井上尚弥 1993年生まれ、神奈川県出身。ライトフライ級、スーパーフライ級を経て、2018年5月にWBA世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇達成。19年5月にIBF王座、22年6月にはWBC王座も獲得し、日本人初、バンタム級史上初の3団体統一王者になった。23戦23勝(20KO)無敗井上尚弥 1993年生まれ、神奈川県出身。ライトフライ級、スーパーフライ級を経て、2018年5月にWBA世界バンタム級王座を獲得し3階級制覇達成。19年5月にIBF王座、22年6月にはWBC王座も獲得し、日本人初、バンタム級史上初の3団体統一王者になった。23戦23勝(20KO)無敗

ついにこの時が来た! 正真正銘の世界最強へ。世界主要4団体のうち、バンタム級の3つの王座を保持する井上尚弥(いのうえ・なおや)が、残るひとつのベルトを獲得すべく12月13日、「4団体統一戦」に臨む。

今回も『週刊プレイボーイ』は密着撮影&インタビューを敢行。念願の一戦にかける思い、そして、その先にある「夢」を語る!

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■「勝つだけならやりやすい相手です」

ジム内の空気は、試合が近づいてきたことを告げていた。「張り詰めた」とまではいかなくても、緊張感が漂う異空間。バンタム級世界3団体統一チャンピオン、井上尚弥(大橋)はリングのそばにある椅子に腰を下ろし、バンデージを巻き始めた。

WBO王者のポール・バトラー(英国)戦まで1ヵ月を切った11月19日。横浜市内の大橋ジムで、練習前に話を聞いた。

6月、ノニト・ドネア(フィリピン)との再戦は衝撃だった。初回に右のカウンターで倒し、2回には連打で圧倒し、最後は左フックでTKO勝ち。反響がすごかったのでは、と問いかけた。

「ドネア戦ですか。うーん、どうなんでしょうね」

そう口にして、しばらく黙り込んだ。

「まあ、すごかったんでしょうけど、そこがゴールじゃないし、今となっては自分の中では......」

その後の言葉を飲み込む。おそらく「過去のこと」と言いたかったのだろう。

ドネア戦の直後には、米国の老舗専門誌『ザ・リング』が選定する全階級を通じた最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」で1位に輝いた。世界の全ボクサーの中で「最強」の称号だ。そのことを聞いても、心ここにあらずといった表情だった。

「同じようなもんですね」

そして、謎解きをするように、こう言った。

「ボクシングの現役がまだまだ続く以上、そこに特別な思いはないんですよね」

勝利や栄誉の後に歓喜があったとしても、それはもう過去の話。長く感慨に浸ることはない。

例えば、陸上競技で走っている途中に後ろを振り返る選手はいない。ゴール間近になり、ようやく後ろを確認する程度。井上のボクシングに対する思考もまた同じようなものなのではないか。今、全力で走っている最中だ。

来たるべき試合に向け、拳(こぶし)を磨いてきた。9月には米ロサンゼルスでスパーリング合宿を敢行。スーパーバンタム級、フェザー級の世界ランカーたちが向かってきた。緊張感があり、刺激的。充実した日々を過ごした。

10月末から11月初めにかけ、長野・軽井沢で合宿。紅葉が映える秋晴れの下、弟の拓真(右)、いとこの浩樹(左)と共に走り込む。12月13日は拓真も試合を行なう10月末から11月初めにかけ、長野・軽井沢で合宿。紅葉が映える秋晴れの下、弟の拓真(右)、いとこの浩樹(左)と共に走り込む。12月13日は拓真も試合を行なう

10月末から11月初めには長野・軽井沢合宿で走り込んだ。テーマはスタミナとメンタルの強化。下半身、足腰を中心にフィジカルを鍛え抜く。体に負荷をかけ、精神的にも追い込んだ。

全力で、今を生きる。日々できることを考え、やり遂げる。その積み重ねで、ここまでたどり着いた。

12月13日、東京・有明アリーナで行なわれるバンタム級世界4団体王座統一戦。相手のバトラーは右構えから丁寧にジャブを放ち、パンチを打っては距離を取る。一発の破壊力はさほどないものの、基本に忠実なアウトボクサー。34歳。戦績は34勝(15KO)2敗。2014年にはIBF王座も手にしている。

合宿には元世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナーも同行。重しを載せた台車を使ったトレーニングなど、さまざまなメニューで下半身を中心に全身を強化した合宿には元世界3階級制覇王者の八重樫東トレーナーも同行。重しを載せた台車を使ったトレーニングなど、さまざまなメニューで下半身を中心に全身を強化した

井上は最近になって、バトラーがWBO暫定王座(後に正規王座に昇格)を獲得した4月のジョナス・スルタン(フィリピン)戦の映像をくまなくチェックした。

「イメージに変わりはないです。フットワークというか、完全に相手の嫌がるボクシングをしてくるな、と。相手が強かったり、舞台が大きければ大きいほど力を発揮する選手なのかなと思うんで、逆に自分の中では評価が上がりましたね」

――印象に残った動きは。

「ああいう(スルタンのような前に出る)選手に12ラウンド、判定で勝ち切るものを持っている。やっぱり、それだけの技術やスタミナがあります」

――前に出てこないし、ペースを崩さない。

「いや、勝つだけならやりやすい相手なんですよ。ただ、みんなが求めている勝ち方をするには、ちょっと面倒くさい相手ですね」

――かつて対戦した、ガードが堅いジェイソン・マロニー(オーストラリア)と似ていますか?

「マロニーより厄介じゃないですか。マロニーはその中でも割と倒してくるような、向かってくるような気質のあるボクサーなんですけど、バトラーはそういうのがないんですよ。もう本当によけて打って、よけて打って、逃げて。そんな感じなんで」

――バトラーのスタイルだとKOしづらい?

「そうですね。倒すという意味での苦戦というか、やりづらさですよね」

バトラーの細かな動きまで頭の中に入っている。この日のジムワークでは対策が垣間見えた。シャドーボクシングでは、まるでそこにバトラーがいるかのように動く。

大きなドラムミットを持つトレーナーには、「相手がこう来たらこう」「こういう動きがあるから、そのときは」と丹念に確認しながら強いパンチを打ち込んだ。練習を見る限り、倒すイメージは十分できているようだ。

悪天候の日も体育館で肉体をいじめ抜いた。トレーニングの一環としてバスケットボールをプレーする場面も悪天候の日も体育館で肉体をいじめ抜いた。トレーニングの一環としてバスケットボールをプレーする場面も

■4団体統一戦は「バンタム級の最終章」

ボクシングにはWBA、WBC、IBF、WBOと4つの主要団体がある。ひとつの階級に王者が乱立する時代を経て、近年はチャンピオン同士が闘い、4団体を統一する流れになっている。

唯一の王者は「Undisputed Champion(比類なき王者)」と称され、2004年にバーナード・ホプキンス(米国)がミドル級を統一してから過去8人しか達成していない偉業だ。

井上はバンタム級に転向して以降、8戦8勝(7KO)。すべてが世界戦で、圧倒的な数字を残している。

その初戦となる2018年5月、WBA王者ジェイミー・マクドネル(英国)を1回で葬り、19年5月にはIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)を2回で倒し、今年6月ドネアからWBC王座を奪った。残すはWBOのベルトのみとなった。

「記録とか数字ではなくて、バンタム級のナンバーワン。4団体統一は本当にそこなんですよ。これがバンタム級の最終章、スーパーバンタム級へのスタート。そういう気持ちでいますから」

正真正銘、バンタム級で一番になりたいだけ。そのためには王座を独占するしかない。

「やっぱり、リング上で4本のベルトを巻きたい。それが今の唯一のモチベーションというか、楽しみです」

試合後、両肩と腰に、きらびやかな黒、緑、赤、赤茶の4本のベルトを巻き、次のステージへ向かおうとしている。

これまでは目の前のことだけに集中し、先を見ることもなかった。29歳。来年4月には三十路(みそじ)を迎える。最近、少し先のことを考えた。

「ボクシングをやってきて、今まで夢がなかったんです。ひとつひとつの試合をクリアすることだけを考えてきたんで。

でも、現役を何年続けられるか。あと5、6年だとして、逆算したときにどこに到達しているかな、と。5階級制覇、フェザー級という階級が自分にとっての最後の挑戦になるのかな、と思うんです」

――階級を上げていくと。

「ボクシングは階級制のスポーツなんで、体格とか骨格を含めて適正がある。その中で、階級を上げていくのは自分にとっての挑戦でもあるし」

――5階級制覇が夢になる。

「自分がどこまで行けるかというのは全然わからないじゃないですか。4年前はスーパーフライ級でやっていて、本当にバンタム級で通用するのか、という疑問が自分の中でもありました。当時はまだスーパーバンタム級なんて視野に入れていないですからね」

――3、4年後を考えると、舞台はフェザー級になる。

「今、フェザー級でやれるなんて考えていないですし。だから、そこが自分の夢なのかな」

先の話をしたかと思ったら、やはり「今」に引き戻される。

「バトラー戦、どんな試合になるのかな......」

そうつぶやき、しばらく考える。

「すべてはバトラー次第ですよ。逃げ回れば時間がかかるし、向かってくれば潰し合いになる。ただ、相手も世界王者なので、本当にポイントアウト、倒されないボクシングを徹底されたらやっぱり難しいものもあると思う。自分はいつもどおり、倒す努力をするし、仕掛けていきますけどね」

倒す――。勝利ではなく、あくまでもKOがゴール。周囲の期待に応える勝ち方を目指し、あえて公言する。なぜ、そこまでするのだろうか。

「それは自分へのプレッシャーをかけるためなんですよ。自分が口にしたからにはやらなきゃいけない。そういうところまで追い込めるように、口にしているだけで」

――発言することによって、自分自身を追い込む、そうすると日々強度の高い練習ができるし、結果としてリング上で高いパフォーマンスができるということですか?

「自分はそう考えているんで。そうやって口に出しながら、自分のマインドをコントロールしている感じですね」

――普通なら、自分自身にプレッシャーをかけたくないですよね。

「いや、だから言ったからには必ずやる。使命です。そういうところに持っていっているわけです」

――そのマインドがすごい。

「これだけ練習をやれば、これだけの試合ができるというのがなんとなくわかる。毎試合、練習の目安になっていくじゃないですか。これだけの練習をしたら状態がつくれて、これだけのパフォーマンスができて、というのが」

――今回も高い状態で試合に入れそうですね。

「前回のドネア戦というのは一番すごい仕上がりで挑めた試合。今はそこがひとつの目安になっていますね」

――楽しみにしています。

「ドネア戦のインパクト、ドネア戦以上というか。ボクシングファンでバトラーの映像を見ている人もいると思うんで、そういう人が『ああ、こういうボクサーにこういう勝ち方をするんだな』と」

――あの倒しにくいバトラーを。

「はい。みんな想像するじゃないですか。『こういう展開になって、こういう結末になるんだろうな』と。でも『うわっ、こう来たか、想像を超えてきたか』という試合をしたいと思います」

そう言って、また自分自身にプレッシャーをかけた。

今を生きる。あえて自分に負荷をかけ、極限まで追い込み、やり遂げる。一日一日を生き抜く。その歩みが4団体統一、スーパーバンタム級を経て、夢の5階級制覇へとつながっていくのだろう。