身長167cmながら相手を切り裂くドリブル、精密なシュートを武器に日本代表でもエースガードとして君臨する

千葉ジェッツの主将として、今季、チームを悲願のリーグ初優勝に導いた富樫勇樹(とがし・ゆうき)。バスケ日本代表をコート内外で引っ張る"男気あふれる司令塔"が明かす、東京五輪への熱い思いとは――。

* * *

■コロナ禍でも主将として盛り上げた「もぐもぐタイム」

「沖縄だったら、沖縄そばや個人的に好きなタコス屋さん。僕は生モノが苦手なので、北海道では火を通した海鮮料理。地方に行ったときには、その地で有名なものを食べることが多いんです。リフレッシュにもなるし、そうすることが試合へのいい準備につながると思っているのですが、今シーズンはそれができなかったですから」

そう語るのは、プロバスケットボールのBリーグで念願の初優勝を果たした千葉ジェッツのキャプテン、富樫勇樹。司令塔であるポイントガード(PG)の富樫はBリーグで初めて年俸1億円に到達した日本人選手で、SNSのフォロワー数も日本人選手トップ。人気、実力共に"Bリーグの顔"である。

もっとも今シーズンは新型コロナウイルスの感染対策のために、アウェーゲーム時の外食は禁止となり、ホテルでの黙食が基本になっていた。

しかし、それでも防げないのがコロナだ。3月の終わりにチーム内に陽性者が出て、千葉ジェッツは2週間強の活動停止を余儀なくされた。

活動が再開してからが大変だった。延期になった試合が平日に組み込まれ、レギュラーシーズン最終盤の約1ヵ月間は、ほぼ週に3回のペースで試合をこなした。沖縄や秋田でのアウェーゲームも組まれた過酷なスケジュールのなか、選手たちは心身共にストレスを感じていた。

この時期に、ホームゲームの後のロッカールームでは"ある儀式"で盛り上がるようになった。今シーズン、小学6年生以来となるキャプテンを務めた富樫が自ら宅配ピザを注文し、みんなで食べるのが恒例になっていったのだ。

平時のようにチームの士気を高めるための決起集会などもっての外で、外食もままならない。だからこそ、感染対策に気を配りつつであったが、試合後の「もぐもぐタイム」は選手たちのささやかな楽しみになっていた。

「試合後は小腹がすくので。おにぎりやサンドイッチは用意してもらえるのですが、個人的には、試合の後くらいは少しジャンクなものを食べたいと思って。それぞれが2、3切れ食べるくらいの量がちょうどいいかなと考え、勝手に注文していたんです。みんなが喜んで食べてくれたのはよかったです。もちろん、『キャプテンとしての責任感』みたいな大げさな話ではないですけど(笑)」

■初優勝の陰で両立させた個性とチームワーク

Bリーグ創設5年目の今季、3回目のファイナルで悲願の初優勝を果たした千葉ジェッツ。仲間と喜ぶ富樫(右からふたり目)

「もぐもぐタイム」が話題になり始めた頃には、千葉ジェッツはバスケットボールの面でも変化が目につくようになっていた。

試合中でもプレーが止まれば、声をかけ合い、必要なことを確認する。誰かが守備をサボろうものなら、ベンチにいる選手がそれを指摘する。優勝するために足りないものがあれば、妥協せずに追求していった。

対戦したチームの選手たちが、「お手本にすべき」と称賛するほどの気迫と一体感がいつしか生まれていた。

チームの歴史を考えれば、これは大きな進化だった。

「うちのチームをまとめるのは本当に大変です」と歴代のキャプテンが一様に語るほどの個性派集団だったからだ。

現キャプテンの富樫はチームの特徴をこう語る。

「千葉ジェッツは得意なことと、得意でないことの差がすごく大きい選手たちの集まりだと思います。その上で、各選手のよさを最大限に引き出し、得意でないところをチームとしてカバーするための作戦や戦術を大野(篤史)ヘッドコーチが考えてくれます」

個性とチームワークは相反するものではないが、両立させるのは簡単ではない。

それでもBリーグ開幕時から指揮を執って5年目となる大野ヘッドコーチのチームづくりの方針は揺るがなかった。 

こんな笑い話がある。

富樫はリーグの日本人選手のなかでも常に得点数がトップクラスだが、今シーズン、プレーオフにあたるチャンピオンシップでヘッドコーチに叱られたことがあった。

試合後のヒーローインタビューでのこと。前半終了間際に、コートの中央から放った超ロングシュートについて聞かれた富樫は、こう答えた。

「あの距離と残り時間であれば、どんなシュートを打ってもコーチから怒られないから、気楽に打てました」

しかし、その後ロッカールームに戻ると、大野ヘッドコーチからこう言われた。

「これまでに、シュートを打ったこと自体をオレが怒ったことがあったか?(笑)」

「そのとおりです。嘘をついてごめんなさい(笑)」と富樫が答えたことは言うまでもない。富樫は得意とするシュートでチームに貢献することを期待されていたのだから。指揮官に頭ごなしに叱られることなど決してなかった。

そういう方針があるからこそ、強烈な個性は千葉ジェッツのチームカラーとなり、リーグトップクラスの観客を集める人気チームであり続けているのだ。

もっとも、チームワークを美徳としがちな日本のバスケットボール界では、「千葉は個人技に依存したチームだ」と揶揄(やゆ)されることも多かった。

しかし、富樫はそんな意見に異を唱える。

「『それがなんなの?』って。そう言われる悔しさなんて少しもなかったです。一般的に『チームワークがいい』とされるチームでは、ある選手がほかの選手のためにスペースをつくったり、いいパスを出してあげたりしますよね。でも、味方のためにするそういうプレーだって、ひとつの『個人技』なわけですから」

バスケットボールの母国アメリカでは、どんなに素晴らしいチームワークを誇るチームでも、試合の終盤には中心選手に攻撃が託される。

そういうスタイルを富樫も大野ヘッドコーチも「責任」と表現し、大切にしてきた。

今シーズンの王者を決めるBリーグファイナルの優勝がかかった第3戦でも、残り4分を切ってからはほとんど、富樫か、シャノン・ショーターという助っ人選手がボールを持ち、攻撃を仕掛けていた。そして、平均失点がリーグで最も少ない宇都宮ブレックスの守備を崩して、優勝をたぐりよせたのだった。

「今の千葉の試合終盤の戦い方はいいカタチだと思うし、NBAっぽいなと感じます。そして、それが最後に優勝につながったと思っています」

Bリーグが開幕してから5年。千葉ジェッツの選手として挑んだ3度目のファイナルで、富樫が念願の初優勝を飾るまでには、そんなストーリーがあったのだ。

■"最強Bリーガー"が5年間抱き続けた東京五輪への強い思い

6月に行なわれたFIBAアジアカップ予選では強豪の中国相手に健闘したものの惜敗を喫した日本代表。7月5日まで東北地方で東京五輪に向けた第5次強化合宿を実施した

ただ、Bリーグのヒーローに休む暇はない。東京五輪に向けて、日本代表の強化合宿もおこなわれた。

「この合宿に参加した全員が意識してるのは、やはりオリンピックです。国際強化試合だけではなく、すべての練習がメンバー選考に関わってくるわけですから」

バスケットボール日本代表の五輪出場は実に45年ぶり。1980年代から90年代にかけての低迷期とは比べものにならないほど、日本バスケのレベルは上がった。

NBAでのドラフト1巡目指名やプレーオフ出場など、日本人としての新たな記録を次々と打ち立て、東京五輪でもチームのエースとして期待がかかる八村 塁。同じくNBAで活躍し、26歳ながら日本代表のキャプテンを任されることもある渡邊雄太。バスケの強豪国オーストラリアリーグで決勝を戦った馬場雄大。本大会では海外組の3選手に期待がかかるが、富樫はこう考えている。

「海外で活躍する3人は中心選手で、活躍も見込めます。でも、彼らの力だけで勝つことはできません。むしろ、そのほかのBリーグでプレーする選手が、世界の強豪を相手にどれだけできるかにかかっていると思います」

そう語る富樫も、今ではBリーグの顔として認知されている。リーグ創設からの5シーズンすべてでベスト5として表彰され、2年前にはシーズンMVPも受賞した。

ただ、富樫は高校1年生のタイミングでアメリカに渡った経歴の持ち主でもある。田臥勇太に次いでNBAのチームに登録された史上ふたり目の日本人選手なのだ(公式戦出場経験はなし)。その後はアメリカに次ぐバスケどころのヨーロッパにも挑戦した。

海外志向の強かった彼が、近年、日本でプレーしてきた理由はハッキリしている。東京五輪に出場したいという強い思いがあったからだ。

「オリンピックのメンバーに選ばれるためには『Bリーグで一番のPGになればいい』と考えて、やってきたので。ようやくチームを優勝させられたことは自信を持てますし、大舞台がこうして近づいているのがすごくうれしいです」

そうしたバックボーンがあるから、富樫は日本代表でも臆することはない。

今はNBAで活躍する渡邊にも気後れすることなく、自らの主戦場であるBリーグの試合に毎年、招待してきた。馬場が筑波大学3年時に日本代表に初めて選ばれたときには、2歳上の自身に対して敬語を使わないよう求めた。当時の馬場は、その申し出についてこう証言していた。

「気を使わせないようにしてくれたのかもしれないですけど、『タメ語』で話すようになってすごく親しくなりました。(富樫)勇樹とは『日本代表や日本のバスケを変えたいね』と話しているんです」

さすがの富樫も10歳以上離れている選手には敬語で話すが、ほとんどの選手とは敬語は使わず、同じ目線でコミュニケーションをとる。チームが強くなるために、なれ合いではない関係をつくるためだ。

そうやって日本代表の礎を築いてきた自負があるからこそ、富樫は、間もなく始まる大舞台を前に胸を張るのだ。

「日本は世界ランキングでも経験値でも、(わずか12ヵ国しか出場できない)今回のオリンピックでは一番下のチームです。でも、だからこそ、プレッシャーを感じて小さくまとまるのではなく、最善の準備をして、自分たちの持っているものをすべて出し切る。僕はそういう気持ちで戦いたいなと思います」

●富樫勇樹(とがし・ゆうき) 
1993年生まれ、新潟県出身。Bリーグの千葉ジェッツふなばし所属。身長167cm、体重65kg。ポジションはポイントガード。日本人史上ふたり目のNBA契約選手。