ホセ・ルイス・チラベルト 1965年7月25日、パラグアイのルケで生まれる。10代の頃から超攻撃的GKとして欧州や南米のリーグで長く活躍。1989年からは代表でプレーし、2002年日韓W杯にもキャプテンとして出場。2004年に現役を引退後、ボランティア活動などを経て、政界進出に意欲を見せる

希代の名GKが大統領選へ出馬――。そんなニュースが南米の地から聞こえてきた。ホセ・ルイス・チラベルト。世界最優秀GKに3度選出されたこのパラグアイ人が、2023年に予定されている母国の大統領選へ意欲を見せているというのだ。

選手として多くの名声を得てきた英雄は、今何を思うのか。オンラインインタビューで、自身の政治活動、サッカー感を語り尽くした。

「コンニチハ。元気デスカ?」

親日家で知られるチラベルトは、開口一番にそう話した。その風貌は、現役時代からずいぶんと丸みを帯びたように映る。引退後は世界中を飛び回りながらボランティア活動に従事し、貧しい国ではサッカーの普及活動も行なってきた。そんな生活の中で、あらためてパラグアイが抱える多くの問題を痛感したという。

現役時代に獲得した数々のトロフィーを前に、オンラインインタビューに応じたチラベルト。引退後にかなりふっくらしたようだ

「パラグアイでは12年以降、失業率が非常に高くなっていて、現在も7%を超えている。新型コロナウイルスの影響で悪化する可能性もあるし、治安問題も根強く残っている。世界的にも貧富の差が激しい国で、私が子供だった頃から本質は変わっていない。私自身も非常に貧しい環境で生まれ育った。そういう人間がトップに立たなければ、国は変わらないと思う」

パラグアイの都市、ルケの貧困街で生まれたチラベルトは、ボールすら買えない貧しい家庭環境で育った。そこから15歳でプロ契約し、5ヵ国、8つのクラブを渡り歩いたが、選手としてのルーツはストリートサッカーにある。

チラベルトといえば、超攻撃的なGKとして記憶に残っている人も多いのではないか。現役時代は守護神でありながら、プレスキックの名手として鳴らした。驚異的なPK成功率を誇り、FKでもゴールを重ねた。公式戦だけで60以上の得点を記録している。

「得点を奪う感覚、細かい技術はストリートで磨かれたんだ。GKが得点を取るためには、まず感覚を養う必要がある。南米の多くの選手がそうだったように、貧しい環境が"土台"をつくったんだ」

半面、貧しさゆえに道を踏み外す選手も多く見てきた。

「夜遊び、酒、女、ドラッグ。才能ある多くの選手が、誘惑に勝てず潰(つぶ)れてきたのも事実だ。その根底には貧困がある。私がボールを蹴り始めてから50年がたつが、大きくは変わらない。それを変えられるのは政治の力だと思う」

GKながらPKやFKでキッカーを担うことも多く、通算で62ゴール(そのうちPKが45点)を記録。積極的に攻撃参加するGKのパイオニアだ

現代サッカーでは、GKがペナルティエリアの外に出て攻撃の組み立てに参加することは一般的だが、1980~90年代にそんなGKの存在は異質だった。「時には強い批判にさらされた」とチラベルトは回顧する。

「初の欧州挑戦となったレアル・サラゴサ(スペイン)では、GKの常識を変える必要があった。今でこそドイツ代表のマヌエル・ノイアーのようにペナルティエリアの外でも勝負できるGKがスタンダードだが、私の時代は違った。前に出ると、『おい、何をしているんだ。頼むからゴールにいてくれ』と強烈なバッシングを受けたよ。それでも私は自分のスタイルを貫いて、世界一のタイトル、多くの個人賞も獲得できたんだ」

95、97、98年に世界最優秀GKに選出され、96年には、GKとして初の南米最優秀選手にも輝いている。だが、積み重ねたゴールの数や賞よりも、新しいスタイルへの挑戦に価値があった。ほかのGKの評価が、それを象徴していた。

当時は歴史的な名手が活躍していた。ピーター・シュマイケル、ミシェル・プロドーム、オリバー・カーン、ファビアン・バルテズ......さらに若かりし頃のジャンルイジ・ブッフォンやイケル・カシージャスがいた。そうそうたるメンバーを抑えて世界最優秀GKに選出された際、こんなやりとりがあったという。

「95年に初受賞したときは、プロドームやカーンと同じテーブルだったんだ。私の名前が呼ばれるとみんなが抱擁してくれて、『チラベル。君が最も優れたGKだ』と祝福を受けた。でも私は彼らにこう言ったんだ。『うれしいが、私自身はそうは思わない。単純なGKとしての能力は君たちのほうが上だよ』とね。それでも、私は他人とは違ったプレーができた。チャンスを創出し、ゴールを決められるキーパーはほかにいなかったから」

サッカー選手から政治家に転身した例は複数ある。古くはオレグ・ブロヒンやジャンニ・リベラ。"悪童"ロマーリオ、"リベリアの怪人"ジョージ・ウェアなどもここに該当する。選手としては革新的なスタイルを体現してきたチラベルトだが、目指す政治家像はどういったものなのか。

「自分が育ってきた国を、もっとよくしたい。シンプルにそれだけだよ。貧困を解決するには、貧困を経験した人間でないと痛みがわからない。人々の生活を知るためには、自らの足で歩く必要がある。そういった国民と同じ視点を持つ政治家を目指していく」

現時点ではブレーンを集める「チームづくり」の段階だ。それでも、本人いわく9割方は出馬の意向を固めたという。

「サッカーの世界で世界一になった経験からも伝えられることはある。夢は努力すれば叶(かな)うし、それを続けることで何かが変わる。そういった希望を人々に伝えたいんだ。スポーツで世界を変えるという意味では長く国の代表キャプテンを務めてきたことも、深い意味を持つはずだ」

型破りなプレースタイルで従来のGK像を刷新してきた功績は、後進の育成につながった。"政治家チラベルト"も常識にとらわれない舵(かじ)取りを見せるのか、注目したい。