「水谷隼(じゅん)選手が(引退して)いなくなって、ひとつ枠が空いたとプラスにとらえている。パリ五輪は僕が引っ張っていく」
1月30日、全日本卓球選手権・男子シングルスで初優勝を果たした20歳の戸上隼輔(しゅんすけ・明治大学)。強烈なフォアハンドを武器に攻め込むプレーとともに、優勝インタビューでの強気な発言も話題となった。
この"マイクパフォーマンス"は、大好きなプロレスの影響だと本人が明かしている。小学1年から中学2年まで戸上が通っていた地元・三重県津市の「松生(まつお)卓球道場」でコーチを務める松生瞬さんに、その原点を聞くと......。
「実はうちの父、館長の松生幸一がプロレス好きで、プロレスファンの常連の方もいらっしゃって。隼輔はふたりにかわいがられて、プロレスに自然と触れていきました。極めつきは、その常連の方に、地元で開催された新日本プロレスの大会に連れていってもらったこと。そこで感動して、本格的にハマったようです」
その「常連の方」とは、津卓球協会の山田高司事務局長。山田さんによれば、戸上少年にとって人生初のプロレス観戦は驚きの連続だったようだ。
「確か、隼輔が小学5年生くらいの頃です。当時はスキンヘッドにひげもじゃのヒールレスラー・飯塚高史(たかし)選手が観客を驚かせるパフォーマンスが人気でした。
その日も飯塚選手が声を上げて観客席を走り回っていたんですが、ふと横を見ると隼輔がいない。びっくりして探し回ったら、売店の陰に隠れて震えていました(笑)。テレビで見たことはあっても、生で見ると怖くて仕方なかったんでしょう」
さらに、戸上が今も「大ファン」と公言する新日のスター・棚橋弘至(ひろし)選手の思い出も。
「休憩時間にあったサイン会で棚橋選手にお願いしたんです。『この子、卓球のジュニア日本代表に選ばれていて、棚橋さんの大ファンなんです。一緒に写真撮ってあげてもらえませんか』って。棚橋選手はふたつ返事でOKしてくれました。それがこの写真です」
そして、初プロレス観戦後の戸上少年は......。
「終わった後は、口をぽかーんと開けて放心状態。すべてが衝撃だったんでしょう。憧れの選手にサインしてもらったり、ヒールに追いかけられて逃げ回ったり(笑)。彼は今もいろいろプロレスについて話しているようなので、連れていってよかったと思います」
昨年の東京五輪では練習相手として代表チームに同行し、長くエースの座に君臨してきた水谷から「次はおまえたちだ」とバトンを渡された戸上だが、実は"ビッグマウスキャラ"になったのは最近のことだ。昨年秋の世界選手権代表選考会で満足いくプレーができなかったことから、「強気の発言で自分を追い込む」ことを決めたのだという。
前出の松生瞬コーチが教え子にエールを送る。
「うちの道場では、勝ってもおごらず、負けたら潔く負けを認め、誰からも応援してもらえる選手になりなさいと隼輔に教えてきました。ビッグマウスとは正反対ですが(笑)、小学校の頃は目の前の相手に勝っても、より強い選手はごまんといますから。
でも、日本一になって世界で戦うレベルになれば、いかに自分の力を発揮できるかのほうが重要。いろんな経験をして、心の持ちようについても試行錯誤があったんでしょう。今の隼輔はボールのキレを見ても、攻撃的なチキータの精度を見ても、厳しい練習を重ねていることがよくわかります。もう強気発言、ビッグマウス、全然OKです(笑)」
プレーもマイクも、もっとビッグに。期待してます!