清原和博の次男で、慶應義塾高のサードを守る勝児。体格は173㎝、80㎏だが、センター返しを基本とした打撃でヒットを重ねる清原和博の次男で、慶應義塾高のサードを守る勝児。体格は173㎝、80㎏だが、センター返しを基本とした打撃でヒットを重ねる

「ガーリ~!」

三塁キャンバスから大きな声が響き渡る。慶應義塾高の試合前のシートノックで、高々と舞い上がったフライを清原勝児(1年)がキャッチした。

慶應ではフライを捕る際にメジャーリーガーのように「ガーリー(「I got it」の略)」と叫ぶ。捕球後に勝児が帽子を取ると、サイドをツーブロックに刈り上げ、センター分けにした髪がのぞいた。非・丸刈りを推奨する慶應らしいスタイリッシュな姿を見て、つい「〝番長〟とは程遠いな」と考えてしまった。

勝児の父・和博は西武、巨人、オリックスでプレーした、言わずと知れた大打者である。PL学園高時代には桑田真澄(元巨人)との「KKコンビ」で名をはせ、甲子園通算13本塁打は不滅の金字塔。プロでは歴代5位となる通算525本塁打を放った。

一方で、メディアから〝番長〟と評されたように、威圧的なキャラクターも知れ渡っていた。「勝つ子供」という意味を込めて命名された勝児にも、勝負への飽くなき執念が組み込まれているに違いない。

今秋の関東大会では慶應のベスト4進出に貢献し、来春の選抜高校野球大会出場を確実にしている。つまり、再び「清原」が甲子園に戻ってくる。

関東大会の試合中に、ヒヤリとするシーンがあった。マウンドには最速150キロを誇る来年のドラフト候補右腕・平野大地(専大松戸高)。その剛速球が勝児の左肩にめり込んだ。

一瞬、フラッシュバックする光景があった。ぶつけられた投手にジャンピングニーパッドを決めたり、据わった目で投手を見つめながら右手で手招きするといった父・和博の姿だ。

ところが、勝児は怒りの感情を微塵(みじん)も見せず、マウンドの平野に向かって左手を上げて、静かに一塁ベースへと向かった。試合後、勝児はこのように語っている。

「平野くんも悪気があって当てたわけじゃないですし、自分に対してしっかりストレートで勝負してくれてありがとう、という思いでした」

デッドボールを当てられて「ありがとう」と感謝する高校球児など初めて見た。泰然とした態度に大物感を覚えずにはいられなかった。

秋の関東大会を観戦する父の和博。「清原の次男」として大きな注目を集めているが、勝児は「それをプラスに」と受け入れている秋の関東大会を観戦する父の和博。「清原の次男」として大きな注目を集めているが、勝児は「それをプラスに」と受け入れている

ただし、現時点での勝児は話題が先行している感が強い。この日の打順は7番。「1年生で7番打者なら上出来」と思われるかもしれないが、勝児は単位不足のため2度目の1年生を過ごしている最中。つまり2年生と同年齢であり、高校野球の規定上、公式戦に出られるのは来年夏までになる。

高校通算本塁打は8本で、37年前に通算64本塁打をマークした父とは比較にならない。体格も身長173㎝、体重80㎏と父よりひと回り小さい。それでも、メディアは勝児のコメントを求める。

今秋の関東大会はメディアが取材希望選手を主催側に伝え、試合後に会見がセッティングされる形式だった。勝児は活躍しようがしまいが、毎試合会見に呼ばれて鈴なりの報道陣に囲まれた。多感な高校生には、あまりに酷な状況である。筆者もそのひとりとして、勝児に対して罪悪感を覚えずにはいられなかった。

しかし、勝児は毅然(きぜん)とこう言ってのけたのだ。

「注目されることはわかっていたので、それをプラスに変えていきたいと思っています」

そんな殊勝な心境に達するのは、高校生ではなかなか難しいのではないか。そう感じて勝児に尋ねると、真っすぐにこちらを見つめてこう答えた。

「慶應に入る前はプレッシャーがいろいろとあって、メンタル的に苦しい時期もありました。でも、慶應でいろんな人の話を聞いて刺激をもらえて、人として成長できている実感があります。どうしてもお父さんと比べられると思いますが、自分は自分なので。自分らしくプレーしたいです」

偉大な打者の息子という運命を受け入れ、ポジティブに前を向く青年がそこにいた。SBT(スーパーブレイントレーニング)理論を提唱し、慶應のメンタルコーチを務める吉岡眞司氏の講義を受けた勝児は「メンタルが大事だな」と再確認したという。「注目される中で、どうプレーするか」を追求した末に、今の境地にたどり着いたのだ。

勝児の帽子のひさしの裏には、和博の直筆で「氣」「センター返し」「リラックス」などとしたためられている。

なかには勝児を「実力不足」と評する者もいるに違いない。確かに現時点では、実績も実力もドラフト候補と呼べるレベルにはない。だが、慶應という名門校でレギュラーを張る事実も、並大抵ではないことを強調しておきたい。

しかも、慶應は学業との両立も厳しいことで知られている。勝児は幼稚舎(小学校)からの内部進学生だが、偏差値76といわれる超難関を突破した秀才と机を並べ、厳しい部活動と両立しなければならない。勝児だけでなく、慶應の野球部員が留年してしまう例は珍しくないのだ。

そして、勝児がこれから大化けする可能性だって十分にある。夢は今もプロ野球選手。センター方向を中心に快打を放つ打撃は伸びしろがある。

なお、勝児の3歳上の兄・正吾は現在、慶應義塾大野球部の2年生。下級生を対象にした「東京六大学フレッシュトーナメント」では、2安打2打点と活躍した。

正吾は小学生時に野球、中学生時にはバレーボール、高校時にはアメリカンフットボールと多彩なスポーツを経験。大学で再び野球に戻るという、異色の経歴をたどっている。身長186㎝、体重90㎏とたくましい肉体を誇るだけに、今後が楽しみな好素材だ。

メディアはこれからも清原兄弟を大きく取り上げるに違いない。だが、勝児の言葉のように好奇の目をプラスに変えられれば、彼らは自分の運命を前向きに切り開けるはずだ。