札幌に会場を移して行なわれる、東京五輪・陸上のマラソンと競歩(8月5~8日)。注目度はマラソンのほうが高いかもしれないが、メダル獲得の可能性となれば競歩のほうが格段に高い。特に男子は、AP通信によるメダル予想でも「金メダル2個」と世界的にその力が認められている。
五輪前哨戦の2019年世界選手権(カタール・ドーハ)では、高温多湿の悪条件のなかで20kmの山西利和(愛知製鋼)と、50kmの鈴木雄介(富士通)が優勝。鈴木は東京五輪でも優勝候補だったが、世界選手権後から続く慢性疲労の影響で、残念ながら出場辞退を決めた。一方で20kmの山西は好調を維持しており、金メダル最有力候補と目されている。
25歳の山西が競歩を始めたのは堀川高校(京都)の陸上部時代。13年に東京での五輪開催が決定したことがきっかけでトラック競技から転向した。
その後、京都大学に進んだ山西は、競技に対する考え方も独特だ。競歩はルール上、体の動きが制限されるが、「それが競歩の面白さでもあるが、『セーブしながら力を使う』というのはナンセンス。僕の場合は100パーセントの力を出した結果、その制限下に収まる動きが一番の理想です」と話す。
その理想を追い求めるだけではない。8km過ぎから独歩になった世界選手権の優勝も、次のように振り返る。
「横綱相撲のように見えたでしょうが、実は紙一重の勝負を淡々とモノにできただけ。僕は余裕がなかったし、何かがあれば負けていたかもしれない。競技である以上は勝ち負けの土俵からは絶対に逃げられない。動きの理想を追求するあまり、ひとり相撲になっては意味がありません」
山西が目指す勝ち方は「圧勝」。コロナ禍で国際大会に出られなかった時期も、それを追求した。日本の男子20km勢はここ数年、世界リスト10位以内に5、6人が入っている。そのなかで20年と21年の日本選手権は、勝負どころを見極めながら1時間17分台中盤のハイレベルな記録を出し、2位に1分前後の差をつけて優勝している。
東京五輪でのライバルは、今年3月に1時間16分54秒を出した王凱華(中国)だが、19年の対戦では3分以上の差をつけて2勝。世界選手権2位のワシリー・ミジノフ(ロシア)も怖い存在だが、山西が冷静な歩きをすれば、後れを取ることはないだろう。
さらに男子20kmでは、世界選手権6位だった23歳の池田向希(旭化成)にも注目だ。高校時代は実績がなく、東洋大学にマネジャー兼務で入部した選手。だが2年時の18年世界競歩チーム選手権の20kmで優勝し、翌年は1時間17分25秒を出すなど頭角を現した。
昨年は5000mで日本記録を出し、1万mも日本記録に0秒69差まで迫るなどスピードをつけている。うまくハマればメダル争いに加われるかもしれない。
一方の50kmは、海外のベテラン勢が強力なライバルになる。そのひとりが、3時間32分33秒の世界記録を持つ43歳のヨアン・ディニ(フランス)。世界大会ではムラがあるが、17年の世界選手権は2位に8分05秒差をつける、とんでもない爆発力を見せた。
また、15年の世界選手権と16年のリオ五輪を連勝した38歳のマテイ・トート(スロバキア)も、その後は影を潜めていたが、勝ち方を知っているだけに不気味な選手だ。
対する日本勢は、22歳の川野将虎(旭化成)が世界リスト1位、29歳の丸尾知司(愛知製鋼)が同2位でレースに臨む。競歩ふたり目の金メダルと予想されている川野は、高校3年時に10kmと20kmの高校ランキング1位になった選手。東洋大では、同じ静岡県出身で同学年の前出・池田とチームメイトになった。
2年時の19年3月に20kmで1時間17分24秒を出すと、1ヵ月後には50km2回目の挑戦で、それまでの日本記録を上回る3時間39分24秒をマーク。さらに10月の全日本高畠大会は、3時間36分45秒の日本記録で優勝し、東京五輪内定を勝ち取った。50kmの国際大会の経験がないのは不安材料だが、十分に頂点を狙える。
丸尾は16年の世界競歩チーム選手権から代表入りし、それ以降も国際大会で上位に入賞していたが、ほかの有力選手の陰に隠れていた。
19年の高畠大会も、日本記録を大きく上回りながら川野に敗れて涙をのんでいる。それでも今年4月の日本選手権でやっと勝利し、代表内定を果たした。幾多の悔しさを味わってきた経験を生かし、大舞台でも結果を出したいところだ。
日本の競歩界は、1991年の世界選手権から入賞者を出すようになり、2015年の同大会で谷井孝行(自衛隊体育学校)が銅メダルを獲得してからはメダルの常連国になった。
東京五輪開催が決定した後、競歩チームは日本陸連科学委員会の協力を得て「暑熱対策」を始めた。それが今では、尿比重による体調の状態、給水の摂取量や温度まで細かくアプローチしている。さらに国内の大会に国際審判を招聘(しょうへい)して、選手のみならず審判の意識も高めてきた。
合宿も所属チームの枠を超えて実施。正しい歩型の習得と共に技術を磨き、ケガの予防とコンディショニングも含めたパフォーマンスの向上の共通意識を持って、戦略的につくり上げてきた。
そうして15年に鈴木が20kmの世界新記録を出すと、ほかの選手の記録やメダルに対しての意識も大きく変化。前述の19年世界選手権のダブル金メダルへと結実した。東京五輪でのメダル獲得で、強化の成果を確実なものにし、さらに先へとつなげたい。