高知ファイティングドッグスを13年ぶりの年間総合優勝に導き、NPBの1軍で活躍する選手をここ3年で3人も輩出した吉田豊彦氏。指導者として自身のNPB復帰は考えているのか? 高知ファイティングドッグスを13年ぶりの年間総合優勝に導き、NPBの1軍で活躍する選手をここ3年で3人も輩出した吉田豊彦氏。指導者として自身のNPB復帰は考えているのか?

【新連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第1章 高知ファイティングドッグス監督・吉田豊彦編 第13回(最終回)

かつては華やかなNPBの舞台で活躍。現在は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第1章は、南海・ダイエー、阪神、近鉄、楽天を渡り歩いた鉄腕で、現在は高知ファイティングドッグスの指揮官としてチームを優勝に導いた「トヨさん」こと吉田豊彦氏に密着する。

■球速や奪三振にこだわるよりも心を整えること

2023年2月27日、高知取材最終日。居酒屋でのインタビューの話題は自身の現役時代から現在へ移っていった。トヨさんは、今季NPBドラフト指名ラストチャンスにかける高知FDのエース、平間凛太郎(ひらま・りんたろう)について語り始めた。

「平間は相手バッターを分析する目、感じる力は持っています。それなのに、自分の登板になると抑えることに執着し過ぎて状況が見えなくなるときがある。独立リーグの選手に対してはエイッ!と投げれば抑えられる。でもNPB相手ではそううまくはいかない。実際、去年のフェニックス(プロ野球の教育リーグのひとつ)でボコボコにやられた」

昨年10月27日、「みやざきフェニックスリーグ」における、四国アイランドリーグ選抜vs広島東洋カープ戦。先発マウンドを任された平間は、初回いきなり連打を浴び5点を献上した。いったん冷静さを失って熱くなると簡単に修正できないのが平間の課題だった。

悪夢は終わらず、3回はさらに2点献上。決め球の「ナイアガラ・カーブ」も決まらず、苦し紛れに投げたストレートを狙い打ちされた。カーブもストレートも通用せず、いろいろ球種を試してみたが抑えられない。5回には2本塁打を含む大量7点を奪われ、合計14失点するまで投げ続けた。

この試合、トヨさんは四国アイランドリーグ選抜のベンチに入っていなかったが、その日のうちに平間から電話がかかってきたという。「どうやったら抑えられるか、わかりません」と落ち込む平間に対し、トヨさんは「まずは心を整えて相手を冷静に見なさい」とアドバイスし、打たれたコースはどこかを問うた。

「狙われた球は?」(トヨさん)
「高めの球です!」(平間)
「低めは?」(トヨさん)
「手を出しませんでした!」(平間)
「ならば、相手が手を出さない低めのゾーンに球を集めれば良かったのでは?」
と、状況をひとつひとつ問いかけながらアドバイスした。

「バッターは初球のカーブに手は出しにくい。だから、そこでカウントを稼がなければいけない。逆に、追い込んでからのカーブ、変化球は狙われやすい。平間には『高めのカーブはカットされる。低めのボール球は誘いには乗らん。そしたら、追い込んだ段階でカーブからフォークに切り替えればいいのでは?』と話しました。僕が答えを教える前に、自分で気付いてくれたら嬉しいんですけどね。

得意のカーブをあっさり見送られたり、あっさり打ち返されて不安になったんでしょうね。時と場合によっては、いろいろな球種を見せ過ぎたら駄目。シンプルに行かないと。得意球は、初めて対戦するバッターにそんな簡単に攻略されるわけはないですから」

四国アイランドリーグの公式戦ならば、初回5失点した段階でトヨさんから交代を命じられていたかもしれない。そういう意味では、自信喪失したままマウンドに上がり続けた平間も、少々可哀想だったかもしれない。いずれにしろNPBスカウトにアピールできる絶好の機会に、平間は最悪の投球を晒してしまったのである。

「平間は、僕が見ている限りでは潜在能力の50%しか発揮できていない。それが100%になれば(NPB入りの)チャンスはゼロじゃない。ノムさん(野村克也氏)の言葉じゃないけど、人間性を高めなければ技術も向上しない。球速や奪三振にこだわる前に、『心を整える術』を身につけて、これからどう調整して、どういうパフォーマンスが出せるかです」

2020年、21年は最多セーブ、昨年は最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得しMVPに輝いた、四国アイランドリーグ最強右腕・平間凛太郎(高知ファイティングドッグス提供) 2020年、21年は最多セーブ、昨年は最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得しMVPに輝いた、四国アイランドリーグ最強右腕・平間凛太郎(高知ファイティングドッグス提供)

「選手のやる気を引き出す言葉がけはすごく難しい」とトヨさん。

取材初日、「指導に即効性はないので、根気が必要」、「あらためて、自分に足りない部分を知ることができている」、そして「ここは僕にとっても『学びの場』」と話していたことを思い出した。

結果が出ない理由を選手の「才能や努力のなさ」という言葉で片付けず、指導者としての自分に向けるところはいかにもトヨさんらしいと思った。選手がトヨさんの指導で成長しているように、トヨさん自身も、高知FDを巣立ちNPBで活躍する藤井皓哉、石井大智、宮森智志、そして平間をはじめとしたさまざまな個性を持った選手たちから学びの機会をもらい、指導者として成長しているのだ。

■ 人生初のビールかけと独立リーグ日本一を目指す理由

昨シーズン、ソフトバンクでブレイクした藤井を筆頭に、3年間で3人もNPBで活躍する選手を輩出したことで、指導者としてトヨさんのNPB復帰を期待する声もあるのではないか。

筆者も少なからずそういう期待をしていたし、トヨさん自身ももう一度、NPBで勝負したい気持ちがあるのではないかと想像していた。選手に限らず、指導者にとってもNPBはやはり最高峰、憧れの舞台なのだ。

しかしトヨさんの答えは意外なものだった。

「NPB挑戦は、自分では考えてはいません。ここで必要と思っていただけている間は、ここでベストを尽くすことしか考えられない。応援してくださる方もいるので、『期待に応える』という意味では、そういう選択(NPB復帰)もあるのかもしれません。

でもそれは周りが評価して決めること。実際、今の野球界の流れを見ると、指導者もどんどん若手に切り替わっている。逆に自分はこれからさらに年齢を重ねるわけで、いつまで体力が続くかどうかもわからない。とにかく、今と向き合うことで精一杯。その先を考えることができたら苦労しないよ(笑)」

トヨさんの目標は、毎年ひとりずつNPBに選手を輩出すること。そして、四国アイランドリーグ連覇を達成し、「独立リーグ日本一」の栄冠を手にすることだと話した。

独立リーグの指導者にとって最大の評価は、NPBで活躍できる選手をどれだけ育てられるかだ。そういう意味では独立リーグ監督としてこれ以上ないような結果を残していた。しかしトヨさんはそれと同等、いや、もしかしたらそれ以上に、「優勝」に強いこだわりを持っていた。それは昨シーズン、優勝することの価値を身を持って知ったことも影響しているかもしれない。

今季の目標は四国アイランドリーグ連覇、そして「独立リーグ日本一」の栄冠に輝くことだ(提供/高知ファイティングドッグス) 今季の目標は四国アイランドリーグ連覇、そして「独立リーグ日本一」の栄冠に輝くことだ(提供/高知ファイティングドッグス)

平間に高知球場でインタビューした際、「越知町は小さな町ですが、吉田監督のことはみんな知っています。地元の居酒屋に行けば現役時代の写真が飾ってありますし、吉田監督は名誉越知町民みたいな感じです。吉田監督とキャプテンだった(サンフォ・)ラシィナは地元で『おめでとう!』ってビールかけをしてもらったらしいです」と教えてくれた。

トヨさんにそれを伝えると、「あいつ、なんでそれ知っているんだ!?」と少しのけぞって驚いた様子。小さな町はご近所同士の繋がりも強いだけに、良くも悪くも話が広がるのは早いものだ。

「僕とたまたま居合わせたサンフォだけ参加しました。NPBで優勝経験はないので『一度ビールかけしてみたいな』と何気なく話したら、地元の方が『そんなら、やっちゃろ!』という話の流れになって。それは嬉しかったですよ。『うわーっ、ビールかけってこんなもんか』と。

そのとき、『応援してくださるみんなが喜んでくれるあの笑顔は何度も見たいな』と思いました。『優勝すればこんなに喜んでもらえるんだ、盛り上がってもらえるんだ』ということを初めて実感しました。ビールかけは結果的に抜け駆けした形になってしまったので、チームのみんなには内緒にしていました。でも今度は、選手とスタッフ全員で参加して、優勝の喜びを分かち合いたいですね」

左のエースとして苦しい時代を支えたダイエーは、トヨさんが阪神に途中移籍した翌年の1999年に初優勝。名将・野村監督が就任したものの3年連続最下位という低迷期に過ごした阪神は、トヨさんが近鉄に移籍した翌年、2003年に優勝した。近鉄は2001年に優勝、その翌年にトヨさんは入団し中継ぎとして第二の全盛期を迎えたが、過ごした3シーズンで優勝はなかった。

そして最後の所属チームとなった楽天は、引退から6年後の2013年シーズン、田中将大の開幕24連勝という伝説的な記録と共に初優勝と日本一を手にした。

20年間もNPBで現役生活を続け5球団でプレーしたトヨさんだったが、いずれも少しタイミングがずれた形で、日本一もリーグ優勝も経験しないまま引退した。そんなトヨさんにとって、昨シーズンの四国アイランドリーグ年間総合優勝は初めて手にした栄冠であると同時に、チームや地元の人たちと初めて感動を分かち合えた最高の瞬間でもあった。

高知ファイティングドッグスというチーム、そして越知町という町は、みんなで感動を分かち合う喜びを教えてくれた。だからこそ、高知で今この瞬間を全力で生き、NPBであろうと独立リーグであろうと関係なく、「野球を通して恩返しがしたい」、「優勝してみんなの喜ぶ顔が見たい」という思いをより強くさせたのかもしれない

* * *

「明日も朝から練習なので、食事をしつつ1時間程度」という予定で始めたインタビューは、気づけば3時間以上経過していた。まだまだ話したいこともあったが、さすがにそろそろ終わりにしなければならない。

3日間お世話になったお礼を言う。するとトヨさんは、「お互い、元気で頑張ろうな」と言い、自身の高知FDのユニフォームと帽子をプレゼントしてくれた。実はこの日は筆者の53回目の誕生日だった。取材初日、「お互い年をとったな」という会話の中で何気なく言ったことを覚えていてくれたようだ。

吉田豊彦監督が筆者にプレゼントしてくれたユニフォームとキャップ 吉田豊彦監督が筆者にプレゼントしてくれたユニフォームとキャップ

「まだまだ投げたい!!」

大粒の雨の中でそう叫んだ引退試合から16年。

トヨさんは何ひとつ変わっていなかった。人に優しく、自分に厳しく。そして、あの日と同じように、「まだまだ」と言いながら野球と向き合っていた。

そう、トヨさんにとって「野球」とは、終わりのない旅なのかもしれない。たくさんの人と出会い、新しい発見をし、時に大雨や嵐に遭って立ち止まることはあっても、空が晴れて朝日が昇ればまた、「野球」という旅を続ける。今までも、そしてこれからも――。

高知ファイティングドッグス監督、吉田豊彦。

高知に来て12回目のシーズンが始まった。(了)

■吉田豊彦(よしだ・とよひこ) 
1966年生まれ、大分県出身。国東高校、本田技研熊本を経て、87年ドラフト1位で南海ホークス入団。南海・ダイエー、阪神、近鉄、楽天を渡り歩き2007年に引退。現役20年間で619試合に登板した「鉄腕」。楽天2軍コーチを経て、2012年シーズンより四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス投手コーチ。20年に監督に就任し、22年にはチームをリーグ年間総合優勝に導いた

■会津泰成(あいず・やすなり) 
1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社しプロ野球、Jリーグなどスポーツ中継担当。99年に退社しライター、放送作家に転身。楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)『歌舞伎の童 中村獅童という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社)など

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