ありったけの感情を爆発させ、全身全霊でスロー――。世界陸上オレゴン2022で日本勢が苦戦する中、気を吐いていたのが日本女子フィールド種目初の銅メダルを獲得した北口榛花(女子やり投・世界陸上2022銅メダリスト/日本航空所属)。今や、2024年のパリ五輪で最も表彰台に近い存在とされる彼女の知られざる苦悩、挫折、そして未来への展望。スポーツキャスター・中川絵美里が聞いた。
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■メダル獲得の瞬間、脳裏をよぎったこと
中川 今年7月の世界陸上2022オレゴン大会で、日本陸上女子フィールド種目初の銅メダルを獲得。世界最高峰のダイヤモンドリーグ(DL)では2度の優勝、年間王者を決めるファイナルに出場して3位入賞。これもまた日本人としては初めての快挙です。振り返ってみていかがですか?
北口 自分でも、いまだに信じられないです。目標にしていたことが次々かなえられて、こんないいことがたくさんあって大丈夫なのかなって(笑)。それぐらい、最高のシーズンでした。
中川 DL初出場となった6月のパリ大会で63m13を記録し、いきなりの優勝。ツイッターでは「めっちゃ嬉しいんだけどどうしたらいいかわかってないです笑笑(原文ママ)」と。DLでの優勝自体、日本の陸上選手が今まで誰も成しえなかっただけに、喜びもひとしおでしたよね。
北口 はい! トップの選手たちが集まる大会に初めて出場して、そこで優勝できたのは夢みたいで。すごく自信につながりました。
中川 そして、世界陸上2022です。予選の1投目で早々とファイナル進出を決め、決勝では、最終の6投目で63m27をマーク、3位入賞を果たしました。銅メダルが決まった瞬間の気持ちは覚えていますか?
北口 ええ。あの瞬間が一番いろんな感情が込み上げてきました。単身、海外に乗り込んで、コーチがいなかった時期は全部ひとりでこなしてきて。ケガで苦しんだシーズンもありましたし......。
それらの記憶が一気によみがえってきたんですよね。本当にここまでたどり着けてよかったなって。自分が選んできた道は間違ってなかった、これで正しい道に進んでいけるって確信しました。
中川 決勝の1投目で3位につけて、その後、5投目までは5位でした。最後の6投目を投げる直前、かなりのプレッシャーがあったと思うのですが、結果的にその日で一番いい投擲(とうてき)でした。絶対に決めるぞという思いだったんですか?
北口 もともとは入賞を目指していたんです。8人の中に残れるようにしようって。入賞が確定した時点で目標は達成されたんですけど、ここまで来たらしっかり勝負したいって思い始めて。
よくよく振り返ってみると、高校時代には6投目で高校生記録を出していたし、後半に強いタイプなんです。自分ならできると信じて、最後の試技に臨みました。
中川 では、重圧よりも自信が勝っていたわけですか。
北口 そうですね。マズい、記録を出さなければっていう気持ちよりも、自分で満足のいく投擲がまだできていない思いのほうが勝ってました。だから、6投目は悔いのないようにできたんだと思います。
■スポーツ万能だが泣き虫だった幼少時代
中川 今や世界的なポジションを築きつつある北口選手ですが、なぜやり投という競技にたどり着いたのかお聞きしたいです。そもそも、3歳で始めたのは競泳。さらに小学生時代からはバドミントンにも打ち込み、小6のときに団体部門で全国制覇。すごい経歴ですね。
北口 特に自分からやりたいって始めたわけではなく、親がいろいろと習わせてくれたんです。で、やったらやったで、速くなりたいとか、強くなりたいって気持ちが芽生えてきて。どうせなら一番になりたい、と。
中川 意志の強い、生まれながらのアスリートですね。
北口 そんなことないですよ! 何かにつけて泣いてばかりでした。水泳ではタイムが遅いと怒られて、ゴーグルに涙をためながら泳いだり。バドミントンだったら、なかなか勝てていない相手と当たった瞬間、試合前から号泣するとか(笑)。
中川 でもその頃から、将来の夢はスポーツ選手になることだったそうですね。
北口 幼稚園の頃、「短冊に将来の夢を書きましょう」という時間に、必ず「スポーツ選手」と「パティシエ」のふたつを書いてたんです。母がスポーツ選手で、父がパティシエなので、単にそれしか世の中の職業を知らなかったんですよね、あはは。
中川 でも、中学時代には競泳とバドミントンを並行して頑張っていたのに、どうして高校に入ってやり投一本になったんですか?
北口 水泳の場合は距離が長くなるにつれ、ペース配分を考えなきゃいけなくなって。バドミントンは、相手の動きをすべてとらえて判断しながら試合を進める必要があります。
その点、やり投というのは、相手ありきではなく、ペースも考えなくていい、自分自身に集中して全力を出し切れるシンプルなスポーツで。自分の性格に合っていたんですよね。
それに、もともとドッジボールや体力測定のソフトボール投げも得意だったんですよ。陸上部の顧問の先生から熱心に誘われたことも大きなきっかけでしたが、最初にやったときから、どこか楽しさは感じてました。
中川 始めてから2ヵ月後の北海道大会ですぐさま優勝。高3のときには世界ユース選手権を制覇しています。アスリートとして生きていこうと思い始めたのはこの頃ですか?
北口 そうですね。それまでは、卒業文集とかでも将来の夢はスポーツ選手って書くことをやめていた時期もあったんです。母から、スポーツ選手としての苦労を散々聞かされていたので。テレビに映っているキラキラしたアスリートは、本当にごく一部なんだなぁって。
でも、世界ユース選手権で金メダルを獲(と)ったとき、世界と戦えるっていう大きな自信をもらえたんです。ユースでのやりの重量は500gでしたけど、本来の女子やり投は600gなので、それで世界一になりたいって思ったんです。
■追いかける難しさ。やり投の心理戦
中川 やり投という競技を調べてみると、奥が深いですよね。北口選手は過去の取材で「やり投はミズモノ」だと答えていますが、これは具体的にはどういうことでしょうか?
北口 記録が安定しないっていう意味ですね。まず、競技場によってトラックフィールドに使われているサーフェス(舗装材)の材質がまちまちなんですよ。海外だと、すごく軟らかいタータン(舗装材向けの合成ゴム)が使われていたり。陸上競技全体にいえることなんですけどね。
中川 なるほど。だから、履くスパイクのピンの長さも都度変えたりするわけですね。
北口 ええ。加えて、雨風とか気候条件によっても距離が左右されてしまうんです。観客の声援というのも影響しますしね。なので、常に満足のいく一定の記録を出すというのはなかなか難しいんです。
中川 北口選手は、19年の世界陸上ドーハ大会では6㎝の差で予選落ち。そして22年のオレゴン大会では、2㎝の差で銅メダルを獲得。わずか数㎝の差で天国と地獄が分かれる、本当にシビアな競技ですよね。
北口 そうですね、数㎝の差でずっと勝った負けたを繰り返してきてますね。
中川 9月の帰国後の記者会見では、「常にトップが入れ替わるのは当たり前」とおっしゃっていましたが、まさにそうしたさまざまな要素が絡んで順位の変動が著しくなるんですか?
北口 はい。加えて、これは私が感じたことですが......毎年シーズンが終わってから、おのおのの選手がトレーニングをこなして次のシーズンに備えるわけですけど、いざ開幕すると、全然別人になっているケースが多々あるんです。
逆もあって、前シーズンは絶好調だったのに、今季はイマイチとか。つまり、自分もほかの選手もどう変化するのか未知数で。よっぽど強くない限り、トップの座を常に独占するのは厳しいです。
中川 駆け引きというか、心理戦もすごいですよね。オレゴン大会の決勝で、北口選手が最終6投目を投げて暫定2位に浮上した際、周りの選手にプレッシャーをかけるために、あえて歓喜のポーズをとったという話が印象的で。
北口 そこまでの大記録を出したわけじゃなかったんで、果たしてどこまでプレッシャーを与えられたかは微妙なんですけどね(笑)。でも、目の前でいい記録を先に出されると、後続の選手はどうしても緊張するし、力みがちです。助走がいつもよりも速くなりすぎてしまって、飛距離に影響が出たり。
つまり、追われるよりも追いかけるほうがキツいわけです。なので追う側だったら、できるだけ気持ちを引っ張られないように、早めに投擲するのが鉄則です。
中川 駆け引きもそうですけど、自分の順番が回ってくるまで待機している間、どうやってメンタルを維持するのか、すごく気になっていました。
北口 競技時間自体は正味1分ぐらいなんですよ。待機時間のほうが全然長いんです。だから、コーチと話せるコーチングエリアに行ってアドバイスを受けるとか、場合によってはたわいのない話をするときもあります。
そうすることで、よけいな不安や緊張を取り除くわけです。ただし、ひとたび投擲するためのピットに入ったら、全力で集中することにしてます。
中川 ピットに入る際、何かルーティンはありますか?
北口 はい、水泳をやっていた頃からずっと続けているのが、10回ジャンプすることや、脚を振ることですね。それと、唇を高速で震わせること。
中川 ああ、リップロールですね! それはなぜですか?
北口 緊張してくると、顔がこわばってしまうので。それをほぐすためにやってます。
■日本とは決定的に違う〝王国〟チェコの流儀
中川 日本大学進学後、右肘靱帯損傷をはじめ、低迷期が続きました。追い込まれた中で、やり投王国チェコの指導者、ダヴィッド・セケラック氏に直接交渉し、19年に現地へ。これが大きな転機になったわけですか?
北口 そうですね。当時、日本の選手で単身渡欧して、現地の指導者にパーソナルコーチを依頼するというケースは、ほぼなかったんですよ。
中川 オレゴン大会で銅メダル獲得後、インスタグラムに「人と違うことを選んで、あの子は違うからと言われてもずっと続けてきてよかった」と投稿していましたよね。賛否両論、風当たりも強かったのかなと。
北口 私としては「世界で戦いたい、世界一になりたい。だったら、男女共にやり投の世界記録保持者を輩出しているチェコに行くしかない」と。いろいろ批判も受けましたけど、結果的に銅メダルという成績を残せたからよかったと思ってます。
中川 セケラックコーチはたびたび来日し、コロナ禍で直接指導が難しいときは、テレビ電話やメールでアドバイスをくれるという懇切丁寧な指導ぶりだそうですね。
北口 はい、すごく面倒見のいい方です。いつも試合中は後方で見守ってくれて。セケラックコーチの家族の皆さんもずっと支えてくれたので、なんでもできるような気がしました。本当に心強いし、感謝してます。
中川 やり投王国であるチェコについてはいかがですか? 技術の高さとか文化の違いですとか。
北口 ありますね。日本だと、陸上競技の花形って、100mとかマラソンじゃないですか。でも、チェコはやり投が国民的スポーツなんですよ。
国全体の人口が約1000万人、競技人口も日本より少ないと思うんですが、少数精鋭で育成に取り組んでいるんです。練習場所も、これは欧州全体にいえることなんですけど、屋内施設を備えているのも強みですね。
中川 練習法については、日本との決定的な違いはあるんでしょうか?
北口 うーん、日本は頑張り続けることが美徳っていう考え方があるじゃないですか。休んだらダメっていう。
でも、チェコでは大きな試合があったら3日まるまる休みとか、シーズンが終わったら1ヵ月間完全に休みとかなんです。あえて競技から離れることで、次に練習をスタートさせたとき、しっかり集中して臨めるようにするっていう考え方です。
中川 では、いざ練習に入ると、どのくらいの日数、時間をかけて行なうんですか?
北口 やりを投げる練習は週に1、2回程度で、それ以外のトレーニングに重きを置きます。走りやウエイト、ジャンプ、ボール投げとかですね。練習時間は2時間半。それ以上やりたいことがあれば、2部練習制にして、夜間にも2時間半という。5時間ぶっ続けとかはまずありえないです。
中川 短い時間で集中するスタイルなんですね。
北口 はい、そうすることで、トレーニングの質はだいぶ向上したと実感してます。
中川 気候や競技場のコンディションの変動がある中で安定した成績を収めるためには、そうした日頃からの土台づくりが大事なんですね。
北口 そうだと思います。私は助走が苦手なんですけど、ランニングの練習をしっかりやることで、助走のリズム感や速度の感覚をつかんだりして。風は追い風が好きで、あとは観客の声援を浴びるとがぜん力が発揮できるんですが、結局のところ頼りになるのは自分の体だけなんですよね。
スパイクややりは素晴らしいものを使わせてもらってますが、それが思わぬアクシデントで壊れてしまうケースもあります。なので、道具に頼りっきりではなく、土台をしっかりつくった上で、身ひとつでどうにでもできるようにしておきたいんです。
■技術は後からでいい。健康であることが前提
中川 来年はまたすぐに世界陸上がブダペストで開催、24年にはパリ五輪が開催されます。特に五輪については、昨年の東京五輪で左脇腹を痛めて結果は12位。非常に悔いが残っているのではないかと思いますが......。
北口 自国開催でしたし、どうしてもメダルを獲りたくて臨んだ大会でしたが......。終了後は寝返りすら打てず、まったく運動ができない状態が3ヵ月ほど続いて。すごく悔しかったですね。
でも休んでいるときに、ふと考えてみたんですよ。自分は本当にメダルを獲るにふさわしかったのかと。急ピッチで五輪に間に合わせるためにがむしゃらにやってきたけど、それまで一回も決勝に残ったことのない選手が無理だろう、と。
そこからは焦らず、じっくりと体をつくって頑張ろうって思い始めて。東京五輪での経験が今に生きていると思ってます。
中川 ケガとの闘いはアスリートの宿命ですよね。
北口 ええ。やっぱり新記録を出すということは、それまでの自分のキャパを超えるからこそ、作れるわけで。キャパを超えるために練習を積んで、だんだんと自分の限界値のラインを上げていくわけです。常にギリギリの線を行ったり来たりしているわけだから、ケガのリスクも当然高まります。
だからこそハードワークは重ねないように、短期集中型で効率よく体力をつけていきたいですね。技術的なことは後からでいい。体が健康であることが大前提です。
中川 土台をしっかり構築した上で、技術を上乗せしていくというわけですね。となれば、来年以降はさらに高みを目指して、狙うメダルは......。
北口 狙って記録を出すのはなかなか難しい競技ですけど、それでも、今年の銅メダルよりもいい色を狙いたいです。あと、日本の女子やり投は世界的に見てかなり高いレベルにあるので、次のパリ五輪では多くの日本人選手が決勝に残って、「日本勢」としてメダルを狙うことを夢見てます。
これは男子ドイツ代表の話ですが、普段はそれぞれ個別に練習している選手たちが集まって意見交換をしたことで、おのおのが相乗効果で強くなったと聞きました。別に一緒に練習しなくてもいいから、そういったやりとりをすることで、日本のさらなる飛躍につながればいいですね。
私も、海老原有希さん(元日本記録保持者)が長らく世界大会に出続けてきた姿を見て、励みにしてきましたから。
中川 北口選手の前向きな姿勢、そして常に笑顔を絶やさないところが本当にすてきですね。
北口 母が昔から「笑顔はいいことを引き寄せてくれるから、常に笑顔でいなさい」と言い聞かせてくれて。確かにつらいときもあるんですけど、でも、そんなときこそ笑顔をつくって。というか、普段からいつも笑ってるほうなんですけどね(笑)。常に前向きでいたいです。
●北口榛花(きたぐち・はるか)
1998年3月16日生まれ、北海道出身。幼少時代から運動神経が抜群で、バドミントンでは後のリオ五輪代表・山口 茜と全国大会で対戦。旭川東高校でやり投に出会い、高3で世界ユース選手権制覇。その後、日本大学に進学。2020年に日本航空に入社。21年の東京五輪で日本勢57年ぶりの決勝進出を果たす。22年世界陸上では銅メダルを獲得。今季自己ベスト64m32の現・日本記録保持者(66m00)である
●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。昨年まで『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めたほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30~)のパーソナリティを担当。テレビ東京『ゴルフのキズナ』(毎週日曜10:30~)に出演中
スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/川上優香(中川) 衣装協力/ FLUMOR KAORU nanagu