ニックネームの「イナズマ純也」の名づけ親は居酒屋解説でおなじみの解説者、松木安太郎氏

一躍、時の人である。昨年9月から始まったカタールW杯アジア最終予選で最悪のスタートを切ったサッカー日本代表。その後の巻き返しの立役者となったのが4戦連続ゴールを決めた伊東純也(28歳)だ。自らを「雑草」と称す新スターの素顔に迫る。

本日3月19日(土)発売の『週刊プレイボーイ14号』では、伊東純也本人インタビューを掲載。佳境を迎えたW杯最終予選、24日に行われるオーストラリア戦でもゴールを期待したい!

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■高校は県ベスト32。大学は関東2部

イナズマ純也こと伊東純也(ヘンク)が森保ジャパンで大覚醒中だ!

昨年11月のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦から4試合連続でゴールを挙げるだけでなく、決定機も再三演出して日本の5連勝に貢献。一時は本大会出場が危ぶまれていた日本が、首位サウジアラビアまで勝ち点1差へと肉薄する原動力となっている。

伊東は横浜F・マリノスジュニアユースの入団テストに不合格となり、中学時代は地元クラブでプレー。そして神奈川県立逗葉高校3年時の全国高校選手権予選は、県ベスト32止まりだった。

神奈川大学(当時、関東2部)時代の選手名鑑。当時から圧倒的なスピードで目立っていた

それでも複数の大学から誘いがあったなかで神奈川大学を選んだのは、「家から近い。関東(大学リーグ)1部だし」という拍子抜けするような理由だったのだが、彼の3、4年時、神奈川大学は降格して関東2部で戦っていた。

こんな非エリートの選手が、知名度でも、プレーするリーグやクラブの格でも上回る久保建英(マジョルカ)や堂安 律(PSV)を差し置いて日本代表の先発に定着しただけでなく、飛び切りのブレイクを見せているのはなぜ?

サッカージャーナリストの西部謙司氏が言う。

「久保、堂安の五輪活動中に伊東がA代表で頭角を現し、そのままスタメンに定着した形ですね。今の日本は基本的にカウンターのチームなので、スピードで一気に突破できる伊東のほうが向いているんです。これが久保、堂安となると左利きの右アウトサイドですから、どうしても中に切れ込みがちで、周囲と連係しながら細かいタッチやパス交換で密集した局面を打開するプレーが中心になってしまう」

しかも伊東は久保や堂安にはない、キック力やパワーも持ち合わせている。

「つまり伊東と久保、堂安はタイプが違うので、競争にならないんです。最終予選での活躍ぶりからすると、伊東を代える理由がないというのが現状でしょう」(西部氏)

彼のこうした持ち味は、非エリート街道を歩んでいたアマチュア時代からすでに備わっていたものだ。神奈川大学時代の伊東の試合を頻繁に取材した、サッカージャーナリストの竹中玲央奈氏が語る。

「とにかく速かったのはもちろん、同じようにスピードを武器にするほかの選手と異なり、圧倒的にボール扱いに長(た)けていたんです。足元からボールが離れない自信があり、顔を上げられるので、細かいタッチでDFの逆を突いて抜き去るなど、相手を見たプレーの選択ができました。さらにロングキックの質が高く、ゴール前の味方にピンポイントでクロスを合わせる。そしてもちろん、自分でもゴールに向かえました」(竹中氏)

2月1日のサウジアラビア戦で伊東が決めた見事なミドルシュートは、以前から彼を知る竹中氏にすればなんの驚きもなかったという。

「大学生活の後半は関東2部で戦っていましたが、味方プレーヤーの質が高ければ間違いなくプロでも能力を発揮できる、J1中位以上のクラブでもやっていけるのではと見ていました」(竹中氏)

だから、J1の中でも下位グループに属していた甲府入りを聞いたときは、意外に思ったほどだったとか。

「関東2部にまでは、なかなかプロスカウトの目が届きませんからね。このところ、日本代表の主軸に躍り出た彼を評して『雑草』『這(は)い上がった』といった言葉が使われます。でも僕にはそんな印象はまったくありません。疑いのない能力の持ち主だったけど、人に見られる機会が少なかっただけなんです」(竹中氏)

■柏の名物サポが明かす素朴な人柄

2015年に甲府でJデビュー。その後、柏で一気に頭角を現し、19年にベルギーのヘンクに移籍

ルーキーイヤーの2015年はリーグ戦30試合に出場し、4得点をマーク。

「他チームとの戦力差から守って守ってというスタイルだったため、甲府は試合中の攻撃機会自体があまりない。そんななかでも彼はたびたびチャンスを作り出していました」(竹中氏)

甲府での奮闘ぶりが認められ、翌16年には柏への移籍を果たす。

伊東の加入は、レイソルを応援する人々にとっても大歓迎だった。柏サポーターの通称「みゃ長」氏が言う。

「前の年に柏が甲府と対戦したとき、伊東の速さは段違いだったんだよね。『あいつ、すげーなー』なんて言ってたらウチに来てくれた。すぐに、『やたらと速い』ってフレーズが入ったチャント(応援歌)を作りましたよ」

入団前からその能力はコアな柏サポーターたちに知られていたが、伊東の存在がより広く認知されたのは、移籍早々の4月、アウェーでの鹿島戦で決めた先制点だった。

「ひとりでドリブルしてダブルタッチで相手DFを置き去りにするや、そのまま豪快なシュートを突き刺した。あの柏での初ゴールは、衝撃的だったよね」(みゃ長氏)

彼がスタメンに定着し、試合を決定づけるようなゴールを再三披露するようになると、新たなチャントが作られた。

「スーパー『マルエツ』の店内で流れてるBGMのメロディーに乗せて、『伊東純也がズバッと決める』って歌うの」(みゃ長氏)

柏で過去、サポーターからふたつのチャントが与えられた選手は、酒井宏樹(現浦和)などわずかな例しかないという。

一方、スタジアムを離れ、柏の街中で見せる伊東の姿は、どこにでもいる若者のそれだった。

「周りの誰にも伊東だって気づかれないような、地味な普通の格好で歩いてた。派手とか決めすぎっていうのとは無縁。駅前の磯丸水産で、海鮮丼のランチ食ってるのを見たこともあるからね(笑)」(みゃ長氏)

人柄も同様。

「何度か街中で出くわして言葉を交わすようになったけど、口数の少ないシャイな男ですよ。でも、面識ができて親しくなると、とっても人懐っこい。いつだったかあるレストランで食事してると、俺に気づいた彼が向こうから挨あい拶さつに来てくれた」(みゃ長氏)

こんなエピソードも。

「彼の小学校時代の先生が、柏まで試合を見に来たことがあったんですよ。その先生が伊東に走るときの手の振り方や足の上げ方を指導したら、アドバイスをしっかり聞いて毎日のように練習して、そこからぐんぐん足が速くなったんだって。何より、大学を出て社会人になってからも、子供の頃の先生と交流が続いてるっていうのがあいつらしいよね」(みゃ長氏)

17年はリーグ戦全試合に出場し、Jリーグ優秀選手賞を受賞。初の日本代表入りも果たした。そして加入3年目の18年シーズン終了後、伊東はJ2降格が決まったクラブを離れ、ベルギーへと旅立った。

しかし、柏サポーターたちは、快く彼を送り出した。

「そりゃあ行ってもらいたくないって気持ちもあったけど、一サッカー選手として上を目指すのは当然じゃない。サポーターの間でも『来年か再来年には海外へ行くだろう』と言われてたし、あのタイミングでの移籍がベストだったと思う」(みゃ長氏)

その後のヘンク、日本代表での活躍はご存じのとおり。

■W杯本大会でも速さは通用する?

佳境を迎えたW杯最終予選、3月24日の天王山、アウェーのオーストラリア戦でも活躍に期待だ

今や代表に欠かせない存在となった彼は3月24日、W杯最終予選B組3位オーストラリアとのアウェー戦に臨む。勝てば日本のW杯出場が決まる天王山で、伊東のプレーは決死の覚悟の相手に通用するのか。さらにその先、W杯本大会で強豪と対たい峙じしても、輝くことができるのだろうか。

「今の状態を維持できれば、オーストラリアを翻ほん弄ろうできるでしょう。本大会でもあの速さは通用すると思いますが、そこは相手次第。世界には伊東よりさらに速い選手がいますからね」(前出・西部氏)

では、クラブレベルでのステップアップの可能性は?

「イングランド、イタリア、ドイツあたりでもやれると思います。攻撃面での武器がはっきりしていて守備もできるので、右ウイングが欲しいチームならフィットできるのでは」(西部氏)

代表でもクラブでも、もっともっと羽ばたいていく姿を見たいぞ!