底悔しかった。


中川
 
当時、日本代表のセブンズは強豪ニュージーランドから大金星。その歴史的勝利を客席から見るという立場でした。そして、19年のW杯。前回の15年イングランド大会も話題になりましたが、19年は日本開催ということもあり、大変な盛り上がりを見せました。藤田選手の実績や実力からすれば、グラウンド上で歓喜の輪の中に入っていてもおかしくなかったと思うのですが、心境としてはいかがでしたか? 

藤田 確かに悔しかったですよ。でも結果、選ばれなかったのは僕自身の責任です。リオ五輪のときは、選考のやり方に対して正直納得がいかなくて、周りが見えなくなって、思わず不遜な態度を取ってしまった。今となっては、未熟だったと反省しています。19年W杯については......そうですね、やっぱり、あの時点では実力不足だったということです。

もともと小さい頃から「サッカーのW杯はあれだけ盛り上がるのに、なんでラグビーは話題にならへんの?」って、ずっと疑問に思っていましたし、もっとラグビーがメジャーになってほしいと心から願っていました。

15年W杯で国内のラグビーの注目度が劇的に上がった。だから、19年は、リオ五輪のときとは違ってあの選ばれた23人を応援するのがいちラグビー選手としての務めだと思い、一生懸命応援すると決めたのです。

中川 19年のW杯で盛り上がった熱をそのまま東京五輪にスライドさせるというのが理想的な流れだったと思います。しかし残念ながら、新型コロナの影響で五輪は1年延期。国内トップリーグもシーズン途中で打ち切りとなり、水を差された状況でした。その点においてはもどかしさはありましたか?

藤田 そうですね、本当に19年に15人制の日本代表が盛り上げてくれたので、セブンズ日本代表としては、絶対にこの勢いを東京五輪で加速させようという思いはありました。確かにコロナで出ばなをくじかれたというのはあるけど、でもまだ巻き返せるチャンスはあると思います。

中川 実際、藤田選手はその勢いを止めないために、1年前にYouTubeチャンネルを開設しましたよね。拝見したところ、テーマが多岐にわたっていて、しかも頻繁に動画がアップされていて感心しました。

藤田 15人制はあれだけ盛り上がったんですが、7人制ラグビー=セブンズって、なかなか認知されないんですよね。五輪開催前までにひとりでも多くの方に知っていただきたくて立ち上げたんです。

もうひとつは、子供たちにラグビーに対して目を向けてもらいたいという思いです。YouTubeなら、入りやすいかなと考えて。コロナの影響もあって、やりたい企画のまだ半分も実現できていない状況ですが、地道に続けていきたいです。

■"一日一生"の言葉で7人制ラグビーに没頭

中川 15人制と7人制、藤田選手はそれぞれで活躍されてきましたが、あらためて両者の違い、またセブンズの魅力についてお聞きしたいです。

藤田 大きく違うのは、セブンズのほうはグラウンドをいっぱい使って、スピードのある選手が走り抜ける。スペースを大いに活用して、個人技を見せられるわけです。ラグビーを見始めた方の大多数が、ルールがいまひとつわかりづらい、グチャグチャしているところが全然わからないと言います。

でもセブンズの場合は人数が少ない分、シンプルで明快。わかりやすい個々のプレーがたくさんあるんです。新人ウオッチャーの皆さんには、まずセブンズの試合を見ていただきたいです。試合も14分で終わるので退屈しない。もし、そこでラグビーの面白さを少しでも感じたら、徐々に15人制ラグビーの試合に入っていくともっと楽しめるでしょうね。

中川 となると、ラグビーの入門編としてセブンズは最適ということですね。

藤田 そのとおりです。並みいる世界の強豪国がひとつのスタジアムで2、3日間かけて行なうという、コンパクトな試合形式なんですね。出場選手が少ない分、世界の一流選手と日本代表選手のびっくりするようなマッチアップが見られるのも特徴です。

中川 セブンズにおいて、あらためて藤田選手の特徴とは? どこに注目すればよいですか?

藤田 僕はボールを持って走る快足というのが持ち味なので、そこはブレずに、引き続き頑張りたいです。さらに、ゲームメイクを担う司令塔の役割も背負っているので、その点にも注目してほしいですね。

中川 セブンズのなかでは、ユーティリティプレーヤーとしていろいろな役割を?

藤田 はい。セブンズは人数が少ない分、ひとりひとりの役割が増えますので。僕の場合、キックもしますし、ラインアウトの際のスロー(投げる)もこなしますし、スクラムの際のボール投入ですとか、多岐にわたってます。責任の度合いは高くなりますが、同時にやりがいも感じますね。

中川 15人制の日本代表でいえば、スタンドオフの田村優(ゆう)選手やスクラムハーフの流大(ながれ・ゆたか)選手、ウイングの福岡堅樹(けんき)選手らの役割をすべてひとりでこなすというイメージですかね......。少し踏み込んだ質問ですが、セブンズと15人制、どちらかを選べと言われたら?

藤田 ないものねだりになってしまうんですよね(笑)。それぞれの良さがあるので。でも、今はセブンズで頑張りたい。

中川 非常にやりがいを感じていらっしゃるんですね。チームをまとめる役割を担うに当たり、普段から心がけていることはありますか?

藤田 フィールドの内外で、いろんな選手とコミュニケーションを取ることはもちろん、普段から人間観察に力を入れています。ひとりずつのプレー、性格、生活ぶりを把握することでゲームに生かすことができるので。例えば、いざ試合で苦しい場面になったとき、A選手には檄(げき)を飛ばせばより力を発揮する、とか。

中川 常にアンテナを張り巡らせていると。でも、気が休まらないですよね(笑)。

藤田 ええ、本当に休めるのは、自分の部屋にいるときだけです(笑)。でも、意外と人の行動を見て、分析するのは嫌いじゃないので。

中川 東京五輪は7月開幕の見込みです。今の意気込みをお聞かせください。

藤田 個人としては、まず五輪前に代表選出のセレクションがありますので、まずはそこで自分が正代表としての出場権を勝ち取らないといけません。五輪で味わった悔しさは、五輪でしか返せない。セブンズはリオで4位という素晴らしい成績を収めましたが、表彰台にはあと一歩届かなかった。

だからチームがメダルを獲(と)れなかったこと、自分が出場できなかったこと、このふたつのリベンジを東京で果たしたいと思ってます。正直、不安な気持ちになる日もあります。でも、今の僕の支えになっているのは、リベンジに燃える気持ちです。

中川 お気持ちがひしと伝わってきます。何か、自分を奮起させる言葉はお持ちですか?

藤田 リオ五輪出場に向かっていたときは、オリンピックに自分のピークを持ってくればいいと思って、その手前の合宿で力を十分に出し切れなかった大きな反省があります。ですから、今回は"一日一生"という言葉を胸に刻んで、日々トレーニングしています。毎日を死ぬ気で頑張っていれば、結果がついてくるんだと信じて。

五輪で自分の人生をもう一度、勢いづけたいんです。それが終わったら、23年のフランスW杯出場を目指したいです。W杯は過去に一度だけ、しかも1試合しか経験していないので。まだまだ、やり残していることがたくさんあります。また日の丸を背負って、大舞台で、思いっ切り戦ってみたいんです。

●藤田慶和(ふじた・よしかず)
1993年9月8日生まれ、京都府出身。身長184㎝
東福岡高校時代に全国高校ラグビー大会3連覇を達成、18歳2ヵ月でセブンズ(7人制ラグビー)のワールドシリーズにてデビュー。さらに15人制日本代表では、18歳7ヵ月の史上最年少キャップを記録。15年W杯イングランド大会出場。現在、パナソニック ワイルドナイツ所属

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めるほか、4月からはラジオ番組『THE TRAD』(TOKYO FM)の水、木曜を担当

スタイリング/武久真理江 ヘア&メイク/石岡悠希 衣装協力/P.S.FA ete

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