9秒台4人の直接対決に注目が集まった、6月25日の陸上日本選手権男子100m決勝。東京五輪の代表選考を兼ねた大混戦のなか、自己ベスト10秒01の多田修平(住友電工)が9秒台の選手たちを突き放して優勝。それに続く2位でゴールに飛び込んだのは、まったくのノーマークだったデーデー・ブルーノ(東海大4年)だった。
デーデーは、前日の予選と準決勝も好調な多田と同組だった。両レースとも前半は離されたが、後半の追い上げで0秒03差、0秒04差まで詰め寄り2位に入るなど、仕上がりの順調さを見せていた。
ただ、日本選手権前の自己ベストは、昨年9月に記録した10秒20。今年5月の関東インカレで追い風5.5mの参考記録ながら10秒10を出し(3位)、6月の日本学生個人選手権で初タイトルを獲得したが、まだ"格下"だった。デーデー本人も、「(日本選手権は)予選から調子がよかったけど、決勝でも目標は5位以内だった」と振り返るように、表彰台は想定外だった。
しかしプレッシャーがない気楽さもあって、決勝の50~70m区間の最高速度は、全選手最速の秒速11.38メートル。その後の減速も抑える持ち味を発揮し、10秒19と自己ベストを更新した。五輪の参加標準記録(10秒05)は突破できずに個人での代表入りはならなかったが、400mリレーのメンバーとして五輪への切符を手にした。
ナイジェリア人の父と日本人の母を持つデーデーは、創造学園高(現・松本国際高)1年の秋までサッカー部に所属していた。陸上を始めたのは2年生になってからだったが、その年に10秒88を記録。3年時の7月には長野選手権で10秒45を出し、インターハイでは5位に入るなど素質の高さを見せつけた。
東海大では、男子400m日本記録保持者の高野進氏、北京五輪男子400mリレー銀メダリストの塚原直貴氏の指導を受けている。塚原コーチは、高校時代のデーデーについて「レースを見たときは、『だいぶゴリゴリ走るコだな』と思いました。今ほど、それを出力にはできていませんでしたが」と振り返った。
東海大に進学後、2018年にはU20日本選手権で優勝。昨年には自己ベストを10秒20まで伸ばしたが、塚原コーチは「本人はずっと納得していないというか......。純スプリンターとしてのコーチングもそれほど受けていないし、競技歴も5年強と短いから、彼自身がまだ自分の走りをわかっていなくて、いつも迷っていますね。ただ、焦ることはないですし、彼のキャラクターなんだとも思います」と話す。
当初は体の使い方がヘタで、力を出そうとしても、推力の方向が上に向いていた。そこで、東海大では上り坂だけでなく下り坂を走る練習も取り入れ、重心を落としながら、足を速く地面に接地することを意識させた。それによって推力が前向きになり、前傾姿勢でも前で足をさばけるようになった。
さらに、走るたびに自分の映像を見直していたのを、5月の関東インカレ以降は映像を撮ることをやめ、自分の感覚をコーチと話し合うようにした。ひとりで悩まないようになったことで走りがよくなり、学生個人の優勝につながったのだ。
デーデーの性格について、塚原コーチは「温厚で謙虚」と語る。怒ったり心を乱したりすることなく、いつもニコニコしていて周囲への気遣いもできる。練習では自分がやるべきことを地道にやり、他人に自分の主張を押しつけない、「スプリンターらしくない性格」だという。
それは日本選手権で結果を出しても変わらなかった。塚原コーチいわく、200mでも2位と結果を出した後に、「タイムは遅かったのに、なんでこんなに『よかった』と言われるんだろう」と、ずっとボソボソ言っていたという。
「よく『自信ないです』と言っていますが、本当に自信が持てていないんでしょう。今回は五輪選考会でもマイペースで走れたデーデーが2位になれたけど、重圧がかからない状態で同じメンバーで走ったら、絶対に無理です。
ただ、100m決勝の後に『あの中で2位になるなら、9秒9台を出したかった。本当はそんな勝負ですよね』と言っていたように、自分をすごく客観的に見られている。自信がないというのも、本人の最終目標がかなり高いところにあるということでしょう」
普段はチームの中でも特別目立つ存在ではないが、やり慣れた動きや、集中力が高まった状態での一瞬の爆発的なパワーは、塚原コーチも認めている。
「でも、その集中力を桐生(祥秀)君や山縣(亮太)君のように、自分でつくり出す"スプリンターの世界観"は持ち合わせていない。周りの雰囲気や緊張感に合わせて、集中力を高めていく感じです」
現在の目標は、パリ五輪に個人で出場すること。「ポテンシャルを発揮できれば、9秒台はすぐに出る」と期待する塚原コーチは、「きちっと実績を積み上げながら力をつけさせたい」と続けた。
「試合でもマイペースで、コーチの僕らがヤキモキします。学生個人や日本選手権の決勝はいつもより早めに動きだしていましたが、彼ならではの時間軸があるのでしょう。大会ではラウンドごとにタイムを上げて決勝に合わせるから、そういう野性の本能もあるのかなと。それをうまく成長につなげたい」
期待の新星は発展途上。東京五輪でリレーに出場できるかはわからないが、その経験を自信にすることが、次なる飛躍へのカギになる。