衝撃の暴露話から胸アツの豪華コラボまで――。YouTubeでレジェンド・プロレスラーたちがやたら元気だ。

右足切断から"義足レスラー"として復活した谷津嘉章(やつ・よしあき)選手を直撃インタビュー!

■レスリングをパラリンピック種目に

――近年、レジェンドレスラーの多くがYouTubeチャンネルを持っていますね。

谷津 タイプもいろいろだよね。レジェンド系は昔の裏話が多いけど、長州(力)さんなんかは昔のことは一切語らない。かと思えばカンちゃん(キラー・カーン)みたいに、昔のことを蒸し返して、めちゃくちゃバッシングするのもいるしな(笑)。

――『義足の青春』というチャンネルを始めたきっかけはなんだったんですか?

谷津 自分は一昨年、糖尿病で右足を切断したでしょ。そのときはさすがに落ち込んでたんだけど、「これでふさぎ込まずに、前向きにいろんなことに取り組んだほうがいいですよ」ってアドバイスされてね。それで「谷津嘉章という人間がこの世にいたんだ」という証(あかし)を残すために始めたんですよ。

アントニオ猪木さんだって、入院中だけど病室からYouTubeでメッセージを発信してるでしょ。俺も負けずに頑張ろうかなって、励みになってますよ。

――プロレスラーは人前に出る職業だから、リングを降りても画面を通して生きざまを見せるのはいいことですよね。

谷津 長州さんなんか引退してからブレイクしたもんな。

――長州さんの人気の理由はなんだと思いますか?

谷津 意外性のギャップが若者受けするんじゃないの。現役時代は「何コラ、タココラッ!」っていつも怒ってた人が、相当丸くなったもんな。昔はテレビ出演の話が来ても「バラエティなんか出るか!」って言ってた人が、今は出まくってるしな(笑)。

――あんなに面白い人だとは思いませんでしたよ。

谷津 あれは長州力というより、吉田光雄(本名)そのままだから。でも、長州さんの動画はほのぼのしてていいよ。カンちゃんの動画は悪口が生々しすぎて、聞いてて疲れるから(笑)。

――これからどんな動画を上げていきたいですか?

谷津 もともとは昔のプロレス裏話の動画を上げていたんですけど、今後はもっといろんなことにチャレンジしたいんですよ。昔は糖尿病って不摂生の代名詞みたいな感じだったけど、今は理解も進んできてるからさ。糖尿病の合併症で脚を切断してもこんなことができるっていうことを見せていきたい。

義足での聖火ランナーやプロレス復帰もその一環だけどね。再生数だけを考えたら、「不穏試合の真相」とかが一番伸びるんだけど、それだけじゃつまんない。後ろを振り返るより前を向いてチャレンジしなきゃ。

右足切断手術から約2年、今年6月の「サイバーファイトフェスティバル2021」で義足でのプロレス復帰を果たしたcCyberFight 右足切断手術から約2年、今年6月の「サイバーファイトフェスティバル2021」で義足でのプロレス復帰を果たしたcCyberFight

――自分も前向きになれる動画をつくっていきたいと。

谷津 それで俺のチャンネルを見た人が、「谷津が義足で頑張ってるなら、俺も頑張ろう」って思ってくれたら一番いいかなって。そういう動画づくりを心がけてますよ。まだまだやりたいことがいっぱいあるから。レスリングをパラリンピック正式種目にするっていう夢もあるしね。

――それはいいですね!

谷津 俺はモントリオール五輪(1976年)ではメダルが取れず、モスクワ五輪(80年)は日本がボイコットで出られなかったから、パラリンピックの初代金メダリストになりたい。

そのためには正式種目にするためのロビー活動もしなきゃいけないから、そこまでの道をYouTubeで流していこうかなって。俺は今65歳だから、70歳ぐらいまでにやりたい。俺が死んだ後、正式種目になって、また"幻のメダリスト"になってもしょうがないからな(笑)。

★【プロレスラーYouTube】元祖"格闘王" 前田日明・ネタに困ることはない格闘技界随一の博覧強記

■谷津嘉章・最終章『義足の青春』
チャンネル登録者数 1.46万人(9月14日時点)
谷津嘉章・最終章『義足の青春』 チャンネル登録者数 1.46万人(9月14日時点) 谷津嘉章・最終章『義足の青春』 チャンネル登録者数 1.46万人(9月14日時点)
聖火ランナーやプロレス復帰などの近況報告のほか、アンドレ・ザ・ジャイアントら伝説のレスラーの逸話や、「効いた必殺技ベスト5」など、プロレスの表と裏を縦横無尽に語る。「長州力にずっと無視されてるけど...」とのサムネイルがついた動画では、長州先輩への変わらぬ思いを明かしている

●谷津嘉章(やつ・よしあき)
1956年生まれ、群馬県出身。76年モントリオール五輪レスリング日本代表。80年新日本プロレス入団。以降さまざまな団体で活躍。2019年、糖尿病の影響で右足を膝下から切断。今年3月、義足で東京五輪の聖火ランナーを務め、6月にはプロレス復帰を果たした