現在、『週刊プレイボーイ』と『週プレNEWS』で連載中のマンガ『キン肉マン』。その原作を担当しているゆでたまご・嶋田隆司先生が9月25日(土)、神奈川県横浜市・横浜武道館で行なわれた「JBJJF第15回全日本マスター柔術選手権」に出場した。
嶋田先生は、1996年に日本に初めてできたブラジリアン柔術の道場に入会。その時は練習中にケガをしたことなどもあり一度練習から離れたが、今年1月、25年ぶりに柔術の練習を再開。指導してくれる先生の勧めもあり、大会出場を決意したという。
現在60歳の嶋田先生。還暦を迎えた漫画家が週刊連載の激務の中、格闘技の大会に出場するのは大変なこと。それでも「こんなおっちゃんでも頑張ってるんだってことを見せられたら」と、週2回の練習を重ね、この日を迎えた。
大会は帯の色と体重、年齢別にトーナメント戦で行われ、嶋田先生は「マスター5白帯ライト級」にエントリー。マスター5というカテゴリーは1970年以前生まれのエントリークラスで、60年生まれの嶋田先生は本来、65年以前生まれのマスター6だが、そのカテゴリーには他に出場選手がいなかったため、マスター5に入った。もちろん、マスター5では最年長の出場者だ。
また、ライト級は76kg以下という体重制限があるため、初めて減量も経験。1ヵ月で3キロ近く落としたという。
前夜は一睡もできなかったという嶋田先生。試合前、会場で話を聞くと、「いつもマンガの原稿を書くときのプレッシャーは感じてきましたけど、それとは違ったすごい緊張がありますね。朝を迎えた時は、もうどうしようかなって。試合前になると、緊張で逃げ出そうとするキン肉マンの気持ちがわかりますよ(笑)」と語っていたが、マットの上に上がると、リングに上がった時のキン肉マンと同様に、顔つきが変わった。
1回戦の相手は阿久津直人選手。体重は変わらないものの身長差はかなりある。
試合は開始直後に両者、道衣の襟(えり)と袖(そで)をつかみ組んだ状態でスタート。「僕は引いて(相手をマットに)落とすのが得意なので、自分から寝技に引き込んで、マウントポジションを取ってから、十字絞めという絞め技できめる作戦だった」という嶋田先生だったが、相手はなかなか倒れず、引いたところを押し込まれる形でテイクダウン。相手に2ポイントが入る。
そのままサイドポジションを奪われ、上からの絞め技、肩固めを極められる。脱出を試みながらしばらく絞め技に耐えた嶋田先生だったが、最後は落とされて一本負け。60歳の柔術初試合チャレンジは、こうして幕を閉じた。
試合後、マットを降りた嶋田先生は、清々しい表情の中にも悔しさいっぱいにコメントを残してくれた。
「いや~、悔しいですね。肩固めを極められたとき、なんとかタップ(ギブアップ)せずに逃げようと思ったんですよ。僕は絞め技けっこう耐えられるんで、まだ諦めてなかったんですけど、最後は落とされてしまいましたね。気がついたら、係員の人がいっぱいおって『あっ、終わったんや』って。落とされたのは練習含めても初めてです。
相手は大きくて強かったですね。自分は倒すのうまいんで、勝つと思ったんですよ。でも、倒れなかったですね。力がものすごく強かったです。今はものすごく悔しいですね。だからこれで終わりじゃなく、次に向けてもっと練習しようとしか考えてないですね」
敗れたものの、嶋田先生の奮闘ぶりは、日本ブラジリアン柔術会長で格闘技界のレジェンドである中井祐樹さんも次のように称賛する。
「はじめての試合で、失神するまで絞め技を耐えたっていうのはスゴいですよ。負けたくないから、『まだまだ大丈夫だ』とタップしなかったわけだから。柔術に対して真摯に取り組まれているんだなっていうのが、試合からもわかりましたね。
マンガの週刊連載をしながら練習通って、試合までやるなんて、普通できないですよ。60歳からでもチャレンジする素晴らしさを見せてもらいました」
嶋田先生自身は、柔術の練習はまだまだ続けるとともに、この経験を漫画にも活かしたいという。
「試合へ向けた日々の練習から何から、本当にいい経験になりましたね。試合をするのも初めてなら、落とされたのも初めてだし、このいろんな経験は『キン肉マン』にも活かせると思います。
10月に61歳になるんですけど。還暦最後のいい思い出になったし、今は60代でも、もっともっとチャレンジを続けていこうっていう気持ちになっています。とにかく協力してくださったみなさんに感謝ですね」
そして最後にキン肉マンファンに向けて、こんなメッセージを残してくれた。
「今回、僕は負けてしまいましたけど、キン肉マンはここから火事場のクソ力で反撃しますから。60歳のおっちゃんも頑張るから、みんなも日々のいろんなことを頑張ってほしいですね。僕もまだまだやりますよ!」
"進化し続ける漫画"と言われる『キン肉マン』。その源は、作者である嶋田先生のチャレンジし続ける気持ちにあると感じられた、柔術試合初チャレンジだった。