"イチローを超えかけた男"の存在が、20年の時を経て再び注目を集めている。
MLBの2001年シーズンの開幕前。NPBでのプレー経験がない当時27歳のスラッガー・根鈴(ねれい)雄次が、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)でルーキーリーグから3Aまで上り詰めていた。イチローより先に、日本人初のMLB野手に手が届く位置にいたが、開幕前に解雇された。
その後、根鈴は日本の独立リーグを含む5ヵ国でプレーし、38歳でユニフォームを脱いだ。それでも、ホームランを追求することをやめなかった。14年から野球塾で独自の打撃理論を若手に教え始め、17年には「根鈴道場」を開設。神奈川県横浜市の閑静な住宅街に近接する田んぼの中に、ポツンと立つ道場には牧歌的な雰囲気すら漂う。
だが実は、この道場には現役のNPB選手を含む多くの野球人が訪れる。昨季、オリックスの4番としてリーグ優勝に貢献した"ラオウ"こと杉本裕太郎もそのひとり。昨オフには日本ハムの清宮幸太郎や、阪神の江越大賀(たいが)などもその理論に耳を傾けたという。
なぜ根鈴の理論はバットマンたちを惹(ひ)きつけるのか。その詳細を知るため、道場に足を運んだ。
「バットを横ではなく、縦に振るイメージ。日本ではなじみが薄いスイング軌道ですが、MLBでホームラン王争いをする打者は、このスイングが主流です。僕はこれを『鬼ダウンスイング』と呼んでいます」
ダウンスイングというと"ボールを上から叩く"イメージを抱く人も多いかもしれないが、「鬼ダウンスイング」はバットの重さと重力を利用してヘッドを"落とす"意味の「ダウン」。ヘッドが最も下がった位置、スイングが加速しきった点でボールをとらえることで、大きな力をボールに伝えることができる。
また、ヘッドを下げることで、バットの角度を上向きにしてボールをとらえることができ、自然と打球に角度がつく。ほかにも、手首を返さずにバットの"面"をボールの軌道に長く入れる、などさまざまなポイントがあるが、根鈴は「(ロサンゼルス・エンゼルスの)大谷翔平選手のスイングがまさにそうですね。メジャーに行ってから明らかに打撃が変わりました」と言う。
この理論は、根鈴自身の野球人生と重なるように磨かれてきたもの。家庭の事情で高校を中退した後、19歳で単身渡米。通信制高校に通って23歳で法政大学に進学し、卒業後に再渡米してMLBの3Aを経験。計5ヵ国でプレーした根鈴の発想は、従来の日本野球の枠に収まらない。
「MLBでホームラン王になる日本人を育てたい。そのために何が必要なのかを模索してきたんです」
トップから最短でバットを出せ。手首を返せ。前で打て。脇を締めろ......。日本の野球少年であれば指導者から必ず言われるだろうこれらの慣例は、根鈴の理論にはまったく当てはまらない。むしろ正反対のものだ。世界中の野球を肌で感じてきた根鈴にとって、日本の打撃論は「異質」に感じるという。
「日本では『アッパースイングはダメ』と言われがち。豪快なホームラン打者が育ちにくいのは、そんな指導の影響もあるかもしれません」
近年、NPBでも「フライボール革命」という言葉を耳にする機会が増えた。根鈴は20年以上前からメジャー流の打撃論を体現してきたが、それが日本で理解されてきたとは言い難い。だが、18年オフの杉本との出会いが転機となった。
当時の杉本は、打撃練習では柵越えを連発するものの、試合になると粗も目立っていた。根鈴の目には190㎝、100㎏近い体躯(たいく)を生かしきれていないように映った。
「とにかくストレートに強く、スイング音もエグいし、練習では誰よりも遠くに飛ばす。でも試合では、ボールを前でさばこうとしていたため外角の変化球にバットが届かず、それを追いかけてフォームを崩していました。
外のボールはキャッチャーに近い位置まで引きつけると届きやすいんですが、バットのヘッドを落とす『鬼ダウンスイング』はよりキャッチャーに近い位置でボールをとらえることができます。そこでラオウさんと理想の形について話し、まずはゴルフのサンドウエッジアイアンでバンカーからボールを出すようなスイングで、ボールとバットの角度のつけ方を身につけることからスタートしました」
初対面だったが、不思議とウマもあった。この日を境に、杉本は自身のフォームをチェックしては、根鈴に意見を求めるようになっていく。根鈴は「石の上にも三年ですよ」と冗談めかして言うが、20年のオフには追い求めた打撃フォームが固まりつつあった。根鈴は昨季の杉本の覚醒を予期していたという。
「バットが縦に出るようになり、明らかに打球の角度が違ってきていたんです。大きなフォロースルーをとって、体も大きく使えるようになっていました。課題だった外のボールも、キャッチャーに近い所でさばけるようになった。そうして3割打てれば試合に出る機会も増えて、『ホームランも30本打つだろうな』と思っていました」
その"予言"は的中する。オープン戦で結果を残して出場機会を得た杉本は、打率.301、32本塁打、83打点を記録。シーズン中には元のフォームに戻り、「どツボにハマりかけた」時期もあったが、それを乗り越えて本塁打王にも輝いた。根鈴から見た、杉本の最も大きな変化はなんだったのか。
「逆説的ですが、"飛ばすためのバッティング"をしなくなったことです。ラオウさんは、ホームランバッターに必要なファストボールを仕留める力がある(昨季の対ストレートの打率.350、長打率.635でパ・リーグの規定打席到達者ではトップ)。あれくらいのパワーがあれば、手首を返してスイングスピードを上げようとしなくても、ボールがバットに当たりさえすれば何かが起きる可能性は高い。
外のボールをゆったり振ってるように見えてライトスタンドへ放り込めるのは、重力と遠心力をうまく生かせているから。飛ばす意識が薄れたことで、打撃の幅も広がりましたね」
そんな杉本の覚醒に感化されてか、昨オフには複数のNPB選手が訪ねてきた。プロの世界で伸び悩む清宮幸太郎も、根鈴に意見を仰いだ。
昨季、1軍出場なしに終わった清宮は打撃フォームを大幅に改造。練習ではリストを返さないような打ち方を試み、現在はバリー・ボンズのようなヘッドの出し方のようにも見える。
「清宮選手は『前でさばこう』という意識が強すぎて体が前に突っ込んでしまう癖がある。結果的にスイングの幅が小さくなり、甘いストレートを仕留めきれないケースも目立ちました。本人も試行錯誤しながら、『変えないといけない』と必死にやっています。時間はかかるかもしれませんが、変化の兆しは見えますね」
根鈴が技術よりも重要だと感じるのは、その精神面だ。
「第一印象は"お坊ちゃんで優等生"でした。ただ、危機感があるのか、ほかの誰よりも時間をかけてマメに聞いてくるようになった。顔つきも変わってきて、ハングリーな部分が出てきたように思います。
もともと『メジャーでやりたい』という選手なので、アメリカの技術の習得には貪欲ですね。体も大きく素材は間違いない。あとは本人が周囲の雑音に惑わされず、自分を貫き通せるか。ラオウさんも3年かかって花開いた。清宮選手にも、継続性という点で注目しています」
10代で渡米し、研鑽(けんさん)を重ねた先駆者の理論に、ようやく時代が追いついてきたのかもしれない。そのスイング軌道が、日本でも受け継がれていく下地が生まれつつある。
●根鈴雄次(ねれい・ゆうじ)
1973年生まれ、神奈川県横浜市出身。大学卒業後、アメリカでトライアウトを受けてルーキーリーグから3Aまで昇格。計5ヵ国でプレーし、2012年に現役を引退。独立リーグでコーチを務めた後、2014年から野球塾で若手の指導にあたる。2017年に「根鈴道場」を立ち上げた