ひと昔前の日本では、「世界から一番遠い」競技とされていた110mハードル。それが今や、世界陸上2022ではメダル有力種目のひとつとなっている。

世界の強豪たちに挑むのは、社会人1年生の泉谷駿介(住友電工所属)。少年のような顔立ち、好物はチョコレートと、あどけなさは残るが実力は国内随一。幾多の苦悩、見据えている目標を、スポーツキャスター・中川絵美里が余すところなく聞いた。

■五輪出場のために大好きな"お菓子断ち"を決行

中川 順天堂大学在籍中の昨年、日本選手権110mハードルで13秒06の日本新記録を達成。東京五輪でも、日本人初となる決勝進出ラインまでわずか0.03秒差という健闘ぶりでした。そして今春、陸上競技の名門・住友電工に入社。現在の心境はいかがですか?

泉谷 学生時代とは環境が全然違いますよね。社会の一員として頑張りたいです。

中川 入社内定会見の際、憧れの選手として、住友電工の先輩で東京五輪に出場した小池祐貴選手と多田修平選手のお名前を挙げていましたが、おふたりには会えましたか?

泉谷 小池さんとは練習、試合をご一緒させていただきました。やっぱり思考というか、競技への姿勢がまったく違うなと思いました。

中川 どのような点が?

泉谷 気になったことがあると、それを徹底的に追究するところですね。勉強家で、あらためてすごいと思いました。

中川 昨年、この連載で小池選手を取材させていただきましたけど、食事ひとつにも気を配って、知識も豊富ですよね。でも泉谷選手も、休日は温泉に入って体をケアするとか。ストイックですよね。

泉谷 いや、僕の場合は温泉ぐらいしか趣味がなくて(笑)。それに食事面で言えば、甘いお菓子、特にチョコレートが超好きなので、日々葛藤中です。

中川 ずっとお菓子を断っていた時期があったそうで。

泉谷 はい、東京五輪に出るためにはなんでもしようと、10ヵ月ほど。コンビニに行っても、お菓子コーナーは絶対通らないようにしてました(笑)。

中川 よく耐えられましたね。食べる食べないでコンディションは変わるものですか?

泉谷 ええ、多少影響はあるかと。体脂肪の増減とか。本当は、思いっきり甘いお菓子もジャンクフードも食べたい(笑)。けど、食べちゃうと、罪悪感が生じてしまって。かといって、完全に絶ったら、それはそれでストレスが......。

中川 難しいですよね。今もお菓子断ちは継続中ですか?

泉谷 いや、週2回だけ甘いものを食べるという感じです。オンとオフをつくるのが大事かなって。

中川 あと、気持ちを高ぶらせるために、スポーツ系の映画を鑑賞されるそうですね。

泉谷 そうです。『ベスト・キッド』とか『少林サッカー』が好きで。見るたびに、「よし、頑張ろう!」ってなります。単純なんですよ(笑)。

■ハードル走の面白さは、限られた歩数での戦い

中川 泉谷選手は110mハードルの日本代表で、「メダルに最も近い」存在と期待されています。この競技の魅力はどんなところにありますか?

泉谷 100m走と違って、決まった歩数で勝負するんですね。インターバル(ハードル間の距離。9.14m)は、絶対に3歩で走ります。限られた歩数を、選手それぞれがどう消化して勝ちに結びつけるのか、そこが面白いんです。

中川 スタートから1台目のハードルまでの距離は13.72m、歩数は8歩でいくのがずっと主流で、泉谷選手もそうだったんですよね? 

泉谷 はい、でも、今は7歩ですね。

中川 一歩の違いはだいぶ大きいですか?

泉谷 大きいです。8歩だと、けっこう細かく刻む感じなんです。それに比べて、7歩はけっこう大股でいくんですが、最初の4歩がしっかり地面を押せていないと、残りの3歩では届かずじまいというか、寸足らずというか。

あと、7歩の場合は歩数がひとつ少ない分、1台目への踏み切りがちょっと遠めからになるんです。しっかり強く踏み切らないとハードルにぶつかってしまい、それだけロスが生じてしまいます。

中川 一見、7歩のほうが難しそうに思いますけど、泉谷選手としては8歩よりも7歩のほうがしっくりきますか?

泉谷 ある時期から、練習で8歩の感覚が急にわからなくなってしまったんです。それで7歩に変えてみて、最初は失敗ばかりでしたけど、練習を重ねることで今は完全に7歩のリズムが体に染みついてますね。

中川 7歩を選択する場合、素人目には大柄な選手のほうが歩幅を生かして有利に戦えるように思えるのですが、ハードル種目は、高身長のほうがアドバンテージとなる競技なんでしょうか?

泉谷 確かに、体が大きいほうがハードル(*110mの場合は高さ106.7㎝)を越えるときに高い位置から飛び越えられるので、その点はいいかなと。ただ、インターバルでは、大柄であることによって、詰まっちゃうこともあります。

後者の部分は、小柄な選手のほうがしっかりスピードをつけて刻み込めるので、有利だと思います。

中川 それぞれ、一長一短があるわけですね。ちなみに、泉谷選手は比較的小柄ですよね? ご自身の特徴というか、ストロングポイントはどんなところにあると思いますか?

泉谷 そうですね......。欲を言えば、身長180㎝ぐらいあったらいいなって思いますが。自分の特徴としては、体が小さい分(身長175㎝)、素早い動きができるところなんじゃないでしょうか。

中川 なるほど、それが生きて、昨年の日本新記録につながったわけですね。達成した際、どんな気持ちでしたか?

泉谷 うわ、マジかって(笑)。自分でも衝撃的でした。選手生活を送っている間に13秒0いくつが出せたらいいなって思っていたんですよ。それをあっさり出してしまって、少し戸惑いましたね。

中川 男子110mハードルはここ数年、何度も日本記録が更新されていましたよね。今現在、記録保持者である立場から見て、全体のレベルは上がっていると感じますか?

泉谷 ええ、めちゃくちゃ上がっていると思います。

中川 その要因はどんなところにあると考えますか?

泉谷 ひとつ考えられるのが、ハードルの材質の進化ですね。僕、けっこうハードルを足に当てるタイプなんですよ。昔は硬くて、当てるたびに痛くて、気持ちが萎(な)えてしまっていました。もう試合に出たくないって思うぐらいでしたね(笑)。

今はソフトな素材になってそこまで気にならないから、つくづくいい時代になったな、と。

この日は雨天のため、昨年まで在籍していた順天堂大学の室内トレーニング場で体幹・筋力トレーニングを中心にメニューを消化した

■成長期が遅れて、腐ってしまった中学時代

中川 ここからは、どうして110mハードルの選手という道を選択したのか非常に気になるので、ルーツをお聞かせください。陸上競技との出会いは中学時代ですか?

泉谷 はい。特に憧れとかはなく、ちょっと足が速かったのと、友達がみんな陸上部に入ると言うので、「じゃ、僕も」と。

中川 泉谷選手は現在、三段跳びと走り幅跳びの選手でもありますが、始めた当初から跳躍やハードルを専門としていたんですか?

泉谷 いや、最初は100m走でした。でも、中学3年になっても身長が全然伸びなくて、足の速さが周りについていけなくなりまして。で、部活をサボり始めて、腐ってしまったんです。

中川 そこからどうやって、ハードルに結びついたんですか?

泉谷 なんか、サボってる自分がふと情けなく思えてきて。で、もう一度心を改めて頑張り始めたら、ある日、顧問の先生から「空いている種目があるから、出てみないか」と。

それが四種競技(400m、110mハードル、走り高跳び、砲丸投げ)だったんです。出場してみたら、高跳びとハードルが割とよくて。そこからですね、目覚めたのは。

中川 高校に入ると、八種競技(四種競技に100m、走り幅跳び、やり投げ、1500mを追加)で頭角を現していきました。ただ、8種というだけに、練習量も厳しく、ケガのリスクもかなりあったと思うのですが。

泉谷 いや、練習は楽しかったですね。今日は走りの調子が悪いから、投擲(とうてき)の練習をしようとか。自分のコンディション次第で、自由に選んで練習ができたので。

中川 なるほど、だから順大に進んでからも、ハードルと跳躍を並行されたわけですね。でも、どちらかに絞ろうという気にはならなかったですか?

泉谷 ハードルの調子が悪い時期、その考えがよぎったこともあります。けど、跳躍をやってるからこそハードルに生かせる部分も多々あるので、そこは頭の中で整理して、結果オーライということで。

中川 陸上競技で食べていこう、世界を目指そうと決心したきっかけはなんでしたか?

泉谷 大学1年のとき、インカレで優勝してからですね。記録を出せるようになって、もしかしたらやっていけるのかもと思い始めたんです。

中川 そこから意識は格段に変わりましたか?

泉谷 はい。やっぱり高い目標があると、しっかりやろうっていう気持ちになりますよね。それに、大きな大会に出るようになって、トップの選手たちと触れ合うなかで、いろいろと学ぶ機会にも恵まれて。練習法や体のメンテナンスとか。それが成長につながりましたね。

■目指したいのは、世界トップ級の12秒台

中川 国内で頂点に立ち、記録も作り、五輪出場を果たしたわけですが、いざ夢の舞台に立ったときはいかがでしたか?

泉谷 無観客が取り沙汰されていましたけど、実際は運営のスタッフやボランティアに応援していただいて、心強かったですね。ただ、迎えた準決勝は茫然(ぼうぜん)としてしまいました。

中川 茫然? それは極度の緊張からですか?

泉谷 まず、レース前に招集がかかった際、競争相手を間近で見たときに圧倒されちゃったんです。金メダルを獲(と)ったハンズル・パーチメント(ジャマイカ、身長196㎝)なんか、僕のおなかの高さまで脚があって。

銀メダルのグラント・ホロウェー(米国)も、腕の太さが僕のふくらはぎぐらいあって。正直、こんな選手たちに勝てるのかよって。

中川 コロナによる国際試合経験の少なさもあって、レース前にのまれてしまったわけですね。スタートしてからはいかがでしたか?

泉谷 それが、頭の中、真っ白で。唯一覚えているのが、ピストルが鳴った次の瞬間、隣のレーンだったパーチメントの異次元的な速さ。それが横目に飛び込んできて、「え?こんな速いの?」って。焦って、必死についていこうという時点で負けでしたね。

中川 結果、五輪デビューはほろ苦いものとなりましたが、そこからどのようにして切り替えていったのでしょう。

泉谷 僕、けっこう根に持つタイプなんですよ(笑)。なので、あえて練習中に思い出しては、その悔しさを発奮材料にしてましたね。昔、先輩に言われた言葉が強く心の中に残っているんですよ。「つらいときこそ結果を出さなければ、一流とは言えない」と。

中川 挫折から逃げるのではなく、モチベーションにしたわけですね。昨夏から今に至るまで、どのような取り組みをされてきましたか?

泉谷 具体的には、体幹トレーニングや肩甲骨の可動域の拡張ですね。トレーナーをつけて丹念に取り組んできました。

中川 手応えは感じますか?

泉谷 そうですね、体幹を鍛えることで軸がしっかりしてきて、後半ブレずにラスト10mもしっかり走れるだとか。肩甲骨については、腕の振りが変わってきたと実感しています。

中川 いよいよ、日本チャンプとして臨む世界陸上が目前に迫ってきました。泉谷選手は前回の19年ドーハ大会において、東京五輪同様、いやそれ以上に悔しい思いをしていますよね。

泉谷 そうですね、直前の肉離れで棄権して。おいそれと行ける距離じゃないですよね、ドーハって。長い時間飛行機に乗って、それでまさかの棄権かよって。スタンドから予選と決勝を眺めたのは、一生忘れられない悔しい思い出です。根に持つタイプなんで(笑)。

中川 それだけに、今回は期するものがありますよね。

泉谷 はい。まずは、準決勝で自分のアベレージ以上を確実に出して。決勝進出となったら、そこから先はなるようにしかならないので、自分らしく走りたいと思ってます。

中川 楽しみですか?

泉谷 もちろんです。大きな大会に出て、世界のトップたちと相まみえるのは貴重な経験にもなりますしね。

中川 13秒06から先の目標タイムはありますか? 

泉谷 やっぱり、12秒台は出したいです。そこに到達できれば、一気に違う世界というか、頂点に近づけるので。

中川 そして、世界陸上の後はパリ五輪ですね。

泉谷 はい、五輪の借りは五輪でしか返せないですしね。パリにはぜひ行きたいです。その前に、まずは、世界陸上でいい結果を残したいですね。19年の世界陸上の無念は、今回絶対に晴らしたいです。

*このインタビューは、6月の日本選手権前に行ないました

●泉谷駿介(いずみや・しゅんすけ)
2000年1月26日生まれ、神奈川県出身。110mハードルのほか、三段跳びや走り幅跳びも専門とする。三段跳びでは、18年のU-20日本選手権で15m89(追い風1.5m)の好記録。ハードルと共に2冠に。昨年の東京五輪では13.06秒の日本記録(シーズン世界3位)を引っ提げ、日本人57年ぶりに同種目準決勝進出を果たした

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。昨年まで『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めたほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30~)のパーソナリティを担当。テレビ東京『ゴルフのキズナ』(毎週日曜10:30~)に出演中

スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/かんだゆうこ(中川) 衣装協力/MIKU FUKAMITSU 取材協力/順天堂大学

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