2026年北米W杯に向け、第2次森保ジャパンが始動した。昨年のカタールW杯ではドイツ、スペインを撃破するも、ベスト8の壁に阻まれた日本代表。克服すべき課題はなんなのか?
かつて横浜フリューゲルスなどで活躍した元ブラジル代表、セザール・サンパイオを地元サンパウロで直撃した!
* * *
■昔から変わらない日本代表の欠点
サッカーの世界は、W杯ごと、4年区切りで時間が進む。日本代表の新たな4年間が始まっている。
昨年行なわれたカタールW杯で、日本代表はグループリーグで優勝候補の一角だったドイツ代表とスペイン代表を破り、決勝トーナメントに進出。しかし、クロアチア代表に敗れ、またもやベスト8の壁に阻まれた。
日本代表が確実に強くなっているのは間違いない。しかし、強豪国となるには何かが足りないようにも見える。その何かを訊(たず)ねるのに最適な人間がいる。
かつて日本で長くプレーし、カタールW杯ではブラジル代表のアシスタントコーチを務めていた、セザール・サンパイオである。
「まず言いたいのは、今の日本代表は世界のどの国と戦っても対等以上に戦えるということだ」
サンパイオは、1968年3月にブラジル・サンパウロで生まれた。86年、サントスFCとプロ契約。同時期にトップチームに昇格したのが、ひとつ年上の三浦知良である。
91年にパルメイラスへ移籍。93年と94年にサンパウロ州選手権とブラジル全国選手権の両方を制している。95年、ジーニョ、エバイールと共に横浜フリューゲルスに移籍。99年1月のフリューゲルス消滅後は一度母国に戻ったが、その後再び来日し、2002年に柏レイソル、03年、04年はサンフレッチェ広島でプレーした。広島では、指導者の道を歩み始めていた森保一(もりやす・はじめ)――現・日本代表監督とも重なっている。
カタールW杯を控えた昨年6月6日、ブラジル代表は日本代表と親善試合を行なっている。試合前、代表監督のチッチから日本人選手について教えてくれと頼まれたという。
「彼らはものすごく礼儀正しくて真面目、すごくいい人間だ。ただし試合が始まると人が変わる、戦いになるとやることはやる奴らだ、と答えた。でもチッチは信じなかった。というのは、ホテルや練習場で会う日本人選手たちはおとなしくて控えめだったからだ」
試合が始まると吉田(麻也)、遠藤(航)たちはこうだ、と手刀を切る仕草をしてブンと声を出した。
「W杯前なので、チッチはネイマールたちが怪我しないように気を遣っていた。ところが、日本人選手は容赦なくやってきたので、クレイジーだってチッチは頭を抱えていた」
試合後、ブラジルの報道陣に日本人は強く、暴力的なほどだと嘆いていたと笑った。
「日本のサッカーはぼくがいた時代よりも進歩している。育成組織はヨーロッパと同じように整備されている。かつて日本はいい外国人選手を入れてレベルを上げようとした。今は逆にヨーロッパで活躍している三笘(薫)に代表されるように、選手の輸入国から輸出国になったんだ。
三笘はぼくが一緒にやっていた前園(真聖)にちょっと似ている。1対1に強い、いい選手だ。スピードは三笘のほうがあるけれど、技術は前園のほうが上だった」
ただし、と続ける。
「ぼくが日本にいたときから感じていた欠点は残っている。それは調子に波があることだ。彼らは気分が乗っているときはものすごくいいプレーをする。しかしそうでないとき、それなりのプレーができない。そして精神的に一度落ちると、元に戻るのに時間がかかる」
グループリーグで日本は、スペインやドイツより力の劣るコスタリカに敗れた。また、中心選手として期待された南野拓実は大会前から輝きを失い、復調することはなかった。
「日本には飢えた人が非常に少ない。子供たちはきちんと大人から守られているように見える。ブラジルの子供は違う。今日食べ物を買うことのできるお金があったとしても明日はわからない。落ち込んでいる暇はない。この国では転んでも立ち上がって、踏ん張らねばならないんだ」
その執念が足りなかったから、クロアチアに敗れ、念願のベスト8に届かなかったのかもしれない。もし勝っていれば次の相手は、ブラジル代表だった。
準々決勝は日本代表とやりたかったよ、とサンパイオは微笑んだ。
「ブラジルも日本と同じように、クロアチアと引き分け、PK戦で敗れた。クロアチアは前回大会で準優勝したメンバーがベースとなっていた。彼らは勝利をつかみ取る感覚を持っていた。ただ、われわれのほうが力は上だった。
サッカーはいい試合内容でも負けることもあれば、ひどい内容でも勝つこともある。とはいえ、言い訳はできない。チャンスを逃し続けて、相手を仕留め損ねると負ける。それがサッカーだ」
■〝ジンガ〟を失い王国は凋落した
カタールでブラジル代表のアシスタントコーチとしてベンチに座っていたとき、不思議な感覚になったという。
「ぼくは94年W杯のブラジル代表のメンバーには選ばれなかった。自分ではキャリアハイだと感じていた。それなのに選ばれない。環境を変えようと考えていたとき、いくつかのクラブからオファーがあった。フリューゲルスを選んだのは金銭的条件が一番良かったからに過ぎなかった」
その後、あんなに日本を好きになるなんて想像もしなかったと笑う。
「フリューゲルスに行くときは、W杯に出場することを半分以上諦めていたんだ」
同時期、ジュビロ磐田では当時のブラジル代表のキャプテン、ドゥンガがプレーしていた。フリューゲルスとの対戦でサンパイオの力を認めたドゥンガは、代表監督のマリオ・ザガロに彼を招集するように推薦。そしてサンパイオは98年のフランスW杯のメンバーに入った。大会最初のゴールはサンパイオが挙げている。
「当時は今みたいにテクノロジーが発達しておらず、地球の裏側の日本は遠い国だった。そんなぼくが代表に選ばれて、その後、代表のアシスタントコーチを務めることになった。人生はつくづく不思議なものだよ」
ブラジルはすべてのW杯に出場し、最多の5回優勝を誇る、サッカー王国である。ただし、最後にカップを掲げたのは2002年大会まで遡(さかのぼ)る。以降は毎大会、優勝候補に挙げられながら、5回連続で最終日まで残ることなく開催地を後にしている。
80年代から国際サッカー連盟(FIFA)はアジアやアフリカをはじめ世界中へサッカーを浸透させることに注力した。すると、中心地であった欧州大陸のリーグに世界中からカネと才能が流れ込むようになった。
その結果、ブラジル人選手にとってブラジル代表――セレソンの優先順位は下がることになった。他国の水準が上がったことと、欧州への人材の一極集中というふたつの要因で王国の地位は相対的に沈んだ。
それは仕方がない、フェノメノ(怪物)はみんな外へ出て行くものだと首を振った。
「今もブラジルには世界的なフェノメノがたくさんいる。ネイマール、マルキーニョス、カゼミーロ、ヴィニシウス(ジュニオール)、ロドリゴのような選手だ。ブラジル国内のクラブは彼らに十分なお金を払うことができない。それは日本も同じだろう。南米、アフリカのクラブはフェノメノを売却することでスタジアム、練習場などのインフラを整備している」
ネイマールとマルキーニョスはフランスのパリ・サンジェルマン、カゼミーロはイギリスのマンチェスター・ユナイテッド、ヴィニシウスとロドリゴはスペインのレアル・マドリーに所属している。
ブラジルの有能な選手の多くは10代から欧州のクラブに移籍する。そのため、ブラジルのサッカー選手から〝ジンガ〟が失われたと指摘されることがある。ジンガとは、ブラジルの格闘技及び舞踏であるカポエイラの足さばきを意味する。ブラジルらしさを失ったことが王国の凋落につながったのだ、と。
「かつてブラジルのサッカーは道ばたから生まれた。ビーチや、石ころが転がった空き地でぼくたちはボールを蹴っていた。年下の子供は年長の人間の足さばきを真似したものだ。しかし、今のブラジルは経済成長して、特に都市では道ばたがない。道路でボールを蹴っていたら、車にはねられてしまうだろう。だからブラジルでもサッカースクールがたくさんできた。サッカー選手を育てるシステムが変わってしまったんだ。
ぼくがサントスにいたとき、クラブにはブラジル代表クラスの選手がたくさんいた。彼らからぼくらはブラジルサッカーのエッセンスを学んだ。今の選手にはその時間が失われたことは認める。ただ、ヴィニシウスのようにジンガを感じさせる選手はいる」
昨年末、レアル・マドリーがパルメイラスのエンドリッキという16歳の選手を総額約87億円の移籍金で獲得したことが話題となった。FIFAの規程で18歳となる2024年から彼はスペインに渡ることになっている。
「エンドリッキのような選手は同年代の中では成長しない。16歳ではあるけれど、サッカー選手としては成熟している。ただ、頭は違う。お金があれば、酒、女、ドラッグなんでも手に入れることができる。そうした誘惑に対応できる準備ができているのかどうかはわからない」
■代表監督はその国の人間がやるべき
一方、日本代表の選手、三笘、あるいは伊東純也、長友佑都たちは大学を卒業してからJリーグに入り、欧州へとステップアップした。レアル・マドリーやマンチェスター・シティのようなビッグクラブが目をつけるのは、将来性のある若い選手である。彼らがエンドリッキのように10代で欧州に移籍していれば、さらなる高みを目指せたかもしれない。
「ブラジルと日本というふたつの国にはまったく違った文化背景がある。日本は非常に組織化された社会だ。多くが大学に行き、高等教育を受けることは理想だ。ブラジルはそうではない。
ぼく自身、18歳でプロ契約を結び自立して、家族を養わなければならなかった。ぼくが稼がなければ住むところも食べるものもなかった。プロのサッカー選手になるということは、自分の人生、家族の人生をコントロールできるということなんだ」
そして、テクノロジーの進歩がサッカー選手の成長を加速させているとも言う。
「YouTubeなどでさまざまな情報を手に入れることができる。ぼくたちが道ばたで学んでいたことを、今はスマホで学ぶことができる。選手として早く完成する傾向にある。それでも技術、身体、そしてプロの心構えが揃うのは18歳だとぼくは考えている。しかし、それはすべての選手ではない。18歳でまだ半分ぐらいしか完成されていない選手もいる。三笘や伊東のように大学に進むのもひとつの手だ。大学で学ぶことも多いはずだ。どちらの道を歩むのが人生として正しいのかはわからない」
カタールW杯後、ブラジル代表監督のチッチの後任はなかなか決まらなかった。今年2月、ラモン・メネゼスが暫定監督となっている。
ブラジルのメディアでは、レアル・マドリーのイタリア人監督、カルロ・アンチェロッティ、あるいはマンチェスター・シティのスペイン人監督、ペップ・グアルディオラの名前が取り上げられている。どちらであっても実現すればブラジル代表にとって初めての外国人監督となる。
「ぼくは、代表監督はその国の人間がやるべきだと考えている。選手の気質、文化を理解しているからだ。その意味で、W杯でいい仕事をした森保が代表監督を続投したことはいいことだ」
日本代表と森保の幸運をぼくは祈っているよ、とエールを送った。
●田崎健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家。主な著書に『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社文庫)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)、『電通とFIFA』(光文社新書)、『真説・長州力』『真説・佐山サトル』(共に集英社文庫)など