五輪開催の是非が問われるなか、着実に準備を進めてきたのがサッカーU-24日本代表だ。ずばり、チームの"心臓"を担うのは、オーバーエイジ枠で選出されたMF遠藤 航(えんどう・わたる)。本大会直前、中川絵美里(なかがわ・えみり)のロングインタビューに応じ、現在の心情を存分に語ってくれた。
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■五輪の1年延期決定は、むしろチャンスととらえた
中川 いよいよ、東京五輪開催まで1ヵ月となりました。まずは、オーバーエイジ枠(以下、OA枠)に選出されたときのお気持ちをあらためて聞かせてください。
遠藤 すごくうれしかったです。光栄に思いましたし、個人としては、結果的に東京五輪が1年延期になったのは、タイミングとしてはありがたかった。
中川 ありがたかったとは?
遠藤 本来であれば去年、自分の所属するVfBシュツットガルトがブンデスリーガ2部から昇格、OA枠に選出されたとすれば、その直後のタイミングで東京五輪に向かうというのが流れでした。でも、1年延びたことで、その間にトップのブンデスリーガでの経験が培われた。その分、五輪代表チームに貢献できる準備ができたという感覚はありますね。
中川 OA枠での出場ということで、今までの世代別での代表出場とは違いますよね? その立場であるが故の難しさはありますか?
遠藤 OA枠で加わる一番の難しさというのは、短期間でそのチームにしっかりフィットして好影響を与えられるかどうか、そして完成度を上げられるかっていうことなんです。
前回のリオ五輪では、OA枠の選手たちが入ったことでチームの戦力は確かに上がりました。本当にありがたかったです。当時、浦和レッズでチームメイトでもあった(興梠)慎三さんもいましたし。ただ、個々で綿密に接する機会があまりなかったので、結果、チーム全体としてはフィットし切れなかったんです。
中川 やはり、五輪代表メンバーとOA枠3人との間に、融合するまでの時間が足りなかったということですね?
遠藤 ええ。それと、OA枠の3人が合流するということは、すなわち、今まで試合に出て、予選を一緒に戦ってきた3人が自動的に出られなくなってしまうわけです。キャプテンを務めていた自分としては、チームマネジメントの難しさに直面しましたね。試合に出られなくなった選手たちの気持ちをどうケアできるのか、という点で。至らなかった点は多々ありました。
中川 リオ五輪に対して、今回の東京五輪では割と早い段階でOA枠の3人が合流できたと感じるのですが、いかがでしょう?
遠藤 そうですね。6月の段階で僕らOA枠3人が加わって2試合こなせたのは、チームにとって大きかったと思うんです。7月に入るとさらにまた2試合こなすわけですから、準備の面では非常にプラス材料です。
それと、五輪代表メンバーの中にはA代表を兼ねている選手も数人います。お互いのことをわかっているのはアドバンテージだと思いますね。なので今回は、チームマネジメントについて、そんなに心配はしていないです。
中川 遠藤選手から見て、東京五輪代表はどういうチームでしょうか?
遠藤 ポテンシャルは非常に高いと思います。例えば、リオ五輪代表では海外組の選手はふたりしかいなかったですけど(南野拓実と久保裕也)、今回はほぼ半分、スタメン11名を海外組だけで組めるぐらいそろってますからね。やっぱり、若いときから海外でやってる選手は自立心があります。自分の特長だったり、チームのためにどう役割を果たすべきだったりをよく理解している。
中川 海外組の持ち味は、タフネスということでしょうか?
遠藤 はい、生活環境がまったく違いますしね。言葉の壁もそうですけど。つくづく、日本がいかに恵まれているか痛感させられます。
僕自身のケースでいえば、海外初挑戦だったベルギーのシント=トロイデンVVがそうでした。それまで所属していた湘南ベルマーレや浦和レッズとは比較にならないぐらい環境面は悪かった。でも、ステップアップするために覚悟を決めて臨めば大いに成長できます。ですから、海外組は揉(も)まれている分、技術もメンタルも高レベルですね。
中川 一方で、国内組についてはいかがでしょうか?
遠藤 国内組は、一緒にプレーした選手がそんなにいないので、むしろ率先して声をかけるようにしてますね。ピッチ上ではもちろん、ピッチ外でもどれだけ貢献できるか、それがOA枠メンバーの役割だと思うんです。彼らが五輪を経て、その先のサッカー人生をどうたどるべきか、自分が得た経験を伝えられたらいいなって思ってます。
中川 遠藤選手の面倒見の良さを如実に伝えるのが、YouTubeに上がっている五輪代表の舞台裏密着映像でした。A代表とのテストマッチ直後のロッカールームで、遠藤選手が橋岡大樹選手に「浅野(拓磨)にぶち抜かれてんじゃねえよ!」と、叱り飛ばした場面が印象的で。
遠藤 橋岡に対しては、そんなに怒ったわけではないんですけど話題になっていたみたいですね。橋岡も彼のお母さんから「アンタ、遠藤さんがああやって言ってくれてるんだから、しっかりやりなさいよ!」って、説教されたみたいです(笑)。
中川 でも、愛がある感じがしました(笑)。あのように、積極的にコミュニケーションを取られているんだなと。
遠藤 橋岡はいい選手なんです。もともと浦和レッズで一緒にやってきて、よく知っている。でも今後、彼がA代表に入るためには、海外でさらにトップへいくためには、OA枠メンバーである自分が言わないと。橋岡のみならず、国内組の選手たちにも、やっぱりもっと上を目指してほしいんです。
中川 頼もしいかぎりです。遠藤選手は、リオ五輪本大会ではグループリーグ敗退という悔しい結果だっただけに、その厳しさを人一倍味わっています。ずばり、東京五輪で勝ち上がっていくためのポイントはなんでしょうか?
遠藤 連戦になるでしょうから、何よりもチームの総合力がカギになると思います。中2日ぐらいの過密日程が続くなかで、メンバーをターンオーバーさせても力が落ちないチームが上にいけるでしょう。
あとは、当たり前のことですが、まずは予選突破ですよね。最初の試合と2戦目が本当に大事です。絶対に落としたくない。いい形でルーティーンができれば、おのずと上が見えてくるはずです。
■コロナ禍のドイツ、家族との結びつき
中川 遠藤選手といえば、4児の父で、家族愛もとても強い印象ですが、遠藤選手のご家族はOA枠選出についてどのような反応でしたか?
遠藤 奥さんはすごく喜んでくれました。彼女の両親にも電話で報告してくれて。でも、子供たちはまだ小さいので、全然リアクションは薄かったです(笑)。長男は、自分の父親が日本代表のサッカー選手だということで、なんとなく理解してくれていますが。
中川 ご長男は、けっこうお父さんのプレーをチェックされているんですか?
遠藤 いつも試合前には「パパ、今日は点取ってきてね」と。僕はそういうタイプの選手ではないので、「パパはそんなに点取るタイプじゃないから、わからないなぁ」と返すんですが、終わって帰宅すると、「パパ、今日も点取らなかったね」と(苦笑)。子供としては、やはりゴールゲッターのほうがわかりやすいんでしょうね。
中川 なかなかハードルが高いですね(笑)。
遠藤 なので、最近は長男のリクエストに応えるべく、シュート練習に力を入れてます。おかげさまで、だいぶミドルシュートとかも決まるようになってきましたが。
中川 攻撃面でも目覚ましいですよね。今年2月のブンデスリーガ第23節の対シャルケ戦では2ゴール2アシストを記録。つい最近のA代表ジャマイカ戦(6月12日)でも素晴らしいゴールを決められていました。いよいよ、ご長男もサッカー選手を目指そうという気持ちになるのでは。
遠藤 それが、将来の夢はプロゲーマーなんですよ(苦笑)。サッカーはやっていたんですが、コロナ禍もあって結局やめてしまったんです。
中川 そのコロナ禍ですが、遠藤選手とご家族が暮らすドイツも去年から今年にかけて大変な状況だったと思います。ずいぶん苦労されたのではないですか。
遠藤 去年のドイツ国内は、おそらく日本よりもひどい状況だったと思います。感染者数は爆発的に増加して、試合は当然ながら、練習も一切できなくなって。1ヵ月半ぐらいは何もできなかったですね。
ようやく、再開したのは上限5人までのグループ練習からでした。ただし、シャワールームの使用は厳禁、自宅で浴びてくれと。とにかく接触を避けるよう厳命されていました。
中川 日常生活でも、かなり制約はありましたか?
遠藤 ええ。飲食店はすべてクローズ、スーパーだけが開いていて。でも、僕ら選手はスーパーへも極力行くなと。僕の場合、奥さんが行ってくれたので助かりましたが、独身の選手は知人とか家族を頼らざるをえない状況でしたね。
中川 1ヵ月半以上、自宅からほぼ出られないという厳戒態勢のなか、どのように過ごされていましたか?
遠藤 逆に、めっちゃのんびりしてましたね(笑)。僕にとっては、千載一遇のチャンスに映った。家族とゆっくり過ごせるわけですから。頭の中のスイッチは完全にオフにして、サッカーから離れていました。もともとそういう頭の切り替えは難なくできるほうなので。
4人の子供たちとはずいぶん遊びましたね。ずっと家に閉じこもっているので、普段だったら、ソファで跳びはねたり、家じゅうを走り回るのは禁止だけど、「どんどんやっちゃっていいぞ」とOKを出して(笑)。
中川 充実した時間がつくれたというわけですね。ただ、お子さんたちの学校もドイツ国内の場合はいろいろ規制がありましたよね?
遠藤 学校が閉鎖になってから1ヵ月後ぐらいに、試験的にオンライン授業が始まったんです。すべて英語対応なんですが、長男と次男、長女の3人分となると、授業のコマ数も、宿題の量も半端じゃない(笑)。ここ1年ぐらい、そんな状況が続きましたね。
中川 一方で、練習が再開するまでは自主トレなどはどのようにされていましたか?
遠藤 自宅のガレージをジム施設のように改造したんです。自分で人工芝を敷いて、クラブの知人のつてを頼って、ランニングマシーンを購入したり。もちろん頃合いを見計らって、外へ走りに行ったりもしましたけどね。それなりに充実していましたね。
■選手ができることは勝つことしかない
中川 コロナ禍という極めて不安定な状況の下、20-21年シーズンは、デュエル(1対1)勝利数がブンデスリーガで1位という快挙を達成しました。
遠藤 そういう数値が出ていることは、開幕から2ヵ月ぐらいは知らなかったんです。で、どこかのメディアに取り上げられているのを見て、これは1位を獲(と)ろうと。
日本人はフィジカルで劣るといわれて久しいですけど、クレバーさとか、ポジショニングの良さとか、 頭脳を働かせれば勝てないわけじゃない。あと、デカい相手と対峙(たいじ)しても、ビビらないことですね。それが結果につながったのかなって思います。
中川 臆せずに挑めと。
遠藤 そう、当たってみたら意外といけるじゃんって。無論、フィジカルはある程度鍛えないといけませんが。僕もプロに入りたての頃は、どうしても弱い部分があったので。
でも、筋トレだとか、海外に出たことで劣悪なピッチでも対応できる下半身の強さなどを積み重ねてきたところに、あとはメンタルとクレバーさを加えれば、必ず結果はついてくると思います。事実、そうでしたし。
中川 お話をお聞きしていますと、遠藤選手は、本当に強靱(きょうじん)なメンタルの持ち主なんだと、心底思います。どうやって培われたのですか?
遠藤 どうなんですかね、もともとそんなに緊張するタイプじゃなかったんですよ。そこに今は磨きがかかったというか。試合直前でも、普通に知り合いとかと電話したり、メールしたり。英語を習っている先生からも、「会社員が普通に出勤するような感覚で大一番の試合に出てるよね」と(笑)。
僕としては、大事な試合でも、いつもこう意識してきました。「これは人生の中のひとつの通過点でしかない」。別におろそかにしてきたわけじゃないんです。なんでもないんだと、常に自分の心に言い聞かせ続けてきたことで、今では、特に平常心を意識しなくとも、力を発揮できるようになりましたね。
中川 若い頃からその感覚が根づいていたんですか?
遠藤 プロに入って、1、2年目ぐらいからですかね。
中川 挫折や焦りを感じるというのは今まで一度もなかったんですか?
遠藤 よく聞かれるんですけどね(笑)。唯一、18年のロシアW杯に出られなかったときぐらいですかね、焦ったのは。
周囲からは「今、遠藤は壁にぶち当たってる」と思われていた時期もあったでしょう。でも、当の僕自身はそれを壁だとは感じていないんです(笑)。周りと比較して出遅れているとか、劣っているとか、悲観することがないんです。
常に、目標を据えて、そこに到達する、実現するにはどうしたらいいのか、そこに集中しているので。自分は自分です。つまり、マイペースということですね。
中川 目標という言葉が出ましたので、遠藤選手の今後、東京五輪に対する意気込みをお聞かせください。
遠藤 僕にとって、五輪というのは2度目の挑戦になります。もちろん、まだこの先もサッカーキャリアは続いていくので"通過点"になりますが、何よりも自国開催の大会に出られるというのは、一生に一度しかない。リオ五輪に出るためブラジルへ向かうときに、「次は東京開催か、いいなぁ」とうらやましく思ったことを今でも覚えています。
そして、予選敗退で終わってしまい、結果を残せずにリオを去った苦い記憶も全然忘れていません。「いい経験」で終わってしまったリオ五輪だけに、今度の東京五輪にかける思いは人一倍強いです。
中川 リオ五輪の時点で、東京五輪にOA枠で出場したいというお気持ちがあった?
遠藤 いや、当時はそこまで考えられなかったですね。まだまだ実力に値しないだろうと。本当に、ここ2年じゃないですかね。ブンデスリーガで試合に出るようになって、結果がついてきて、OA枠でいけるかもしれないと思い始めたのは。
中川 リオ五輪から5年。海外へ渡り、飛躍的な成長を遂げられましたが、今の遠藤選手がチームにもたらすことができるのは、ずばりなんでしょうか?
遠藤 勝つこと。それだけです。
中川 では、東京五輪ではメダルを全力で獲りに行くと。
遠藤 はい。今回の五輪に対して、いろいろな意見があることは重々承知してます。無事に開催されたとして、応援してくれる世間の人たちに僕ら選手ができることは何か。それは、結果を出すことしかない。
はっきり言いますと、今は金メダルを獲ることしか考えてません。僕らはそれ相応の実力を持っていると思います。金メダルを獲って、日本中がほんの少しでもいいからハッピーになってくれるように頑張りたいです。
中川 勇気が湧きます。東京五輪以降についてはどのような目標を立てていますか?
遠藤 来年にはW杯カタール大会が控えています。まずは最終予選を勝ち抜くために、A代表のスタメンとしての定位置を確保すること。そして、きっちりと結果を残して、本大会出場を決めること。本大会ではベスト8以上に進出することが目標ですね。今までの最高位であるベスト16の壁を越えたい。その立役者になりたいです。
中川 サッカーファンからすれば大いに期待したい、うれしいコメントですね。遠藤選手個人としては、いかがでしょうか?
遠藤 僕がいるVfBシュツットガルトは、06-07シーズンに優勝したのが最後で、長らくタイトルから遠ざかっています。今、若手を主体としたチーム編成で、僕はキャプテンを任されているだけに、再びマイスターシャーレ(優勝皿)を掲げられるチームにしたいです。
さらに、ヨーロッパリーグあるいはチャンピオンズリーグ出場も目指していきたいですね。チームできっちり結果を残せたら、その先はいよいよ、僕の長年の夢であった英国のプレミアリーグ進出。ひとつずつ、着実に目標を達成していきたいです。
(文・構成/高橋史門 スタイリング/武久真理江 ヘア&メイク/石岡悠希 衣装協力/ORIHICA mamian)
●遠藤 航(えんどう・わたる)
1993年2月9日生まれ、神奈川県出身 身長178cm
〇2010年、湘南ベルマーレにてJリーグデビュー。以後、浦和レッズ→ベルギー1部シント=トロイデンVV→現在、ドイツ・ブンデスリーガ1部VfBシュツットガルトの主将を務める。16年のリオ五輪でも同様にキャプテンとして出場。日本代表には15年に初選出、今や主力メンバーとして活躍している。MF、DF。
●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めるほか、現在はラジオ番組『THE TRAD』(TOKYO FM)の水、木曜を担当。