「15ラウンドって長いんですけれど、あっという間だった」と、アリ戦を振り返る猪木

「燃える闘魂」逝く...。週刊プレイボーイ誌上にて人生相談のコラム「風車の如く」を連載するなど、 週プレが追いかけ続けたスーパースター、アントニオ猪木さんが10月1日に亡くなった。

週プレNEWSでは追悼の意を表して、2016年5月29日に配信した猪木さんのインタビュー記事の<後編>を再配信する。前日の2016年5月28日に配信した<前編>と併せてお読みいただきたい。

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"総合格闘技の元祖"とされるアントニオ猪木vsモハメド・アリから今年で40年。当時の真剣勝負の真実に、ノンフィクション作家・田崎健太が迫るインタビュー。

前編記事(「うぬぼれ、強かったからね。俺こそ世界一だと思っていた」)で実現までの困難な交渉過程を明かした猪木が、後編では試合内容を振り返った。

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1976年6月26日、猪木対アリの試合が日本武道館で行なわれた。1ラウンドから猪木は滑り込むような体勢で蹴りを繰り出し、マットの上に体を置いてアリのパンチを避けた。これは、猪木の技のほとんどが禁止され、蹴り技にしても〈膝をついたり、しゃがんでいる状態の足払い〉のみ認められるというルールだったからだ。

試合は15ラウンド引き分け。試合前にルールが説明されていなかったこともあり、"世紀の凡戦"と揶揄(やゆ)された。猪木と新日本プロレスはこの試合で9億円もの負債を抱え込むことになった。

――試合終了後のリングで猪木さんはやりきったという表情にも見えました。会場の雰囲気をどう感じていましたか?

猪木 終わったというか、「終わっちゃった!」という感じ。決着をつけなきゃいけないのにそのまま終わっちゃった。15ラウンドって長いんですけれど、あっという間だった。

――猪木さんはほぼ蹴りのみですが、アリも15ラウンドで5発しかパンチを打てなかった。パンチを打たせないというのがゲームプランだったんですか?

猪木 そうですね。(額を指さして)ここはしょうがない。だけど、こっち(顎〈あご〉)は絶対ダメ。信じる、信じないは別にして、目をやられたら潰れますよと予言してくる人もいた。つまり、(アリが使っていたのは)普通のグローブじゃないということ。(机をトントンと叩いて)これに近いような硬さのものがドーンと当たれば、どうなるか。

――アリがグローブに仕掛けをしてくるかもという話を聞いていたんですか?

猪木 いろんな人が言ってきた。アドバイスだったのかな。

――試合の時、アリが使用していたのは4オンスの薄いグローブ(通常のヘビー級は10オンス)。リングの上でグローブが硬いと感じた?

猪木 いや、覚えていないです。(グローブの下に)バンデージを巻こうが何を巻こうが、制約もなかったんだから。細工をして当然。闘う以上はそれぐらいの覚悟はしていた。

■離婚した時でも、もう寝るしかねえなって(笑)

――アリ側は試合直前に警戒してルールに様々な制約を課してきた。しかし、猪木さんサイドはアリ側の"細工"の噂を知りながら、グローブのチェックをしなかったんですか?

猪木 疑ったことない。要するに(アリの)パンチを食うつもりないし。倒せば勝てるという、その一点しか考えていなかった。実際に(アリを)つかまえて倒したんで、上から一発(ヒジを)かませば終わりだった。

――しかし、できなかった。

猪木 ロープが計算違いだったというか、ロープをつかまれると(自分の懐に)引っ張り込めない。今になって言ってもしょうがないけど、そこまで計算していなかった。ロープがなければタックルして倒せたんですけれど。

――当時、猪木さんの周りには異種格闘技戦のブレーンはいなかったんですか?

猪木 いなかったんじゃないかな(笑)。そこまで(格闘技戦に対する知識が)進化していなかったというか。

――この試合についてアリ側は最初、エキシビションマッチだと認識していたという話もありますが...。

猪木 (言葉を遮[さえぎ]って)それは後から聞いた話で、こっちはそんなつもりは全くないですからね。

――レスラーとしてはリングの上でアリと向き合い、経営者としては収益を考えなければなりませんでした。不安や恐怖で夜、眠れなくなったことはありませんでしたか?

猪木 うーん、昔は割と早起きだったんで、すっと寝ちゃうんですよ(笑)。離婚とかいろんな経験した時でも、もう寝るしかねえなって。寝ないと元気が出てこない(笑)。

――アリの時も前夜はすぐに寝てしまった?

猪木 朝まで(恐怖と)付き合ってもしょうがないでしょう。その段階では(アリがリングに)上がる、上がらないかもわからなかったんだから。

――不安でも眠れるんですね。

猪木 (フッフッフッと笑みを浮かべて)まあ、寝ちゃうわけ。でも、国会では寝てないよ、それだけは気をつけている(笑)。

――最後に、人生をやり直すことになったら、もう一度アリと対戦しますか?

猪木 (口の端を上げてニヤリと笑って)やりたくないですよ、もう。いや、ないって言ったら夢がなくなっちゃうから、「もう一回やってしっかり勝負つけたいね」ということにしようか? ファンに向けたサービスとして(笑)。

■アントニオ猪木 1943年生まれ、神奈川県出身。本名、猪木寛至。ブラジル移住時代、力道山に見いだされ、60年に日本プロレスでデビュー。72年、新日本プロレスを旗揚げし、モハメド・アリ、ウイリエム・ルスカら世界の強豪たちと異種格闘技戦を行なった。89年、スポーツ平和党から参院選に出馬し初当選。2007年、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)旗揚げ。13年、日本維新の会から参院選に出馬し当選、国政に復帰。現在、日本を元気にする会の最高顧問

■田崎健太 1968年生まれ、京都府出身。ノンフィクション作家。著書に『真説・長州力 1951―2015』(集英社インターナショナル)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。現在、『KAMINOGE』(東邦出版)にて「真説・佐山サトル」を連載中

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アントニオ猪木さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。