「心が震えるような衝撃を受けた試合は?」という質問を、レジェンドから今をときめく現役レスラーまで4名に投げかけたシリーズ企画『私の心が震えたプロレス名勝負3選』をお届け。

最後に登場するのは、がんや度重なる怪我に見舞われるも、そのたびに不屈の闘志で現役復帰を果たしてきたプロレスラー・小橋建太

2013年に惜しまれつつ引退するも人気は衰えず、イベントでテーマ曲が流れれば「コーバーシッ!」と大コールが起こる。ファンに夢を与え続ける唯一無二のプロレスラーは、いかにして生まれ、形作られたのか。そのきっかけとなった3選を語っていただいた!

①ジャンボ鶴田vsミル・マスカラス 1977年8月25日

小学5年生の頃、テレビで初めてプロレスを見たのが田園コロシアムのこの試合です。衝撃的な体験でしたね。それまでは野球選手になりたかったんですけど、この試合を見てプロレスラーになりたいと思いました。

マスカラスはトップロープから場外に飛び、対するジャンボ鶴田さんはパワーで受け止める。体と体がぶつかり、華やかさの中に力強さのある戦いで、その二人とレフェリーにスポットライトが当たってクローズアップされる。「すごいな、こんな世界があるんだ」と、初めて見る世界に心を奪われました。

そして一つの技が決まるとワーッと会場が沸く。やっぱり試合は選手だけで作り上げるものではなく、観客みんなが一緒になってこそできあがる空間なんです。僕自身も「小橋コール」でアドレナリンが出てテンションが上がりますし、会場のみんなも盛り上がっていく。その中で試合をすればもっといい試合になる。だから入場テーマ曲を作る時は、ファンのみんなが「小橋コール」をできる曲を意識しました。

②小橋健太vsスタン・ハンセン 1993年4月15日

これはチャンピオンカーニバルの予選でテレビ中継がなかったので、会場に来た人しか観ていない試合なんですけど、僕がハンセンの強さを感じたシーンというのがあるんです。

当時の僕は110kgあったんですけど、セカンドロープから場外のハンセンにダイビングショルダーアタックをしたら、ラリアットでバーンと吹き飛ばされたんです。110kgの人間が勢いをつけて飛んでいったら相当な衝撃のはずで、体幹がなければとても弾き返せない。ただの暴れん坊としての強さだけでなく、スポーツマンとしての強さを感じた瞬間でした。

僕はあのラリアットを世界一食らっていますし、ハンセン最後のライバルと自負していますけど、思い返せば若手でセコンドについている頃もなぜか僕だけ狙われる。実はもっと昔にも、中学生の時に観に行ったプロレス会場で、ロープをぐるぐる回しながら入場してきたハンセンに追いかけ回されているんです(笑)。その頃から因縁があったんだと思います。

ハンセンは昔のスタイル。でも僕の新しいプロレスにもどんどん対応してきて、化学変化が起こるように二人ともどんどん良くなっていくんです。そもそもなぜ突っかかって行ったかというと、外国人選手には先輩後輩がなく、若手も「ヘイ、ハンセン」って話しかけるんです。例えば僕がジャンボ鶴田さんに「ヘイ、ジャンボ」なんて言えないですよね。これは外国人選手相手なら僕も実力を発揮できると思って行ったんですが、見事なまでにボコボコにされました(笑)。

でもそこから何度も対戦し、次は1分でも2分でも長くリングに立っていようと向かううち、勝てないまでも強くなり、引き分けになり、最後には三冠王としてハンセンの挑戦を退けることもできた。最初に潰されなかったらその実力はつかなかったし、ハンセンがいたから僕も強くなれたのだと思います。

③小橋健太vs三沢光晴(三冠統一ヘビー級選手権) 1997年1月25日 

僕は三冠のチャンピオンで、大阪で三沢さんを迎え撃つ立場だったんですけど、まわりには「チャンピオンは小橋、エースは三沢」と言われていた。それで僕は試合の数日前に母親に電話をしまして、「もし自分に試合で何かあっても三沢さんを恨まないでくれ」と言ったんです。エースが三沢さんと言うなら、チャンピオンとして勝とう、それでエースもチャンピオンも取ればいい。それぐらいの気持ちだったので、相当な試合になるぞという思いがあったので。

まあ、その試合は見事に負けて、チャンピオンも失くしてエースも奪えなかったというオチが付くんですけど(笑)。でも試合を通じて、エースとして必要なものを感じ取ることができたんですね。

その後ノアになってから2003年の3月1日に、GHCヘビー級選手権で三沢さんに挑戦したんです。そのタイトルマッチで初めて三沢さんに勝って、チャンピオンになったんです。三沢さんとの試合を一つには絞れないですけど、GHCの選手権はファンのみんなから伝説と言ってもらえる試合。そしてその始まりは、1997年1月25日の三冠統一ヘビー級選手権です。

三沢さんの存在はやっぱり大きいですね。GHCの選手権も花道からタイガースープレックスで投げられたり、上がってくるものを叩き潰して、それでも上がってこないとライバルにはなれない、三沢さんもそこまでの覚悟というか思いで臨んでいたんだと。叩き潰されたらまた上がってくればいいんだというね。

僕は全部、負けから始まってますから。スタートはいつも負けている。だから強くなれるんです。勝てるように頑張っていくから、だからくじけないんです。最初は入門すらさせてもらえなかった。それが試合ができる。そして団体のトップの試合ができる。それはうれしいですよね。

その試合を見て、みんなが力をもらったと言ってくれる。でも僕も、みんなから声援をもらってファイトができる。その信頼関係というのがエースの絶対条件なのかなと。それを三沢さんとの試合で感じましたね。1997年当時の僕はチャンピオンであっても、ファンとの信頼関係という意味では三沢さん以上のものがなかった。だから三沢さんには勝てなかったんだなと。そこから僕も徐々にファンとの信頼関係を築いていって、2003年にやっと三沢さんを倒すことができた。長い長いストーリーです。

なかなか人生は思った通りに行かないですけど、でも思わないと行けないですからね。頑張って実力をつければまわりの見方も変わっていく。そこに向かって努力をしていかないと、何も願いはかなわないですね。

●小橋建太(こばし・けんた)
1967年3月27日生まれ、京都府福知山市出身。90~00年代を代表するレスラー。腎臓がん、膝の手術など度重なる不運も覆して現役復帰し"鉄人"とも称される。2013年5月に引退。現在はがんや怪我を乗り越えた経験を講演で伝えるとともに、定期的にプロレス大会も主催。6月15日(水)の大会「Fortune Dream 7」には鈴木みのるら強豪が参戦するほかハンセンとのトークバトルも。
公式Twitter【@FortuneKK0327】
公式HP【http://www.fortune-kk.com/