マウンドや打席での立ち姿がすでに別格。やはり大谷翔平は本物のスターだった マウンドや打席での立ち姿がすでに別格。やはり大谷翔平は本物のスターだった

メジャーのトッププレーヤーとして君臨するダルビッシュと大谷が伸び盛りの国内組を引っ張り、初の日系人代表選手・ヌートバーが"ペッパーグラインダー"よろしくスパイスを加え、強烈なエネルギーを放つ集団となった今大会の侍ジャパン。1次ラウンドの圧勝劇と準々決勝の歓喜を経て、決戦の地・アメリカへ飛んだチームの強さの秘密を、「想定外」をキーワードに解き明かす。

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■「正直、あんなに話しやすい人だとは......」

もしも今、栗山英樹監督に「ここまでに想定外だったことは?」と問えば、いくつものポイントを挙げるのではないだろうか。

想定外――より正確に言えば「想定以上」だったことだ。

話は2月、宮崎での強化合宿が始まった頃にさかのぼる。実は、熱狂的な盛り上がりをよそに、現場で取材する筆者はある〝不安要素〟を感じていた。

「果たして、このチームはまとまるんだろうか?」

今回のジャパンはかつてないほど投打共に若く、特に投手陣は国際大会の経験がない選手も目立つ。

それにもかかわらず栗山監督は、キャプテンを置かないことを決めた。

「誰かが引っ張るんじゃなく、全員がキャプテンのつもりでチームを見てほしい。そうすれば自分が何をすべきか、何を求められているのか、おのずとわかるはずです」

就任から合宿まで、栗山監督は同じフレーズを続けた。

ただ、その裏側では「キャプテンではないけれど、橋渡し役を置きたい」と関係者に漏らしてもいた。首脳陣の考えを選手の末端まで浸透させるためには、やはり選手の力を借りたかったのだ。

同じく現場にいたスポーツ紙のジャパン番記者が言う。

「その役を担ったのがダルビッシュ有(パドレス)でした。彼は帰国前から、報道を通して伝わるチームの〝過熱気味〟な雰囲気に懸念を持っていた。戦争に行くわけじゃない、もっと楽しんだほうがいい。ツイッターなどを通じてそうしたメッセージを送っていたのも、チームを心配してのことでした」

ダルビッシュの存在なくしてチームはまとまらなかった ダルビッシュの存在なくしてチームはまとまらなかった

帰国した後の彼の言動はいまさら記すまでもないだろう。宇田川優希(オリックス)がなじめないでいると見るや、投手陣の食事会を「宇田川会」と命名して主役に引き立て、佐々木朗希(ロッテ)が「スライダーの制球が苦手」と漏らせば「苦手意識は進歩の邪魔。気にするな」と励ました。

野手陣に対しても同じだ。山川穂高や源田壮亮(共に西武)、牧 秀悟(DeNA)らと会食を通じて距離を縮めた。

「正直、あんなに話しやすい人だとは思いませんでした。食事の大切さとか、サプリの内容や取り方とか。そこまで徹底してるんだなって」(山川)

「人見知りなんで......」と尻込みしていた合宿序盤がウソのように、本大会では剛球と落差の大きなフォークで好救援を続けている宇田川 「人見知りなんで......」と尻込みしていた合宿序盤がウソのように、本大会では剛球と落差の大きなフォークで好救援を続けている宇田川

前出の番記者は言う。

「橋渡しを頼んだ栗山監督も、あそこまで頑張ってくれるとは思っていなかったはず。まさに想定以上の活躍でした」

そして連日のように囲み会見に応じ、時にはジョークを交えつつ、メディアの〝知りたい欲〟を満足させた。ダルビッシュに話題が集中する分、松井裕樹(楽天)や山田哲人(ヤクルト)ら調子の上がっていなかった選手への注目は薄れ、過度な重圧を受けずに済んだ。これも想定外のメリットだった。

「ただしその半面、チーム全体にピリッとした空気は生まれなかった。〝ダルと愉快な仲間たち〟って感じで(笑)。『わっ、ダルさんすげえな』『オレも新しい変化球教えてもらおうかな』みたいに、どこかふわふわとして、戦う集団というムードではなかった」

不振にあえいでいた村上宗隆(ヤクルト)がチェコ戦で初ヒットを打ち、後続のタイムリーで生還するとベンチは総出で迎えた 不振にあえいでいた村上宗隆(ヤクルト)がチェコ戦で初ヒットを打ち、後続のタイムリーで生還するとベンチは総出で迎えた

■「普通の生意気なガキです(笑)」

そんな空気を一変させたのが、大谷翔平(エンゼルス)とラーズ・ヌートバー(カージナルス)だった。

ふたりは3月4日、バンテリンドームでの試合前から練習に参加した。大谷が挨拶代わりとばかりに5階席へ叩き込んだのは誰もが知るところだが、実はヌートバーも負けじとスタンドインを連発。メジャーリーガーふたりの打撃はファンやメディアのみならず、選手たちにも強烈なショックを与えた。

「異次元ですね」(巨人・岡本和真)

「マジで野球辞めたいっす」(山川)

特に大谷に関しては、誰もが語彙(ごい)を失うほどの怪物ぶり。しかし、それでいて愛想はすこぶるいい。

合流当初はグラウンドで「何歳?」と何人もの選手に聞き、年下なら笑顔で自らぶつかっていき、年上でも握手だけでなく肩や腕をつかんでのコミュニケーション。日本ハム時代の先輩・近藤健介(現ソフトバンク)はこう表現した。

「まあ相変わらず、普通の生意気なガキです(笑)」

プレースタイルも性格も愛され要素満点のヌートバー プレースタイルも性格も愛され要素満点のヌートバー

ヌートバーもチームにとって期待以上の存在となった。走攻守にハッスルプレーを連発し、ミックスゾーンでは記者相手にもイヤな顔ひとつせず、質問がなくなるまで答える。そして底抜けに明るい。

「韓国戦前の声出し役に指名されたヌートバーは、最初こそ英語で『選手は家族だ......』などとマジメに話していたんですが、最後は『ガンバリマッサー、サア、イコウ!』と日本語で叫んで士気をあおった。彼が笑顔を見せると周りも笑顔になるようなキャラですよ」(番記者)

ちなみに、彼がチームにすぐ溶け込めたのが「たっちゃんTシャツ」のおかげだというのは有名な話。母方の祖父である達治さんの名を譲り受けたミドルネーム「タツジ」からつけられた愛称の下には、日米の国旗と2本のバットのイラスト。

合流初日、コーチ・選手全員が着用して練習に臨んだこのTシャツを作ろうと発案したのは、ほかならぬ栗山監督だったという。

「日本語がほとんどできないから、最初は言葉の壁が心配だったけど、あのTシャツのおかげで打ち解けられた。すごくウエルカムな感じで、感謝したよ」(ヌートバー)

ヌートバーを1番に据えたことで、チームの戦力は格段にアップ。同時に〝めっちゃ陽気なたっちゃん〟がムードメーカーとなることで、今回のジャパンのスタイルは完全に仕上がった。

「ダルビッシュはしっかり者の長男という感じ。大会が始まってからも、登板のなかったチェコ戦、オーストラリア戦などでベンチの隅に立つ姿はまるで投手コーチのようでした。

大谷は物おじしないマイペースな次男。彼は打席に立ってバットを振るだけでチームをまとめられる。そしてヌートバーは、やんちゃな末っ子ですね」(番記者)

また、今回のジャパンはチームメイトの離脱さえも力に変えた。合流直前に脇腹を痛めた鈴木誠也(カブス)の出場辞退、試合中に右手小指を骨折した源田の欠場。もちろん戦力的には痛いに決まっているが、その分、選手たちは気を引き締め、空気が研ぎ澄まされた。

当初は鈴木の代役としてスタメンに起用された近藤健介が、ヌートバーと大谷をつなぐ2番打者として奮闘しているのは単なる〝たなぼた〟ではない。

■ドミニカやベネズエラがWBCで燃える理由

思い返せば、WBC連覇を達成した2006年、09年大会の中心選手だったイチローは、ジャパンが戦う集団となるために、自らの立ち居振る舞いでチームに緊張感を与えていた。

今回はちょっと違う。イチローに代わるダルビッシュや大谷は、むしろ「なごませる存在」となった。

ただ、果たしてどこまでが彼らの思惑で、どこからが偶発的、自然発生的なものだったのか。番記者が言う。

「海の向こうでも、WBCはアメリカよりドミニカ共和国やベネズエラといった中南米のチームが盛り上がるといわれます。

普段は異国の地のメジャーリーグで敵味方に分かれて戦っているメンバーが、この数週間だけはチームメイトになり、母国のユニフォームを着てプレーする。そこで生まれる楽しさや連帯感が、チームのエネルギーとなる。それがWBCという国際大会の特殊性なんです」

ダルビッシュは1次ラウンド・韓国戦の先発登板に際し、「十数年ぶりの日本のマウンド。これが最後かもしれない」という特別な思いで試合に臨んだという。彼の11年というメジャー生活は、日本のプロ野球での7年を優に超えている。

大谷も故障で出場のない年があったとはいえ、すでにプロ野球選手として過ごしたシーズンは日米それぞれ5年ずつ。今年はアメリカ生活6年目だ。

ふたりとも英語に不自由はなく、快適な環境下でプレーはできているだろう。それでも、日本語で気軽に冗談を言い、時にラーメンをすすり、野球談議に興じるのは、特別な時間だったのではないか。そして、互いが同じユニフォームを着て戦うことも。

ダルビッシュも大谷も、準々決勝までの間にチームを牽引(けんいん)する役割を十二分に果たしてきた。しかし同時に、誰よりも日本のファンの前で野球を楽しんでいたのも、このふたりだったのかもしれない。

豪州戦後、腰の違和感でチームを離れる栗林良吏(広島)を中心に記念撮影 豪州戦後、腰の違和感でチームを離れる栗林良吏(広島)を中心に記念撮影