春夏を通じて13度目の正直だった。仙台育英(宮城)が今夏の甲子園を制し、東北勢の悲願となる、深紅の大優勝旗の〝白河の関越え〟が果たされた。同校の指揮官である須江 航(すえ・わたる)監督(39歳)は、その戦いをこう表現する。
「Tシャツにジーパン姿。準決勝、決勝でもスーツで着飾ることなく、普段着の野球に徹することができた。それが本当に大きかったですね」
前年の2021年夏、須江自身も「力があった」と述べるチームは、地区大会の4回戦で足をすくわれた。今夏の優勝チームは始動が早く、例年よりも準備期間は長かったが、「谷間の世代」とも呼ばれるなど、決して戦力に自信があったわけではない。
「新チームに切り替わった際、客観的に数値を分析して、全国優勝できる可能性は3%もないと思っていました」
事実、昨年の秋季東北大会準々決勝では2-8のワンサイドゲームで花巻東(岩手)に敗れ、春のセンバツ出場を逃した。しかし、この敗戦が仙台育英の代名詞となった「140キロ超クインテット(五重奏)」の躍進につながる。
須江は「日本一の競争」を掲げ、チーム内の指標としてデータを重用する監督だ。そのため、特定の選手に必要以上に依存することは避けてきた。
しかし昨秋は、左腕の斎藤 蓉投手に執着した面がある。全国を見据え、須江の中には「斎藤が成長することで勝てるチームになる」というイメージがあったが、花巻東戦では序盤に捕まった斎藤を引っ張り、敗戦している。
「全国ベスト8を狙えるチームづくりの〝基準〟は持っていたんです。でも深い心理で、それに満足してしまっている自分もいた。昨秋の敗戦を受けてそれを一度解体して、すべてをフラットにしました。スケジュールや取り組み、投手起用も含めて、本当にゼロからつくり直したんです。
斎藤やほかの投手陣とも何度も膝を突き合わせて話し合いましたよ。そうして夏を迎える頃には〝どんなテストでも70点は取れるチーム〟に仕上がり、余白も残っていたんです」
夏までは守備面の再構築に腐心した。特に3年生の斎藤と古川 翼、2年生の髙橋煌稀、仁田陽翔、湯田統真ら5投手はチームの絶対的な強みになっていく。継投にも細かいルールを設定し、自分の感覚に頼らないように心がけた。
チームは甲子園でも力をつけながら勝ち進み、決勝のマウンドは斎藤に託された。斎藤は起用に応え、7回1失点の好投。勝利投手として歴史に名前を刻んだ。
それから3ヵ月がたとうとしている今も、須江は「監督としての達成感はないです」と控えめだ。一方で、東北勢初の優勝の余波に関しては、少し饒舌(じょうぜつ)になる。
「驚くほど多くの方が、優勝と自分の人生を重ねてくださったと感じました。東北は土地柄、隣県のチームが勝ち進んでも応援する。〝東北はひとつ〟という感覚があって、東日本大震災以降により強くなりました。
また、東北勢が優勝できないことで〝勝負弱い〟イメージがつき、コンプレックスを感じていた方もたくさんいたんです。そういう文化や歴史を払拭できた、という声もいただけたのが、何よりもうれしかったですね」
埼玉県生まれの須江は、東北に移り住んでから25年。その言葉の節々で、東北への深い傾慕がにじむ。
「常々、『東北の子たちも素材は負けてない』と言い続けてきましたが、例えば競争力が高い環境で育った関西の選手には、高校時代に追いつかないことも見られた。ただ、今の東北勢は強い。ウチが白河の関を越えたのはひとつの契機で、今後はどんどん優勝するチームが出てきますよ」
甲子園優勝時のインタビューでも、東北への思いを強調し、自然と感情があふれた。そのときの名文句「青春って、すごく密なので」は、全国で共感が広がり、新語・流行語大賞にもノミネートされている。
コロナ禍によって日常生活や野球でも自粛を強いられ、20年の春夏の甲子園大会中止を味わった選手たちもいた。そんな先輩を見てきた現在の3年生たちと、同じ時間を共有してきた須江だからこそ生まれた言葉でもある。
「今の3年生たちはいろんな場面で我慢を強いられてきた。それは本当にすごい経験で、見方を変えればすごく将来への可能性を秘めた世代です。そのことも伝えたかった。
私の座右の銘は〝賛否両論〟。今の時代は、世の中に賛同されるだけでは時代遅れ。失敗を恐れるのではなく、批判もあるからこそ議論を呼び、伝わることもあると思うんです」
仙台育英の歴史上、〝最も遅く〟始動した新チームは、夏の優勝チームから髙橋、仁田、湯田の投手3人、捕手、遊撃手、中堅手とセンターラインに主軸が残った。
追われる者のプレッシャーもある中、秋季東北大会では見事に優勝。来春のセンバツ出場もほぼ確実にし、11月18日に開幕する明治神宮大会に向けて「東北にもうひと枠勝ち取ってきます(優勝校が所属する地区のセンバツ出場枠が1増える)」と決意を込める。
須江は指導者人生の中で、毎年必ず一年間を簡単な言葉で総括してきた。だが、激動の夏を最後まで勝ち続けたことで、まだ当てはまる言葉は見つかっていない。
「初めて負けずに終わったことで、まだ完結していないんです。神宮大会でひと区切りとなるんだと思います」
選手時代は補欠で、学生コーチだった。今でもコンプレックスはあるというが、その経験が須江の源泉に流れ、強みになっているのも事実だ。最後に、須江が考える理想の指導者像を尋ねてみた。
「監督の仕事は、突き詰めるとモチベーターです。プレーするのは選手ですから、私にはそれしかできません。野球は288通りのケースがある(ボールカウント12通り×アウトカウント3通り×走者の状況8通り)。
その選択肢の中から、選手たちがストレスフリーでプレーできるための土台をつくるのが私の理想。プロフェッショナルとして、周りから求められることを安定的に供給する。それを追い求めていきたいですね」
100年超の歴史を経て、宮城県に優勝旗をもたらした青年監督は、東北勢の思いも胸に、歩みを続けていく。