【新連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第1章 高知ファイティングドッグス監督・吉田豊彦編 第1回
かつては華やかなNPBの舞台で活躍。現在は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第1章は、南海(のちダイエー)、阪神、近鉄、楽天を渡り歩いた鉄腕で、現在は高知ファイティングドッグスの指揮官としてチームを優勝に導いた吉田豊彦氏に密着する。
■所属球団の身売り、消滅、誕生を経験した野球人
2023年2月25日、旧知の元NPB戦士と16年ぶりに会うため高知に向かった。
目的地は独立リーグ、四国アイランドリーグPlusに所属する高知ファイティングドッグス(以下、高知FD)のホームタウン、越知町(おちちょう)。高知龍馬空港からは車でおよそ1時間、高知市の中心地、はりまや橋付近からも40分離れた、山々に囲まれた人口約5000人の小さな田舎町だ。この日は愛媛マンダリンパイレーツとのオープン戦(越知町杯)が、ホームグラウンドで開催されることになっていた。
南海ホークス最後のドラフト1位。20代の頃は、その後身である福岡ダイエーホークスの左のエースとして先発の柱で活躍。30代は阪神タイガース、近鉄バファローズに在籍。現役晩年の39歳のとき、50年ぶりに誕生した新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスに分配ドラフトで入団した。
楽天誕生元年は、38勝97敗1分けという弱小チームでチーム最多の50試合に登板。阪神時代の恩師・野村克也氏が監督に就任した2年目も41試合に登板し、防御率3.19という安定した成績を残した。しかし、3シーズン目の2007年はケガの影響もあり、開幕後20日ほどで2軍降格。当時すでに41歳だった彼は、以後は若手の起用にシフトしたチーム事情もあって登板機会が減り、20年間の現役生活に幕を閉じることになった。
所属球団の身売り、消滅、新球団の誕生――そのすべてを経験した稀有な野球人。
彼の名は、吉田豊彦。
寡黙で淡々と仕事をこなす職人肌の投手で、20年間で619試合に登板した鉄腕。しかし、マウンドを離れれば誰に対しても丁寧に対応する人柄で、選手仲間だけでなく、ファンからも「トヨさん」と呼ばれ慕われた。取材者として知り合った筆者もまた、トヨさんのプロ野球人としての生き様だけでなく、人間性に惹かれたひとりだった。
「まだまだ投げたい!!」
2007年、試合後の引退セレモニーで、トヨさんは大粒の雨が降る中でそう叫んだ。
あれから16年。トヨさんは今、高知FD監督として指揮を執っている。高知FDは昨シーズン、13年ぶりに年間総合優勝を果たすなど、トヨさんが2020年シーズンに監督就任して以降、素晴らしい成果を残していた。
再会したいと考えたきっかけは、2022年シーズンにブレイクした、藤井皓哉(こうや=現・ソフトバンク)の存在だった。
2020年オフ、広島を戦力外通告された藤井は合同トライアウトでも声はかからず、翌年は独立リーグに所属してNPB復帰を目指すことになった。ソフトバンク3軍との交流戦でノーヒットノーランを達成したことで注目され、ソフトバンクと育成契約を結び1年でNPB復帰を果たす。
2022年、オープン戦で結果を残した藤井は支配下登録を勝ち取ると1軍昇格を果たし、ここでも大活躍。最終的に55試合に登板し、5勝1敗22ホールド3セーブ、防御率1.12という圧倒的な成績を残した。
一度は戦力外になったものの、独立リーグできっかけを掴んでNPB復帰を果たし、「ソフトバンクが優勝していれば、MVPは藤井」とも言われる大活躍。そんなシンデレラストーリーを体現した藤井が所属していた独立リーグチームが高知FDだった。そして、再起を支えたのが監督のトヨさんだったことを知った。
調べると、藤井だけでなく、2022年シーズンに活躍した石井大智(だいち=阪神)、宮森智志(さとし=楽天)も高知FD出身で、トヨさんの指導を受けていた。現在、3人はいずれも、かつてトヨさんが所属したチームのユニフォームを着ており、単なる偶然にしては出来すぎたストーリーに、より取材したい欲求に駆られた。
NPBを離れて独立リーグの指導者になったトヨさんは今、高知でどんなことを考えながら野球人生を送っているのか。ホークス時代は王貞治氏、阪神、楽天時代は野村克也氏というタイプの異なる名将に仕えた現役時代についてなど、あらためて聞いてみたいことが山ほど浮かんできたのだ。
■高知で戸惑ったのは「選手たちの意識」
越知町のグラウンドには、試合開始1時間前に到着した。
前日の雨で湿気の残る内外野とも土のグラウンドで、トヨさんは練習用ネットを移動させたり、トンボかけをするなどしていた。
観客席は内野側のみで屋根はなし。シートは木製の長椅子で、照明設備はあるものの、バックスタンドのスコアボードは手動式だった。
「遠くまで、よく来てくれたね」
引退試合以来、16年ぶりの再会を祝して、グータッチ。
顔を見るなり、「それにしても、お互いずいぶん歳をとったな」と笑うトヨさん。確かに16年という時を重ねた分だけ、皺も増えたし目尻も下がった。強い日差しの下で野球をしているせいか、顔にシミも目立つ。ただ、笑みをこぼした柔和な表情は昔と変わらない、楽天時代のトヨさんのままだった。
トヨさんが高知FDの投手コーチに就任したのは2012年12月。現役引退後、コーチを務めていた楽天からの退団が決まってすぐ、当時監督だった定岡智秋(ちあき)氏(現・高知FDヘッドコーチ)に声をかけてもらったことがきっかけだった。
NPBから独立リーグ。野球に取り組む環境面の違いには、多少戸惑いはあったもののすぐに慣れた。しかし、それ以上に戸惑ったのは「選手たちの意識」だったという。
「最初にここに来たときは、『えっ!?』という感じで驚いた。言い方が良いかどうかはわからないけど、『こういう環境で野球をしているのか』と。ただそれは、僕が20年間もプロ(NPB)の世界で現役生活を過ごす間に麻痺してしまっていた部分かもしれない。自分もプロ野球選手になるまでは、叩き上げの環境にいたことを思い出しました。それよりも、選手たちの意識に戸惑ったというか......」
試合準備の手を少し休めてトヨさんは話を続けた。
「『苦しい環境でも野球を続けて、NPBを目指す強い意志を持った子達の集まり』と思っていたけど、いざ蓋を開けてみれば考え方の甘い子が多かった。『本当に這いあがろうとして取り組んでいるのか』と。そのほうが驚きだった。
どう言えばいいのかな、誰かとつるまなければ行動できないような子が多かった。仲間と会話をしている様子を見ても、『今それは必要なのか』と疑問に思うこともあるし、無駄話をしていて、指示を出してもすぐに動かないこともある。NPBを目指している割には、ひとことで言えば、甘い。
ただ、今偉そうになんやかんや言いましたけど、結局、そういう子達をなんとかしなければいけないのが、僕に任された立場。そういう意味では、ここは僕にとっても『学びの場』だと思っています」
ここは僕にとっても「学びの場」。
それはいったいどういう意味なのか。懐かしい昔話もしたいところだったが、試合開始も迫ってきた。今晩食事に行く約束をし、トヨさんは慌ただしく試合の準備に戻った。
●第2回「藤井皓哉に高知監督・吉田豊彦が『先発転向』を命じたワケ」はこちら
■吉田豊彦(よしだ・とよひこ)
1966年生まれ、大分県出身。国東高校、本田技研熊本を経て、87年ドラフト1位で南海ホークス入団。南海・ダイエー、阪神、近鉄、楽天を渡り歩き2007年に引退。現役20年間で619試合に登板した「鉄腕」。楽天2軍コーチを経て、2012年シーズンより四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス投手コーチ。20年に監督に就任し、22年にはチームをリーグ年間総合優勝に導いた
■会津泰成(あいず・やすなり)
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社しプロ野球、Jリーグなどスポーツ中継担当。99年に退社しライター、放送作家に転身。楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)『歌舞伎の童 中村獅童という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社)など