東京パラリンピックで初の決勝進出を果たし、一躍脚光を浴びた車いすバスケットボール日本代表。その中で、圧倒的なスピードやテクニック、戦術眼などにより存在感を示したのが鳥海連志(ちょうかい・れんし)だ。大会MVPを獲得してもなお貪欲に頂点を目指す"スーパーエース"の本音に、人気スポーツキャスター・中川絵美里(なかがわ・えみり)が迫る。
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■東京大会に向けて、車いすと肉体を改良
中川 東京2020パラリンピックでは銀メダル、そして大会MVPを獲得と、見事な活躍ぶりでした。たくさん声をかけられたと思うのですが、印象に残っている言葉はありますか?
鳥海 大会が終わった後、長崎の実家に帰ったとき、最初に親から言われたのが「おめでとう」ではなく、「おかえり」だったんです。なんかこう全然変わりなく、昔に帰った感覚になりまして。原点回帰っていうんですかね。東京大会ではいろんな方から祝福の言葉をいただいただけに、かえって印象的でした。
中川 ご自身の中では、大会で好成績を収めたことで、ひと区切りつけられたという安心感というのはありましたか?
鳥海 ありましたね。この5年間、ずっと思っていたのは、いい報告ができるように全力を尽くすこと。金メダルは逃しましたけど、それなりに結果が出せたということで、ホッとした部分はあります。
中川 もうひとつ話題になっていたのは、マンガ『スラムダンク』の登場人物・流川 楓(るかわ・かえで)にそっくりだという評判。鳥海選手の耳には入っていましたか?
鳥海 はい、すごく盛り上がっていると。でも、なんか恐縮しちゃいますよね(笑)。プレースタイルも流川のように華麗じゃないし、どっちかっていうと、僕の場合は泥くさく、粘り強いところが持ち味なんで。
中川 なるほど。でも、このように納得がいく結果を収められたのは何よりでしたが、それまでの道のりは大変だったと思います。コロナ禍の影響も相当ありましたか?
鳥海 確かに、開催の1年延期が発表された時点では、モチベーションをどう保っていくか、難しさは感じました。ただ、そうはいっても、開催の可否やメンバー選考というのは、僕がコントロールできる話ではないですし。自分ができることは何か。それは、開催を前提にしっかりとトレーニングすること以外ないわけです。
中川 車いすバスケットボールは接触プレーも多く、コロナウイルスが猛威を振るう状況下での練習は困難だったのではないでしょうか?
鳥海 そうですね。体育館が使用できないとか。なので、基本的には自宅近くの公園に行って、ランニングしたり、屋外用のボールを使ってドリブル練習をしたり。そこにゴールがなくても、シュートの練習をしたりしてました。
中川 日常生活の面ではいかがでしたか?
鳥海 家にいる時間が長かったので、自炊が半ば趣味になっていましたね(笑)。上京した最初の頃はけっこうやってたんですけど、それから2年ぐらいは全然やってなかったんです。でも、ステイホーム期間は料理にハマりました。
中川 そうだったんですね! ちなみに得意な料理は?
鳥海 豚バラと白菜のミルフィーユ煮ですかね。めっちゃ、ヘビロテです(笑)。かなりの頻度で作ってます。
中川 なるほど(笑)。でも、ご自身でそれだけ自炊されるということは、食事、栄養管理に関しては相当気を使っているということですよね? この5年間で、以前の細身な体に比べると、かなりフィジカルが上がった印象を受けます。
鳥海 食品メーカーの味の素さんに、いろいろとサポートしていただいているんです。アドバイスはもちろん、「Cook Do」や「鍋キューブ」といった調味料も提供してもらって。食べて、動いての繰り返しで、かなりウエイトは増やしましたね。
中川 ウエイトを増やしたことで、プレー面にはいい作用をもたらしましたか?
鳥海 はい。実は、東京大会で使用した競技用車いすは、リオ大会よりも20cmほど高くしたんです。そうすることで競技の性質上、いろんなメリットが生じるんですが、その半面、重心が上がるので、バランスを崩しやすくなるわけです。
座高と重量がアップされた車いすを使いこなすには、やはり筋力と体幹の強さが必要になってくる。ウエイトを増やしたのは大正解でした。
中川 ウエイトを増やし、筋力をつけ、体幹を鍛えて対応するとはいえ、車いすの高さをアップさせることにはリスクも伴ったということですか?
鳥海 ええ。それは覚悟の上でした。僕が目指すのはオールラウンダー。高さ、スピード、そしてフィジカル。すべてを備えた選手です。となると、やっぱり重要になるのは競技用車いすの高さ。どんどん上げていきたいという意向をメーカーさんに伝えて、最終的に約20cmアップまでたどり着いたわけです。
■ディフェンスで勝ちに行く
中川 ウエイトの増量、トレーニング、車いすの改良。満を持して臨んだ東京大会でしたが、鳥海選手のなかでカギとなったのはどの試合でしたか?
鳥海 僕個人、チームとして、という観点でふたつあります。個人では、1次リーグの韓国戦ですね。東京大会では、ディフェンスで勝ちに行くというのが大テーマだったので、それがきっちりと果たせた最初の試合だった、と。
チーム全体では、準決勝のイギリス戦です。ディフェンスで勝つことに加えて、トランジション(攻守の切り替え)、クイックネス(瞬発力や素早さ)をしっかり実践することができた試合だったと思います。
中川 ディフェンスで勝ちに行くというテーマは、ずっと日本代表のなかで掲げられていたんですか?
鳥海 そうです、前回のリオ大会のときからです。普段の練習でも、選手間の話し合いはディフェンスが中心。オフェンスに関しても、ディフェンスからどうつなげていくかっていう。それだけディフェンスを突き詰めていたんです。
中川 そこまで徹底していただけに、決勝のアメリカ戦は本当に惜しかったですね。
鳥海 僕らがローテーションを回してディフェンスをしっかりやっても、やっぱりアメリカの決定率のほうが高かったんですよね。
イギリス戦の場合は、先ほどの勝因に加えてこちらが走り勝っていた分、ランニングシュートやレイアップシュートに持ち込める確率が高まったことで気持ちにも余裕が出て、より守備に集中できたから勝てましたが。
中川 私としては、1次リーグ初戦のコロンビア戦が鮮烈で。鳥海選手は、いきなりトリプルダブルを決めたじゃないですか。15得点、17リバウンド(シュートが外れてバックボードやリングに当たって落ちてくるボールを取ること)、10アシスト。3項目で2桁スコア。しかも、試合後のインタビューでそのことを振られたときに、人ごとみたいな反応をされていたのが、印象的で(笑)。
鳥海 あははは(笑)。あのインタビューのときに、僕も初めて知ったんですよ。自分がトリプルダブルを達成したんだって。普通に驚いちゃって。
中川 調子の良さは、試合中ご自身で感じていました?
鳥海 いや、なかったです。あの試合は、僕としてはモヤモヤしてたんです。もっと力強く勝ちに行けたんじゃないかと。それこそ、チーム全体でプレータイムをシェアしながら、畳みかけられたら良かったなと。
中川 そうだったんですね。とはいえ、鳥海選手はワンプレーで流れを一変させられる存在なんだと思いました。コロンビア戦での最終(第4)クオーター、残り5分で豊島 英(とよしま・あきら)選手に出したノールックでのバックビハインドパスとか、1次リーグの4試合目のスペイン戦でも途中出場ながら、すぐ得点とか。コートに入る際、どんなことを意識しますか?
鳥海 コートに入る際にまずチェックするのは、相手チームがどこから点を取りたいのか。それと、相手のキーマンにいかにフラストレーションをためさせるか、そこにこだわっていますね。
ディフェンス良ければすべて良しと言っていいぐらい、おのずとオフェンスも良くなる。ならばその分、相手の得点を抑えるために、いかにイラ立たせられるかを徹底するわけです。
中川 そのチェックですとか、不満をためさせるというのはより具体的に言うと?
鳥海 相手のキーマンやエースの動きを封じると同時に、相手チーム全体としてどこからのシュートパターンの確率が低いのか、つまりゴール下が悪いのか、スリーポイントエリアが悪いのかなどを、素早く見極めるわけです。
中川 なるほど、相手が苦手とするところにボールが行くよう、仕向けるわけですね。
鳥海 ええ。相手チームのなかでシュートの確率が低い選手に打たせるところまで追い込めるように、ローテーションを回すことを考えてますね。
中川 そこであらためて注目したいのが、東京大会での日本代表のリバウンド率の高さです。鳥海選手はその中心を担っていましたが、日本は海外と比べると、どうしても体格面や高さの部分で劣る印象があるのに、ゴール下でまったく競り負けていなかったですよね。その秘訣はなんですか?
鳥海 おっしゃるとおり、僕らは高さがないので、その代わりにボックスアウトに注力したわけです。要は、相手をゴール下に入らせない。シュートを打たれたら、「ボックスアウト!」のかけ声とともに相手をはじくわけですが、味方がボックスアウトしてくれている間に僕がリバウンドを取りに行くまでがひとつの流れでした。
中川 リバウンドを取るということは、どのあたりにボールが落ちていくのか、"読み"が必要になりますよね?
鳥海 そうです。ある種の「勘」っていうんですかね。シュートを打っている地点と軌道を見ながら、「あ、このへんに落ちてくるかな」と。僕はボックスアウトをある程度免除されているので、その分、勘を駆使して取りに行く場面がけっこうありました。
中川 もうひとつ、鳥海選手の代名詞と言ってもいい「ティルティング」があります。ジャンプの代わりに車いすの片輪を上げて高さを出すこの技術は、卓越したボディバランスを必要とすると思いますが、いつから自分の武器にされていましたか?
鳥海 ティルティング自体は、車いすバスケを始めてから割とすぐにできたんですけど、実戦となると話はまた別で、本格的に使いだしたのは東京大会からです。
中川 その理由は?
鳥海 先ほどお話ししたとおり、まずは車いすの高さを変えるところ、そこに慣れるところに注力していたので。高さが少しでも変わるとバランスが変わってくるので、ティルティングよりも、変更した高さに慣れるのが先でした。
それと、コロナ禍で合宿や試合がなかった分、結果的に東京大会での実践になったという事情もありました。
中川 鳥海選手はそういった技術面にフォーカスされがちですが、メンタリティも冷静かつ強靱(きょうじん)であるという話を伺います。小さい頃からそうでしたか?
鳥海 とにかく、負けず嫌いでしたね。今も変わらないですけど。緊張とかもしないんですよ。大一番の試合となっても、プレッシャーを感じるどころか、出られる喜びでワクワクするんですよね。
中川 物おじしない性格にプラスとなっているのは、メンタルトレーニングの効果もあるんでしょうか? 数年前の記事の中に鳥海選手の一日というグラフが掲載されていて、スケジュールの中にそれが組み込まれていたのが気になりまして。どんな取り組みを?
鳥海 そのトレーニングは、日本代表でのプログラム中に組まれていたものです。まずは、普段の生活において自分がどういう感情を持ったのか、書き出すんです。
例えば、練習に向かう途中、渋滞に巻き込まれたとして、イラつくのか、焦るのか。さらに練習中や試合中にプレーがうまくいかないとき、どういう気持ちなのか......それらの感情に対して、どう対処するのか、ひとつひとつ解決していくわけです。
中川 結果、プレー中の冷静さや視野の広さにつながったということですか。
鳥海 はい。完璧ではないですけどね。でも、さっき言ったように、もともと野性的に勘を働かせて動くタイプでしたが、そのようなトレーニングを積んだことで、ある程度冷静さを兼ね備えられたのは間違いないですね。
■日本代表が世界で一番成長した
中川 鳥海選手は高校時代にリオパラリンピックに出場されました。当時、日本代表が目標としていたのは6位入賞、そして結果は9位でした。それが東京大会では「最低でもメダル」が目標で、結果は銀メダル。この5年での進化の要因はどこにあると思いますか?
鳥海 やっぱりディフェンス力を上げたことが一番ですよね。それと、堅守速攻。あとは、自主性が培われたのも大きいです。
リオでは、型にはめたシステムにこだわっていたんですよ。それが東京では、できる限りコートの中にいる5人で臨機応変に打開していくと。ヘッドコーチからは、「タイムアウトを取ってこちらからの指示を待つのではなく、自分たちで動け」と。
中川 その方針の転換は、リオでの悔しさ、教訓があったからこそですか?
鳥海 もちろん、それもありました。自国開催で、どうしても結果を出したいという気持ちの影響も大きかったです。もうひとつ、僕ら若手世代からすれば、ピークを迎えた先輩たちを食ってやろうという気概がずっとあって。ベテランと若手、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)して伸びていったというのもあったと思います。
僕ら年下のアンダー世代は臆することなく先輩たちにもっといいプレーを要求しましたし、発言もしました。チームが勝つためにどうするのか、どうしたいんだと。それって、リオのときにはなかったんです。強豪とされるチームのあるべき姿に、今の日本代表はなれたんだと思います。
中川 リオと比べて、世界との差は縮まったと思いますか?
鳥海 はい、かなりいい感触は得ています。この5年間、そして東京大会を通じて、日本が世界で最も成長したんじゃないかと。
中川 特にこの大会期間中はどのように成長したと思いますか。
鳥海 きっかけは、僕がモヤモヤしたコロンビア戦。相手のエース、ジョン・エルナンデスにかなり点を取られ続けたこともあって、そこから僕らは守備にフォーカスしていったわけです。なかでも、赤石竜我が闘争心むき出しでディフェンスしてくれたことなどは、チームの成長を端的に表していたと思います。
中川 赤石選手のファイトが起爆剤になったわけですね。
鳥海 そうです。続く韓国戦でも赤石は積極果敢でしたので、僕も含めてみんな刺激を受けたはずです。
中川 多くの選手が活躍するなかでも、鳥海選手は大会MVPを獲得するなど大きな輝きを放ちましたが、そんな鳥海選手もかつて、リオ大会が終わった後、競技から離れようと思った時期もあったと伺いました。
鳥海 そうですね、あの頃、ちょうど高校3年生で。進路選択の時期で、バスケを選択するか、ほかの道に進むか、考えたんです。でも、当時の担任の先生や両親が時間をかけて話してくれたこともあって、やっぱり続けたほうがいいだろうと。今となっては、本当に感謝です。
中川 この先のジョンビジョンについてはいかがですか?
鳥海 次に向けて練習しなきゃという気持ちに切り替わってます。短期・中期・長期の目標を設定していて、まずは来年に世界選手権がふたつあります。
そのうちのひとつがU-23の大会で、年齢的に僕は最後の出場になります。だから、絶対に金メダルを獲(と)りたい。中期でいうと、次のパリパラリンピックですね。強豪国のひとつとして、メダルを確実に獲得したいです。
中川 具体的ですね。最後の「長期の目標」というのは?
鳥海 海外挑戦ですね。僕は、障がいの程度による持ち点が2.5点の選手なんですけど(障がいレベルの重い者の順から1.0~4.5の持ち点が定められており、試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはいけない)、「2.5点のプレーヤーなら、ぜひ鳥海が欲しい」と名乗り出るチームがたくさん出てくる、そんな存在になりたいんです。
特に僕は、歴代の大会MVPを獲るような選手の中で最もシュート決定率が低い選手だと自覚しているんで、もっとシュートの精度を上げて点取り屋としても成長したいですね。
中川 目指す国はどこですか。
鳥海 ドイツやスペインですね。もちろん、言葉やチームスタイル、いろんな課題をクリアしないといけないでしょうが、着実に達成したいです。
中川 実現できる日も近そうですね。最後に、日本の車いすバスケットボールの発展について、鳥海選手の思いを聞かせてください。
鳥海 野球の試合が満員のスタジアムで開催されるように、サッカーの試合がテレビで中継されるように、車いすバスケットボールもひとつのスポーツとして定着してほしいと願っています。そのためには、僕ら選手がまず結果を出すことです。
U-23の世界選手権は来年、幕張メッセで開催されるので、そこでトップを獲って盛り上げにひと役買いたい。それと、このスポーツを知ってもらうために、とにかく僕は前に出ていくつもりです。結果とPRの両輪を大切にしていきたいです。
●鳥海連志(ちょうかい・れんし)
1999年2月2日生まれ 長崎県出身
〇生まれつき両手足に障がいがあり、3歳で両下肢を切断。2011年、中学1年で車いすバスケットボールに出会う。13年にアジアユースパラゲームズに出場、2位入賞。15年より日本代表に定着、16年のリオパラリンピックでは高校生でチーム最年少出場。東京パラリンピックでは銀メダル、大会MVPを獲得した。
●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めるほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30~)のパーソナリティを担当。
スタイリング/武久真理江 ヘア&メイク/石岡悠希 写真提供/つなひろワールド 衣装協力/Good Morning jewelry 撮影協力/BumB東京スポーツ文化館