公開から1ヵ月半がたった今も熱冷めやらぬ大ヒットを記録している映画『THE FIRST SLAM DUNK』。その原作・脚本・監督を務めた井上雄彦(いのうえ・たけひこ)氏が中心になってスタートし、今や全国のバスケ少年たちにとって、「アメリカでの挑戦」の道しるべになっている事業がある。それが「スラムダンク奨学金」だ。
1月26日、その奨学生たちへのインタビューをまとめた書籍が発売される。彼らはバスケの本場でどんな苦悩と対峙してきたのか、そして、その先にどんな世界が見えたのか。著者の宮地陽子(みやじ・ようこ)氏と伊藤 亮(いとう・りょう)氏のふたりに、たっぷりと話してもらった!
★「スラムダンク奨学金」とは!?
マンガ『SLAM DUNK』の作者・井上雄彦氏の「バスケットボールに恩返しがしたい」という志から2008年より奨学生の派遣をスタートした奨学金制度。高校卒業後、大学やプロを目指し、アメリカで競技を続ける意思と能力がありながら、経済的その他の理由が障害になっている若い選手を支援する。
アメリカ現地でのセレクションを経て、奨学生が選ばれる。奨学生たちはアメリカのプレップ・スクール(大学進学のための準備校)に入学し、約14ヵ月という期間の中で厳しい学業と"本場のバスケ"の荒波に揉まれながら、自ら行く道を選択する。22年現在までに15名が奨学生となった。
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■「未知の世界」にひとり飛び込む
――まずは、この制度のスタートの頃から振り返っていただきたいと思います。
宮地陽子(以下、宮地) 奨学生たちは8期生まではアメリカのサウスケント・スクール(コネチカット州)、9期生からはセント・トーマスモア・スクール(前同)のプレップ(大学進学のための準備校)に留学するのですが、どちらも広大な敷地の中に校舎や寮や体育館がポツポツとある、そんな環境です。
しかも寒い。アメリカのバスケットのシーズンは冬なので、雪に閉ざされ予定の試合が中止になるようなこともしばしばあるんです。
1期生の並里 成(なみざと・なりと)選手は沖縄県出身で、いきなりそんなところに放り込まれたわけですから、まさに「未知の世界」。それに奨学金自体も試行錯誤の段階で、どのくらいの英語力でやっていけるのか、それに対してどのような準備が必要か手探りの状態でした。
彼は英語が得意じゃないと自分でも言っていたし、担当の方が帰られて独りになってからは相当心細い思いをしたはず。
伊藤 亮(以下、伊藤) しかも、いきなり本格的な英語で難しい授業を受けるわけですから。普通の人だったら心が折れるだろうと思いました。それを最後までやり遂げたことは大きな功績だと思います。日本バスケ界でも際立っていますが、スラムダンク奨学金にとっても大きな存在でしょう。
宮地 並里選手は子供の頃から使ってるブランケットを留学先に持ってきていたことが印象に残っています。彼は弱さを見せないタイプですけど、そういったかわいらしいところもある、キャラクターが立った存在でしたね。
――2期生の谷口大智(たにぐち・だいち)さんもキャラが立っていますよね。
伊藤 漫画『SLAM DUNK』の魚住(純)を思わせるビッグマンですが、子供好きの優しい青年です。谷口さんは小学6年の時点で191㎝に達するほど大きくて、中高でもその長身を生かしたプレーを求められてきました。
宮地 その縛りはアメリカに行って解き放たれたと思います。向こうでは谷口選手と同じぐらい大きい選手はたくさんいますからね。
伊藤 彼はアメリカでゴール下だけではなく、外からのシュートを磨き、自分に対する見方も変わったと言っていましたね。人の目を気にせず、自分はこれでいいんだと、心の底から思うようになれるのは、奨学生たちに共通する成長かもしれません。
4期生の山崎 稜(やまざき・りょう)さんはアメリカで揉まれる中、自分の強みを3ポイントシュートに絞ってそれを徹底的に磨き上げ、コーチにも認められました。
何を選択し、どうアジャストするかは人それぞれですが、じっくり自分と向き合い、自力で道を切り開いてゆけるようになるのが、留学の意義なのかなと思います。
――奨学生は高校時代に全国大会に出場した経験がある選手が多いですが、その意味で3期生の矢代雪次郎(やしろ・ゆきじろう)さんは、少し異色ですね。
宮地 最初の並里選手や、2期生の谷口選手、早川ジミー選手が全国的に有名だったのに対して、矢代選手はどちらかというと無名でした。
そんな彼がプレップスクールでの14ヵ月間をやり抜き、その後4年制大学を卒業するまでアメリカでがんばり通したのは、井上先生が最初に思い描いていた奨学金のあり方そのものだったのでしょう。
というのも、スラムダンク奨学金は、こちらから優秀な選手をピックアップするものではないんです。やりたい人が応募して、トライアウトを受けるという形をその後もずっと貫いていきました。
伊藤 その後に応募した人たちに「自分も応募していいんだって思わせてくれた」という話は聞きますし、そういう意味で矢代さんは、裾野を広げてくれた選手ですね。
――奨学金は第5期が該当者なしで、翌6期生の山木泰斗(やまき・ひろと)選手へと続いてゆきます。この頃になると制度面はそれなりに整ってきましたか?
宮地 そうですね。最初の頃は奨学生が留学先でどんな苦労をするのか見えない部分もあったのですが、彼らの体験談を聞いて、その全貌がつかめてきた。例えば留学前に英会話の学校に通わせるとか、だんだんと英語の事前の準備体制ができていった感じです。
伊藤 多くの選手が必死に英語を習得しました。僕は取材のとき、だいたいBリーグの(奨学生が取材時に所属している)チーム練習にお邪魔して話を聞いたんですけど、みんな外国籍の選手とナチュラルにコミュニケーションをとっていました。その姿は単純にカッコいい。
――通訳兼選手という形で契約する方もいますね。
伊藤 はい。高校までバスケひと筋でやってきた選手も多いので、イチからそれだけの英語力を身につけたのは、並大抵の努力ではないと思います。
■すべては「コート上でどれだけやれるか」
伊藤 しかし、今回のインタビュー取材で思ったのですが、奨学生は、みんな落ち着いた目つきをしていますよね。
宮地 人里離れた環境で、自分と向き合う時間がたくさんあったんでしょうね。
それに、学校にはほかの国からの留学生や、アメリカ国内でも家族から離れて入寮している選手もたくさんいます。日本で全国常連だろうが無名校出身だろうが、評価には関係ありません。結局、コート上でどれだけやるかがすべて。そんな環境で人間性が磨かれていったのだと思います。
例えば、酒井達晶(さかい・たつあき)選手(第9期生)は、ある試合のとき、コーチの指示と違うプレーをしたチームメイトに、その指摘をしたところ、言葉の壁もあって無視されたんです。
そしたらコーチがすぐタイムアウトをとって、指示どおりに動かなかった選手を叱ったことで、酒井選手が正しかったと認められた、というエピソードがあります。それが、チームからポイントガードとして信頼されるきっかけになった。
試合中の一場面だったり、普段の練習だったり、きっかけはさまざまですが、ひとりの選手として認められる経験を、ちゃんと積んでいる。
伊藤 みんなすごいストイックですよね。自分の18歳の頃を考えると、信じられない経験をしてる(笑)。
宮地 日本で過ごしていたら、遊びたい盛りじゃないですか。
伊藤 ですよね。
宮地 小林 良(こばやし・りょう)選手(第11期生)が「選択がベストかどうかではなく、今いる場所をいかにベストにするかが大事なんだ、とアメリカで学びました」と言っていました。言葉にしなくても、そう思っている選手は多いのではないでしょうか。
みんな初めはD1(ディヴィジョン1。アメリカの大学スポーツの1部リーグ)の大学に進学するという目標を持っていて、その壁が想像以上に高いと気づいたとき、じゃあ自分はどこで何をすれば次のステップを踏めるか、いろいろ考えて選択していると思います。
猪狩 渉(いがり・わたる)選手(第8期生)は留学先のサウスケントの休み期間にIMGアカデミー(※)で練習していたら、そこでIMGに残らないかと勧誘されました。
そして、猪狩選手は「今、自分が必要とされているのはこっちだから残りたいです」と井上先生にも直接交渉して、残留にこぎ着けた。そういうふうに自分で目標を定めて前に進むメンタリティは、皆さん共通しています。
(※)フロリダ州にある全寮制の寄宿学校。スポーツのエリート輩出校として世界的に知られ、テニスの錦織圭選手の母校でもある。
伊藤 目標を決めて、そこから逆算していく人が多いと思うんですが、山木さん(第6期生)の場合は、今を大切にするのが印象的でした。先を見据えすぎると、くじけちゃったり、考え込んじゃったりするから、とにかく今できることに精いっぱい取り組んでゆく、と。
飄々(ひょうひょう)とした面白い方なんですが、内にはたぎるものを持っていて、そのギャップが魅力的な人です。
■ジェフとクイン、ふたりの名コーチ
――受け入れ先のヘッドコーチの存在は大きかったと思います。8期生まではジェフコーチ、9期生からはクインコーチの指導を受けていますね。コーチとの関係についてはいかがでしょう?
宮地 日本から来た、アメリカに身寄りがない選手たちにおふた方とも気にかけてくださっていたと思います。谷口選手なんか、ジェフコーチのお子さんたちと仲良くなっちゃって、家まで遊びに行っていたくらい(笑)。コーチにとっても、かわいい選手たちだったのではないでしょうか。
伊藤 村上駿斗(むらかみ・しゅんと)さん(第7期生)はコーチの部屋に通って積極的にコミュニケーションをとっていたそうです。今もSNSでつながっていて、ジェフコーチのことを「アメリカのお父さん」なんて呼んでいますよ(笑)。
――9期生以降を担当したクインコーチも強烈な印象を残したようで、本書にたびたび登場します。
宮地 クインコーチはハイスクールバスケの指導ひと筋で、実はバスケットの殿堂入り候補になるくらいの実績をお持ちの方なんです。練習や試合のときは顔を真っ赤にして怒るんですけど、それ以外はものすごく優しいんですよ。
モサク オルワダミロラ雄太ジョセフ選手(第13期生)には「君には才能があるから、少しの間、我慢しろ」と励ましたり、鍵冨太雅(かぎとみ・たいが)選手(第10期生)には「自信がないのは成長したい思いがあるからで、とてもいいことなんだよ」とアドバイスしたり、とにかくたくさんの選手を見てきて、その後どう育っていったかも知っているから、選手ひとりひとりに合わせた指導ができる、名コーチですよ。
伊藤 自信という意味では、ホール百音アレックスさん(第11期生)はクインコーチにオフェンスについて「もっと自信を持て!」と叱られ続けたそうです。
自分では自信を持っているつもりなのに自信を持てと言われる、そのギャップにずっと悩んでいた彼が、とある練習中のゲームで速攻のドライブからバスケットカウントをとるプレーをした。するとクインコーチがハグしてホメてくれ、その瞬間がブレイクスルーのきっかけになりました。
■道なき道に道をつくった
――スラムダンク奨学金は、昨年に第13期生の須藤タイレル拓選手がノーザンイリノイ大学に入学したことで、D1進学という目標をついに達成しました。NBA選手の輩出も夢ではなくなってきていると思います。
伊藤 D1に進むのはわかりやすい形での成果だと思いますが、たとえそれを達成できなくとも、挑戦する一歩を踏み出すこと自体がこのプログラムの大きな意義ではないでしょうか。宮地さんはいかがです? やはりNBA選手は出てほしいですか?(笑)
宮地 もちろん出たらうれしいですが、そこが最大の目標ではない気がします。スラムダンク奨学金はバスケットに関して、いろんな道や関わり方があることを示すのが、その意義だと思うので。
この奨学金が始まった頃、高卒後にアメリカの大学でプレーするには直接大学に進むしか道はないと思われていたんです。そこにスラムダンク奨学金が、プレップで準備するという道を見せた。
NBAで活躍している渡邉雄太選手もプレップ出身ですが、この奨学金を通じてその選択肢を知ったんだとすると、間接的にはNBA選手をすでに生んだと言えるんじゃないかな(笑)。
伊藤 この先、奨学生がNBA選手になる期待感はめちゃくちゃありますけど。
宮地 選手じゃない場合もありえますよね。例えば酒井選手はもうすでに、夏の間、NBA選手のワークアウトをするコーチの下で、アシスタントをしているんです。
彼らが留学中にプレーを磨くだけじゃなく、コミュニケーション力を身につけ、向こうの人たちと関係を築き、経験を積んできたからこそ、いろんな道が開ける。挑戦することで道が増えるということは、彼ら自身が一番感じているのではないでしょうか。
撮影/宮地陽子(酒井達晶、鍵冨太雅)、伊藤 亮(並里 成、谷口大智、山崎 稜、矢代雪次郎、山木泰斗、村上駿斗、ホール百音アレックス)、和田篤志(小林 良、猪狩 渉、木村圭吾)、 Charles Milikin Jr(モサク オルワダミロラ雄太ジョセフ、須藤タイレル拓)
●宮地陽子(みやじ・ようこ)
東京都出身。出版社勤務を経て、1987年にアメリカ・シカゴ近郊へ移住、バスケを中心としたスポーツライターとしての活動を始める。90年代のシカゴブルズ黄金期を現地から取材する日本人として大活躍。2004年にロサンゼルスに拠点を移し、NBAほかアメリカで活動する日本人選手の取材を精力的に続けている。著書に『The Man―マイケル・ジョーダンストーリー完結編』(日本文化出版)
●伊藤 亮(いとう・りょう)
1977年生まれ、東京都出身。編集プロダクション勤務を経て2004年フリーに。サッカー、野球、バスケなどのスポーツを中心にマンガ、カルチャーに至るまで、さまざまな媒体で幅広く取材、執筆、編集を行なっている。書籍編集では『直伝 澤 穂希』『最強世代1988』(どちらも講談社)など
◆『スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ』
著者:宮地陽子/伊藤 亮 集英社 1月26日(木)発売 1815円(税込)