「運命の一戦」。この言葉がこれほど似合う試合はない。武尊(たける)と那須川天心(なすかわ・てんしん)の対戦は、実現まで7年もの歳月を要した。6月19日の決戦までちょうど2ヵ月を切った4月20日、"K-1のカリスマ"が思いの丈を明かした。

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■スターになる天心にうらやましさもあった

「ずっと張り詰めていて、寝るときも試合のことを考えて。鼓動をバクバクさせながら寝ています。試合前は毎回こうなりますけど、この時期(試合約2ヵ月前)からこんなに張り詰めているのは初めてかもしれない」

〝K-1のカリスマ〟武尊は神妙な面持ちでそう打ち明けた。神奈川・相模原のK-1公式ジム。周囲では多くの選手が練習を行なっている。その熱気とは明らかに異質な緊張感を、武尊は漂わせていた。

那須川天心と武尊の対戦が正式に発表されたのは昨年のクリスマスイブ。それまで、この一戦の実現には多くの歳月を要した。最初に那須川が武尊の名前を挙げて対戦表明したのは2015年8月。すぐに武尊も受けて立つと応じたが、那須川はRISE、武尊はK-1を主戦場としており、団体の垣根が対戦を阻んでいた。

しかし、この試合は実現させなければならないとRIZINを主催するドリームファクトリーワールドワイド、K-1、RISEが大同団結。那須川と武尊のための「中立なリング」が6月19日、東京ドームに用意されることになった。

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6月19日、東京ドームで対戦する武尊と那須川天心。この大会『THE MATCH 2022』は地上波のフジテレビなどで生中継される ©RIZIN FF

――天心戦実現に約7年かかりました。長かったですか?

「長かったですね。でも今思えば、いい7年でした。僕が初めてK-1のチャンピオンになったのも7年前。それ以来、世界チャンピオンという称号を手にしたのに、(世間に)認めてもらえないみたいなキツい思いを持ちながらやっていた。だからすごく苦しかったんですけど、僕を満足させてくれなかったという意味ではよかったと思っています」

――7年の間に、天心戦を諦めそうになったことは?

「それはなかったですけど、無理なのかな?と思った時期はありました。でも、去年くらいからどんな方法を使っても実現させよう、できると信じていました」

――この試合を実現させるために、K-1を飛び出すという選択肢は考えなかった?

「それをやったら意味がないんです。僕に憧れてK-1に入ってきてくれた後輩もたくさんいるなかで、僕がこの試合をやりたいという気持ちだけでK-1を出ていったら、もしそれが実現したとしても、K-1が落ちちゃう。そういう実現の仕方は違うと思います。

この試合をやる意味は、『格闘技界をひとつにする』という目的のなかにあると思うんです。もし僕がK-1を飛び出して、契約違反で訴訟になったりしたら、それこそ格闘技界のイメージダウンになる。この試合はそんな試合にしたら絶対に意味がないんです。

やるなら、格闘技界全体を上げる試合にしないといけない。お互いの団体を背負って、お互いの団体が上がるための大会をつくらなきゃいけない。そのためにずっと動いていたわけですから」

――7年前に実現していたら、東京ドームのメインなんて考えられなかったですしね。

「そう考えたらありがたいですね。こういう大舞台でできるのは、7年という熟成期間があったからだと思います」

前述のように、最初に対戦表明をしたのは那須川だった。が、彼は元UFCトップファイターの堀口恭司戦や、ボクシング元5階級制覇王者、フロイド・メイウェザーとのエキシビションマッチなどで注目を集め、格闘技界の枠を超えるスターに成長した。

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肉を切らせて骨を断つ―打ち合ってKOするのが武尊の最大の魅力だ。直近5試合のKO率は那須川の20%に対し、武尊が60%と大きく上回る

――天心選手が一般的な知名度をどんどん上げていく過程をどう見ていましたか?

「これで格闘技全体が盛り上がるという、いい意味でのうれしさもありましたけど、うらやましさもありました。僕はKrush(新生K-1旗揚げ前の主戦場)の時代からひとつひとつ地道に、見てくれる人の数を増やしていったのに、向こうは試合をするたびに大きく注目される。

また、僕の一番の目標は『K-1をもう一度地上波に』でしたけど、なかなか難しかった。僕が努力してもできないことを、向こうはすぐに手に入れる。そこは悔しかったですね」

――武尊戦を期待されながら、天心選手はボクシング転向を表明。この話題が大きくなっていくことに焦りは?

「焦りはなかったです。ボクシングに行くのは〝挑戦〟だと思うので、そこは同じ格闘家としては応援したい。だけど、『その前にやり残したことがあるだろう』って。それをしっかり終えてからボクシングでがんばってほしいって思っています」

――天心選手の父親でTEPPEN GYMの那須川弘幸会長は、「背負っている思いは武尊選手の方が上と感じる」とツイートしてました。

「今は、あまりほかの人の言葉を入れないようにしています。ほかの人の言葉で揺さぶられたくないので。それに、試合になったらリングで闘うふたりにしかわからないものがありますから」

■試合を楽しむことが勝ちにつながる

――相手の攻撃を受けないアウトボクサー型の天心選手に対し、武尊選手は打ち合い上等のファイター型。当然、自分がKOされるリスクを伴う。それでもなぜ打ち合う?

「僕の中で、勝つための方程式があるんです。Krushで試合をしていた頃は、格闘技の人気が下火だったこともあって、ポイントで勝っても注目されないから3ラウンドの中で相手を倒すことを目的に闘っていた。

でもチャンピオンになった後は勝ちを優先しなきゃいけないから、そうじゃない闘い方をしてみたんです。ダウンを取ったら、あとはポイントで逃げて勝てばいいやって。そうしたら、すごく苦戦したんですよ。

だから最後まで攻めていって、『攻撃は最大の防御』が僕にとっては一番強い闘い方なんだなってわかった。もちろん、盛り上げようという気持ちもあるんですけど、そういう試合をしているときの自分が一番強いって思っているので。だから勝つためにあの闘い方をやっているんです」

――だとしても、なぜ相手だけ倒れて、武尊選手は倒れないんでしょう?

「それはたぶん、覚悟の違いだと思います。やられる前にやる、殺される前に殺すくらいの気持ちで僕は試合をやっている。スポーツとしてやっているか、殺し合いでやっているか、そこの差で強さは変わると思っているんです。この攻撃をもらったら痛いなとか、効くんじゃないかとか思いながら打つパンチと、もらってでも相手を倒せば、俺は殺されずに向こうが倒れると思って打つパンチの違いです。

だから僕には倒すことへの躊躇(ちゅうちょ)がない。相手も当然、僕を倒そうと思って打ってきているけど、もらったらどうしようとちょっと思いながら危険な距離に入ってきている。僕は危険な距離に入ったら、もらう分にはしょうがないと思っているので。そこの違いだと思います」

――天心選手は勝っても負けてもボクシングに転向します。となると、武尊選手はK?1の看板、立ち技格闘技というジャンルを背負う構図になる。そのあたりの気負いは?

「いろいろ背負うものはあるので、考えることもたくさんありますけど、この試合はこの試合でしかないので、試合になったらもうやるだけです。いろいろ背負って闘わないといけないのは向こうも同じでしょうし」

――武尊選手は打ち合いになると笑いますよね。天心戦も笑顔が出る試合にしたい?

「あれ(笑顔)は楽しめている証拠なので。『この試合が最後になるかもしれない』と思うのは毎回のことですが、今回は特に悔いがないようにやりたいし、そもそも格闘技は好きでやっているわけですから、本当に試合を楽しみたい。それが勝ちにつながると思うし。リングに上がったら、自分にワガママに闘おうと思っています」

●武尊(たける) 
1991年生まれ、鳥取県米子市出身。闘争本能むき出しのファイトスタイルでKO勝利を連発する"ナチュラル・ボーン・クラッシャー"。2015年にスーパー・バンタム級、16年にフェザー級、18年にスーパー・フェザー級で王座を獲得し、K-1史上初の3階級制覇を成し遂げた。戦績41戦40勝(24KO)1敗