東京五輪の代表選考を兼ねた陸上の日本選手権(6月24日~27日)。なかでも大きな注目を集める男子100mは、過去最速の"9秒台決着"になるかもしれない。
今年の陸上男子短距離界は、4月と5月に10秒0台の記録が出ず、アメリカを拠点にするサニブラウン アブデルハキーム(タンブルウィードTC)もなかなかレースに出なかったため、ヤキモキする状態が続いていた。
しかし6月6日の布勢スプリント男子100mで、山縣亮太(セイコー)が日本人4人目となる9秒台(9秒95)で優勝。19年にサニブラウンが出した9秒97の日本記録を更新し、一気に機運が高まった。
山縣は19年が10秒11、昨年は10秒42が年次ベストで、東京五輪参加標準記録の10秒05を突破していなかったが、布勢の予選を10秒01で走ってクリア。そこで大事を取って棄権し、日本選手権に備えることもできたが、「予選で少し失敗したスタートを修正したい」「世界大会ではこのレベルのタイムを2本そろえることが必要。決勝は五輪の準決勝という気持ちで走りたい」と、決勝への出場を決めた。
その攻めの気持ちが、予選より少し力強くキレのあるスタートに表れた。前半が得意な隣のレーンの多田修平(住友電工)にわずかに遅れたものの、中盤で追いつく。山縣が「多田選手がすごく近かったので、勝負を考えてラストまで自分のペースを崩さないことだけを意識した」と振り返ったように、並走したのも功を奏した。
「どこかで9秒台を出したい」と大会に臨んだが、決勝でタイムを意識しなかったことが、結果的にラスト20mからの伸び、日本記録の更新につながったのだ。
山縣は12年のロンドン五輪の予選で自己新の10秒07を出し、準決勝に進出したことで「日本人初の9秒台」を期待された。それは17年に9秒98を出した桐生祥秀(日本生命)に先を越されたが、山縣も同年と18年に10秒00を出し、9秒台の世界に突入できる力を見せつけた。
だが、さらなる筋力アップに取り組んだ19年は背中痛に悩まされ、6月下旬の日本選手権は肺気胸が発症して欠場。再起を目指した11月には右足首靱帯を断裂し、コロナ禍に翻弄(ほんろう)された20年は右膝痛に苦しんだ。
その間、19年にはサニブラウンが2度の9秒台を出して日本記録を更新。小池祐貴(住友電工)も9秒98を出し、山縣は取り残される形になった。
「ケガは自分の走りの課題を突きつけてくるものだと思い、『克服できればもっといい走りができる』と信じてトレーニングをしてきた」
山縣はそう当時を振り返るが、膝のケガは治ったと思っても、同じ動きをすると再発して完治しにくい。動き自体を変えようと試みたが、それで膝が痛んだときには「もう続けられないかもしれない」と弱気にもなったという。
そんななか、コーチをつけずに走りを追求してきたスタイルをやめ、女子100mハードルの寺田明日香も指導する高野大樹氏にコーチを依頼。膝に負担をかけないために「股関節や体幹など上半身の動きをよくする」といったトレーニングについて話し合いを重ね、走りを少しずつ洗練させてきたのだ。
これまでの道のりを、山縣は次のように語る。
「長かったですね。13年あたりから本格的に狙っていたので、もうちょっと早く出したかった。記録的には10秒00を出した3年前から0秒05縮めただけですが、肉体や技術だけでなく、内面的な考え方も変化しているので、すごく感慨深いです」
見ている者からしても、「出すべき人がやっと出してくれた」という安堵(あんど)感がある9秒台だった。
山縣に続き、布勢の決勝レースで2位になった多田も10秒01で参加標準を突破。日本選手権では標準記録突破者が3位までに入れば個人種目代表に内定するが、9秒台の記録を持つ4人と多田による5人の"サバイバル"の様相を呈している。
最有力候補になった山縣と優勝を争う1番手は桐生だろう。今季の公認記録は織田記念(4月29日)で出した10秒30。5月9日の五輪テストイベントはフライングで失格したが、そのときの飛び出しは角度がよく鋭さもあった。調子がよかったことで記録を狙う気持ちが過剰になり、失格につながったのだろう。
その感覚のよさを布勢でも見せた。2週間前から少しアキレス腱(けん)が痛みだしていたこともあって「予選の1本だけ」と決めていたが、中盤から加速し、追い風参考記録ながら10秒01を出した。
スタートでは少しつま先を引きずり、「セットからゴールまでは思ったより早かったけど、5mくらいまではもたついた」としながらも、「課題にしていた中盤から後半はイメージどおりに走れた。いつもなら決勝にならないと気合いが入らないが、今日は自分で緊張感をつくれたのが収穫かなと思います」と笑顔を見せた。納得がいかない結果が続いていたが、この10秒01で自信を取り戻したに違いない。
本来なら、そのふたりに立ちはだかるべきサニブラウンは、5月31日にフロリダ州で19年10月の世界選手権以来となるレースを走ったが、追い風3.6mで10秒25と物足らない結果だった。昨年は一度も走らなかったため、今年は早めに始動して冬場の室内から走ってもいいところだが、どこか不安を抱えていたのかもしれない。
日本選手権では、帰国後の2週間の隔離期間をどう過ごすかという課題もある。それでも持っている実力はトップクラスで、レースを重ねながら感覚を取り戻していく能力も高いだけに、いきなり快走を見せる可能性も十分。初日の予選と準決勝でどんな走りをするかで、優勝争いに食い込んでくるかどうかも見えてくるだろう。
もうひとりの9秒台選手である小池は、シーズン序盤から調子が上がらず、布勢の10秒13にも納得がいかない表情だった。
今季は"力を使う"走りが目立っていたが、本人は「体の状態はそこまで悪くないんですけど、力が入らないというか、パワーを引き出せる走りになっていない。それでわざと思い切り力んでみましたが、あまり進まない感じがするんです」と説明した。
ただ、「体の調子は日本選手権に向けて合わせる」と述べたようにピーキングはうまいため、どこまで走りの感覚を取り戻せるかがカギになる。
対照的に、勢いをつけて日本選手権に臨めるのが多田だ。布勢は追い風に恵まれた10秒01だったが、参加標準記録を気にせず勝負に徹することができるようになったのは大きい。徐々に体もたくましくなり、終盤で失速しなくなったのは山縣との並走でも証明している。
スタートから先行するスタイルだけに、ほかの選手に並びかけられる終盤でいかに力まないかが、大きなポイントになるだろう。
4×100mリレーメンバーまで考えると、100mで4位までに入った選手が有力だが、200mの選手も選考対象になる。そこでリレー入りを狙うのが、リオ五輪の銀メダルメンバー、飯塚翔太(ミズノ)だ。
今季は4月に20秒52を出し、100mも追い風参考で10秒18といい滑り出しで、五輪テストイベントは20秒48で優勝。その後、20秒24の参加標準記録突破を狙わずにレースを自重した不安はあるが、ベテランらしく一発勝負に合わせてきそうだ。
200mは100mの後に行なわれるが、サニブラウンが100mで感覚を取り戻せば、優勝候補の筆頭になるだろう。19年6月に参加標準記録は突破しており、トップスピードは抜群なだけに、100mよりも実力を発揮できるかもしれない。
同じく19年7月に標準記録を突破している小池も、6月1日の木南記念での前半の走りは100mと違ってスムーズだった。
本人は「後半がダメだったからビデオを見ていない」と言うが、向かい風0.8mで20秒59。順当に走れば3位以内に入る可能性が高い。状態に不安があるサニブラウンと小池にとっては、2種目出場が100mでも精神的にプラスに働くはずだ。
さまざまな要素が絡む最終決戦は、ゴールラインのギリギリまで目が離せない。