富樫勇樹選手にスポーツキャスター・中川絵美里が直撃! 富樫勇樹選手にスポーツキャスター・中川絵美里が直撃!

野球、サッカーに次ぐ第3の人気スポーツ、バスケットボール。Bリーグの観客動員数は増加の一途をたどり、全国各地にアリーナが続々と新設されるなど勢いは止まらない。そんな中、"日本人初の1億円プレーヤー"として活躍するのが富樫勇樹(千葉ジェッツふなばし所属/バスケットボール男子日本代表)。

連勝記録を塗り替えている所属チームのこと、日本代表キャプテンとして挑む8月の自国開催W杯、そして来年のパリ五輪へ向けた決意をスポーツキャスター・中川絵美里が聞く。

■『スラムダンク』の影響力は大きい

中川 富樫選手の経歴をたどると、実に華々しいですね。地元新潟県の本丸中学校時代には全国優勝。2009年に渡米してモントロス・クリスチャン高校に進み、翌年、全米ランキング2位躍進に貢献。

卒業後、帰国して当時のbjリーグで活躍、14年には再び渡米。世界最高峰のNBAに挑戦し、日本人史上2人目となる契約までこぎ着けています。まさに日本バスケットボール界の第一人者といえますね。

富樫 いえいえ、全然大したことないですよ。

中川 現在所属されている千葉ジェッツふなばしは、Bリーグ1部のレギュラーシーズン最長記録を更新する24連勝(3月21日時点)を記録。富樫選手はキャプテンとして、リーグ戦と地区制覇、そして天皇杯の3冠に向けてチームを牽引(けんいん)されています。

富樫勇樹 富樫勇樹

富樫 勝利が続いているのは正直、自分でもびっくりです。大きくチームスタッフが入れ替わって、期待と不安の中で始まった新シーズンでしたから。しかも、ケガ人が多くて。ここまでほぼ毎試合、1、2人は欠けているような状況でしたし。でも、出られないチームメイトの悔しい思いを背負って、その分頑張ってきたというのはあります。

中川 シーズン前にはヘッドコーチがジョン・パトリック氏に代わって、チームにも大きな変化があったかと思います。それにしても快進撃が止まらない。好調の要因はどこにあると思いますか?

富樫 うーん、やっぱり選手が基本変わってないので、やりやすさはありますよね。戦術に大幅な変更があったとしても、お互いのプレーの特長はよくわかっているので。

中川 あとは、コーチ陣との関係性がより深まれば盤石といった感じですかね。

富樫 そうですね。ヘッドコーチは日本語が堪能だし、日本でのキャリアも長いですからね。理解度はかなり高いでしょうから、僕ら選手とこの先もっと関係性を深めれば、さらにやりやすくなると思います。

千葉ジェッツでの練習中、激しく議論を交わす富樫とパトリックヘッドコーチ(写真右)。世界屈指のリーグ、ドイツブンデスリーガで「コーチ・オブ・ザ・イヤー」を3度受賞、日本にも縁深い名将とのコンビには期待大 千葉ジェッツでの練習中、激しく議論を交わす富樫とパトリックヘッドコーチ(写真右)。世界屈指のリーグ、ドイツブンデスリーガで「コーチ・オブ・ザ・イヤー」を3度受賞、日本にも縁深い名将とのコンビには期待大

千葉ジェッツでの練習中の富樫 千葉ジェッツでの練習中の富樫

中川 ずばり、3冠達成へのキーポイントは?

富樫 とにかくケガ人を出さないこと。開幕当初から、主にメインを張っている外国籍のヴィック・ローにジョン・ムーニー、クリストファー・スミスの3人、それにギャビン・エドワーズ(取材後、2月15日の試合で負傷。全治6~8週)、原修太、僕の6人が万全の状態で出られているので、これは崩したくない。

そこに若手が少しずつ入ってきて、"お父さん"的存在の荒尾岳選手と西村文男選手のベテラン勢が支えるといった感じで、非常にバランスが取れているので、維持したいところです。

中川 Bリーグが発足して7シーズン目を迎えますが、千葉ジェッツふなばしも含めて、観客動員数は増加の一途です。もともと、日本のバスケ界にはbjリーグとNBLのふたつのリーグが存在していましたが、16年にBリーグが発足、一本化されたのは大きいですよね。

富樫 そうですね、例えば、今の大学生だったら、プロとして活躍が見込めるBリーグを目指したいという人がほとんどかと。目標地点があることは、やっぱりモチベーションにつながると思うんですよね。

中川 それに伴い、日本のバスケ界のレベルもどんどん上がってきているように感じます。

富樫 それは間違いないです。日本の育成システムはアジアではトップレベルですし。昔ならアメリカのNCAA(全米大学体育協会)のディビジョン1に加盟する大学に入るだけでも快挙だったのに、今はそこでプレーしている選手が何人もいます。

それに環境面でいえば、(バスケ用の)アリーナが続々と新設されているということ。21年にオープンした沖縄アリーナを皮切りに、東京や愛知、長崎、群馬などに次々と建てられていて。僕らの船橋も24年春に開業予定なんです。

沖縄アリーナでは何回かプレーさせてもらっていますけど、本当に素晴らしいです。幸せを感じますね。アリーナが変われば、バスケのプレーの質も応援も何もかも変わるような気がします。エンターテインメント性にあふれたアリーナが増えれば、バスケファンもそれだけ増えると思います。

2月末時点で今シーズンの累計入場者数は8万人を超え、Bリーグでは三本の指に入るほどの人気を誇る千葉ジェッツふなばし。24年春には収容客数1万人規模のホームアリーナが開業予定だ 2月末時点で今シーズンの累計入場者数は8万人を超え、Bリーグでは三本の指に入るほどの人気を誇る千葉ジェッツふなばし。24年春には収容客数1万人規模のホームアリーナが開業予定だ

中川 同時に、アメリカでは八村塁選手(ロサンゼルス・レイカーズ)、渡邊雄太選手(ブルックリン・ネッツ)が活躍されてます。これらもバスケに世間の注目が集まる理由ではないかと。

富樫 日本人選手でNBAのコートに立つことすら快挙なんですけど、雄太も塁も優勝を目指すチームのローテーションに入っているというのが本当にすごいことで。それを僕らが今、目撃できているという幸せ。バスケの選手を目指す子供たちにとっても、聖地NBAがより身近に思えてくるんじゃないですかね。

中川 もうひとつ、バスケを身近な人気スポーツにさせたものに、漫画の『スラムダンク』があります。映画『THE FIRST SLAM DUNK』はご覧になりましたか?

富樫 見ました。中川さん、見ましたか?

中川 もちろんです! この作品でフォーカスされているキャラクターが宮城リョータなんですけど、ポジションは富樫選手と同じポイントガード、誕生日や身長もほぼ一緒なんですよ。よく言われたりしませんか? 

富樫 え、誕生日もですか?

中川 はい、1日違いです。富樫選手は7月30日ですよね。宮城リョータは7月31日です。

富樫 そこまでは知らなかった(一同爆笑)。でも、『スラムダンク』は日本のバスケットボールにおいてかなり影響力を持っている漫画ですからね。僕は一度、1巻から31巻まで通して読んだことがあるぐらいで、何度も読み込んでいるわけではないんですけど。

そういえば、過去に僕の試合時のイントロダクションで、宮城のポジションだって紹介されたこともあったかな(笑)。

■身長2m弱、体重100㎏。怪物15歳との遭遇

中川 ここからは、富樫選手の生い立ちについて。冒頭でも触れましたが、新潟県のご出身で、ご両親共にバスケをされていたそうで。

富樫 ええ。生まれたときから家の中には当たり前のようにボールがあって、小さなリングもあって。物心ついたときから触ってましたね。そんな環境ですから、小1で始めたわけです。

中川 本丸中学校に入り、監督はお父さまの富樫英樹さんでした。今は開志国際高校の総監督として、去年もウインターカップ(全国高校選手権)で新潟県勢初の全国制覇を成し遂げています。中学時代はまさに親子鷹だったわけですが、やはり公私にわたりいろいろと指導されたんですか?

富樫 いや、バスケについて言われたことはほとんどなかったですね。コート上だけで、家ではバスケの話はしなかったです。中3に上がってからは、「言われたことをやるんじゃなくて、自発的に考えろ」と。とにかく自分でやれと。その指導方針でよかったです。家でも学校でもあれこれ言われてたら、バスケが嫌いになったと思います(笑)。

中川 そして、中学を卒業するとアメリカのモントロス・クリスチャン高校に進むわけですが、この渡米はターニングポイントになりましたか?

富樫 はい、本当に人生が変わりましたね。まず、そもそもアメリカに行く発想がなかったですからね。「(アメリカに)行ってみたらどうだ」と声をかけられたときも、最初はあまりピンとこなかったんですよ。

中川 渡米を勧めたのは、バスケ女子日本代表監督などを歴任、英樹さんの師でもある中村和雄さんですよね。「バスケ界のカズ(サッカー・三浦知良[かずよし]選手)」になれと。つまり、バスケ界での海外挑戦の先駆者になってほしいということで。

富樫 そうですね。

中川 渡米した時点の英語力はTOEIC8点というレベル。大変だったと思うのですが。

富樫 大変だったのは、むしろチームメイトやコーチ陣だったと思いますよ。伝えなきゃいけないのに、僕が全然英語がわからないわけですから(苦笑)。

中川 英語を習得するための発奮材料はなんでしたか?

富樫 僕が通っていた高校の場合、試験の点数が悪いと練習に参加できないシステムで。入学して1ヵ月ぐらいのとき、ひどい点数を取ってしまって、1週間ほど練習参加できなかったんですよ。

中川 一切ですか?

富樫 ええ。バスケをやるためにアメリカに行ったのに、学校の成績が悪いからできないなんてシャレにならないので、そこからは勉強も必死でした。一番大変な時期でしたけどね。

富樫勇樹 富樫勇樹

中川 バスケのほうも、初めて対峙(たいじ)した際にはアメリカ人との体格差に驚いたそうで。

富樫 もう衝撃的でしたね。留学する手前の中3のとき、現地の練習に参加させてもらったことがあって。ひとり、すごくフレンドリーな選手がいたんです。身長2m近く、体重は100㎏。とにかく優しくしてくれるので、こういう環境でやりたいと渡米を決めたわけです。

で、いざ初日を迎えたとき、彼がいて。聞けば、僕と同い年の15歳! そういう子がゴロゴロいるんだと思って。

中川 それはショックですね。普通ならその時点で無理だってなりますよね。

富樫 でも自分は、そもそもアメリカで活躍できるなんてまったく思ってなかったから。変に気負わずに済んだし、全然無理だとは思わなかったんですよ。誰も期待してないだろうし、周りも「いい経験になるといいね」ぐらいの感覚だったはずです。

だって、当時僕の体形は身長160㎝、体重40㎏そこそこですよ。期待するほうが難しい(笑)。なので、プレッシャーなんてないから、伸び伸びやれました。それに、いざフタを開けてみたら、「思ったよりも俺できるじゃん」って。

中川 3年間の留学生活を経て、大学には進学せず帰国。でも当時、NCAAディビジョン1の大学から推薦が来ていたそうですね。

富樫 ええ。でも入学金や授業料が全額免除という条件はなくて。3年間十分に過ごして、ある程度強いチームにもいて、スカウトマンに見てもらえる機会もあった中で声がかからなかったわけですから、その程度の実力なんだろうと思って日本に戻ることにしました。

中川 周囲からはずいぶん反対されたのでは? もったいないという意味で。

富樫 そうですね。アメリカのコーチからも、「1年でも頑張ってみて、それから判断してもいいじゃないか」と。

中川 今でも、ふと考えるときはありますか? あのままアメリカに残っていたらどうなっただろうって。

富樫 あります。でも、高校時代はコートに出ている5人の中で5番手のポジション、実力としては一番低かったので、たぶん大学に進んでいたとしても、その立ち位置はさほど変わらなかっただろうと。今のようなプレースタイルになってなかったと思うんです。

日本に戻ってきたことで、信頼できる監督の下、外国籍の選手もいる中で19歳ながら一番のオプションで起用してくれたから、自由にやらせてもらえた。その頃の自分が今の自分をつくっているわけです。

中川 富樫選手の持ち味である、緩急をつけたドリブルやノールックパスなど、自由かつ大胆なプレースタイルは、むしろ帰国してからの12年に加入した当時のbjリーグ・秋田で形成されたというわけですね。

富樫 そういうことですね。

中川 それでも、14年には再び渡米してNBAに挑戦。その後、イタリアでもプレーしました。やはり海外に身を置くというのは自身のさらなる向上につながりましたか?

富樫 ええ。海外での生活やプレー自体、どのレベルであっても決して簡単ではないですからね。言語、文化、環境がすべて違うわけで。まったく語学力がないのに20歳以降で海外へ飛ぶって、相当大変だと思うんです。できれば、かなり若いうちに経験しておくことが大事なんじゃないかなって。

■サッカーを極めていたら久保選手を超えていた!?

中川 お話を伺っていて感じたのは、非常に冷静だなと。何事にも動じないですよね。

富樫 うーん、たぶんこの身長(167㎝)が影響してるんじゃないかなって。諦観ってわけじゃないですけど、自分の中ではハンデを背負ってプレーしてるぐらいの感覚なので。この身長でわれながらよく頑張ってるなぁって(笑)。だから、ちょっとやられたぐらいじゃ別になんとも思わないです。

中川 正直、もっと背丈があれば、より有利だったんじゃないかって、思う時期はなかったですか?

富樫 ないですね。さっきも言ったとおり、この身長だし、そんなに期待されていないだろうと。期待されていない分、結果が残せなかったとしても誰にも何も言われないだろうと。だから、気楽です。今もそんな感覚でプレーしています。

中川 とは言うものの、バスケでこれだけの実績を残しています。となれば、身長差があまり影響しないスポーツをやったとしても大いに活躍したのではないかと。

富樫 今まで特に習い事もやったことはなくて。野球も水泳もダメでしたけど、小学校の休み時間に夢中になったのはサッカーでした。習っていない割にはけっこう上達して。もし、バスケに費やす時間をそのままサッカーに注いでいたら、きっとスペインに留学して今頃は久保建英選手よりもうまくなっていたはずです(笑)。

中川 ちなみに、昨年のサッカーW杯カタール大会はご覧になりました?

富樫 めっちゃ見てました。サッカーって、FIFAランク50位の代表チームが2、3位の代表に勝ったり、シュート数が30対1でも1-1のドローとか普通にあったりしますよね。

それって、バスケではまずありえないので面白いなと。逆にバスケは点がどんどん入っていくスリリングな展開。そこがサッカーにはない魅力だと思います。

中川 そのバスケも今年8月25日に、日本、フィリピン、インドネシアの共催でW杯が開幕します。前回のW杯は練習中のケガで本大会欠場となっただけに、富樫選手にとっては期するものがありますか?

富樫 ええ。楽しみではありますね。大学を卒業したての23、24歳ぐらいの若手選手が何人かいるんですけど、実に堂々とプレーしていて。上下関係というのはなくて、練習先でみんなでごはん食べたりして、チーム全体の雰囲気もいいですよ。

富樫勇樹×中川絵美里 富樫勇樹×中川絵美里

中川 日本代表ヘッドコーチは、21年に就任、東京五輪2020でバスケ女子日本代表を銀メダルに導いた名将トム・ホーバス氏です。主将を務める富樫選手から見ていかがですか。

富樫 フリオ・ラマス前監督の頃は、3年間ほぼメンバーは固定だったんです。でも、ホーバス監督は最初の合宿からメンバーを入れ替えて、いろいろ試しています。2月の合宿でもポイントガードの選手は何人もいたから、僕も常に危機感を持って臨まないとダメだなと思ってます。

中川 ホーバス監督はかなりの"鬼教官"だという報道も。

富樫 確かに、(ホーバス監督時代の)女子代表と合宿が一緒だった当時、練習のたびに怒っていたという印象はあります。でも、今の男子代表では時折笑顔も見せて、フランクに話せますね。あの女子代表のときみたいにしょっちゅう怒られてたら、僕ら男子は耐えられないと思います(笑)。なので、おそらく指導の仕方を変えているのかなと。

中川 今年のW杯は期待できそうですね。

富樫 ええ。ホーバス監督が目指すスタイルは明確なので、選手の選考基準もはっきりしています。あとは塁や雄太に大いに頑張ってもらって(笑)。

中川 いえいえ、そんな! キャプテンなんですから、日本の期待を一身に背負って活躍してほしいです。そして、W杯の先はパリ五輪ですね。

富樫 僕自身、強豪国と対戦する機会もなければ、日本代表が強い国と戦う映像すら見たことがなかったので、東京五輪の開幕前はイメージがつかめなかったんですよ。でも、いざ本番で世界ランク2位のスペインとやってみて、負けはしたけれど(77-88)、予想以上に戦えたという手応えは感じたんです。

だから、今年のW杯でしっかり結果を残すことが大事です。アジアでトップに立てれば、自動的にパリへの切符を手にすることができます。僕にとっても日本バスケ界にとっても、パリ五輪に出場することは大きな意味を持つので、代表選手としてやらせてもらっている以上、頑張りたいですね。

●富樫勇樹(とがし・ゆうき)
1993年7月30日生まれ、新潟県出身。身長167㎝、ポジション:ポイントガード。2009年にアメリカの強豪モントロス・クリスチャン高校へ進学、翌年チームの全米ランキング2位に貢献。12年、バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ アジア2012でMVP受賞。12年にbjリーグ秋田に入団、新人賞を獲得。14年に再び渡米しNBAダラス・マーベリックスと契約、傘下のテキサス・レジェンズでプレー。21年、東京五輪2020に出場。抜群のスピードとスキルを併せ持つ司令塔で、日本代表のキャプテンを務める

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。『Jリーグタイム』(NHK BS1)キャスター、FIFAワールドカップカタール2022のABEMAスタジオ進行を歴任。2023WBC日本代表戦全試合を中継するPrime VideoではMCを務める。TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週土曜25:00~)のパーソナリティを担当。テレビ東京『ゴルフのキズナ』(毎週日曜10:30~)に出演中

スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/米田 萌(中川) 
衣装協力/ZUCCa Wax London KAORU 試合写真提供/千葉ジェッツふなばし

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