堂安律が小学生の頃から憧れてやまない宇佐美貴史選手(ガンバ大阪) 堂安律が小学生の頃から憧れてやまない宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)
サッカー日本代表を背負う堂安律はどのように10代を過ごしたのか? 初書籍『俺しかいない』の3刷重版も決定した堂安律が世界に羽ばたく前、ガンバ大阪で成長した日々を指導者&先輩の証言で振り返る。今回は堂安律の6歳上の先輩、宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)に話を伺った(全4回の第1回)。

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■「トップの試合を見るたびに、視線はずっと宇佐美くんを追いかけていました」

堂安律が今も大切にしているものがある。宇佐美貴史が2度目の海外に旅立った2016年6月。"じゃんけん"を制して宇佐美にもらった財布だ。小学生の頃から憧れてやまないその人からの贈り物を大事そうに見せてくれた彼は、子供のように表情を緩ませた。

「ガンバ大阪U-23の練習が終わったくらいの時間に、宇佐美くんがロッカーを掃除するためにクラブハウスに来ていたんです。その時になぜかロッカーに置きっぱなしにしていたという新品のブランド物の財布を『誰かいる?』と。もちろん、僕を含めた全員がソッコーで手を挙げて『ください!』となったんですけど(笑)。

そしたら『じゃんけんで勝ったやつにあげるわ』と言われて、その場にいた全員でじゃんけんをしたら、僕がひとり勝ちしたんです。宇佐美くんにも『お前、もってるな!』と言ってもらいました。以来、ずっと使っています。最初は持ち歩いていたんですけど、そうすると傷んでくるから、今は自宅でカードや領収書を入れて使っています」(堂安)

堂安が宇佐美に憧れを持ったきっかけは、小学生の時に、万博記念競技場で行われたAFCチャンピオンズリーグ、FCソウル戦を観戦したことに始まる。ガンバの公式戦最年少出場記録を更新するべく初めて先発メンバーに名を連ねた宇佐美が、64分に初ゴールを挙げたデビュー戦だ。衝撃は脳裏に刻まれ、自身がガンバジュニアユースに加入してからは特に憧れを強くする。初めて"生・宇佐美"を見た日のことも鮮明に覚えている。

「僕らが中1年の時、宇佐美くんは高3ですでにトップチームでバリバリ試合に出ていたんです。その宇佐美くんがある日、アカデミーの選手が使うロッカールームに来て、(大森)晃太郎くん(現・ジュビロ磐田)ら、同期の人たちと話をしていたんです。そこに練習を終えた僕らが入っていって......と言っても先輩がいたので、カバンだけサッと取ってロッカーを出て、外で着替えていたんですけど(笑)。

そしたら、しばらくして宇佐美くんが『お疲れ?』と言いながら1人1人とハイタッチを交わしてロッカーから出てきた流れで、僕らジュニアユースの選手ともハイタッチをしてくれたんです。その姿を見て『カッコえぇ??!!』と(笑)。オーラがものすごくて『こんな雰囲気の人に初めて会った!』って興奮しまくりでした。以来、トップの試合を見るたびに、視線はずっと宇佐美くんを追いかけていました」(堂安)

■「クラブ最年少出場記録を塗り替えてくれたのが同じアカデミー出身の後輩で素直に嬉しかった」

一方、宇佐美が6歳下の堂安の名前を初めて知ったのは、彼が二種登録選手になった15年に、U-17日本代表で活躍した時だったという。

「どうあんりつ、って、あんどーなつ、みたいな名前やな」

同年の 5月27日にACLラウンド16第2戦、FCソウル戦に揃って出場した時のことも覚えている。先発した宇佐美は68分で交代となり、逆に堂安は88分から途中出場でピッチに立った試合だ。

「年齢もトップチームデビューも、自分と同じシチュエーションだったし、ましてや対戦相手まで同じでしたから。『そんな偶然ある!?』って意味で覚えています。ただ、プレースタイル的には僕が憧れた先輩、家長(昭博)くん(現・川崎フロンターレ)に近い気がしたので『家長2世的なタイプなんかな』と思っていました。

今の律にも通じるシュートのパンチ力もさることながら、あの年齢で、しっかり体を使ってボールを隠せるというか、フィジカルで押し負けずに、うまく腕や体を入れ込んで、左足でボールを隠すみたいなキープの仕方がもうできるんやなって思った記憶があります。あと、確かその試合の終盤に律にも決定機があって......。でも、決め切れなかったこともあり、帰りのチームバスで『あれが決められたら良かったな』的なやりとりをしたはずです」

その試合で自身の持つクラブ最年少出場記録を堂安に塗り替えられたことも嬉しかった、宇佐美は振り返る。

「僕が稲本(潤一)くん(現・南葛SC)の記録を塗り替えたように、歴史の中で記録が塗り替えられてこそクラブの進化もあると思うので。ましてやそれを塗り替えてくれたのが同じアカデミー出身の後輩だったのも素直に嬉しかった。クラブにとってはもちろん、サポーターの皆さんにとってもアカデミーから勢いのある若手が台頭してきたのは誇らしい出来事やったと思う」

■「試合に出られなくても見出せる成長はあるけど、世界は個人の成長をのんびり見守ってくれるほど甘くはない」

その後、堂安がガンバ大阪U-23でのプレーが続いたこともあり、また宇佐美も2016年夏には2度目の海外挑戦でドイツのFCアウクスブルクに移籍したため、実は2人が同じピッチに立ってプレーしたのは、2015年のJ1リーグでの2試合のみ。

そのうち共に先発を飾ったのは1stステージ16節・ベガルタ仙台戦だけだ。だが当時、背番号39を背負っていた宇佐美と、38番の堂安はロッカーが隣同士だったことで自然に会話が生まれることもあったという。

J3での戦いが続いている堂安にオランダの強豪、PSVアイントホーフェンからオファーが届いた際も宇佐美なりの考えを伝えた。

「僕のプロ1年目と同じで、律も思うようにトップの試合に絡めずに悩んでいるんやろうなとは思っていましたけど、僕の時代と違って、ガンバ大阪U-23での活動がありましたからね。本人が納得していたかは別として、毎週、定期的にJ3リーグを戦える環境は、絶対に意味を持つものになると思っていたし、1年くらいそこで試合経験を積めば、すんなりトップでもプレーできるんちゃうか、と思っていました。

PSVへの移籍話が浮上した時も、自分の考え方を押し付けるのは違うと思ったので、『もちろん行くという選択も1つやけど、もう少しここで場数を踏んでからもいいんじゃないか』ということと、『行くならもう少し自分に合ったチームがあるんちゃうか』ってことだけは伝えました。

これは僕自身が、19歳でFCバイエルンに期限付き移籍をした経験を踏まえての意見だったというか。僕自身、初めての『海外』でいきなり世界有数のビッグクラブに身を置いたことに後悔はないし、そこで得たものもめちゃめちゃありましたけど、ただ、一番成長を求められる時期に試合に出られないのはもったいなかったと感じたのも事実だったので。『試合に出られなくても見出せる成長はあるけど、世界は個人の成長をのんびり見守ってくれるほど甘くはない』というような話をした記憶もあります」

■「自分の置かれた場所で右肩あがりに成長を続けている律のことは純粋にすごいなって思う」

結果的に堂安は、そのタイミングでの海外移籍を思いとどまり、2017年にFCフローニンゲンへの移籍を決める。その時には宇佐美もドイツでプレーしていたこともあり、堂安が宇佐美のいるドイツの美容室に来たタイミングで、あるいは宇佐美がアムステルダムに所用で出掛けた時に何度か食事もしたと聞く。

宇佐美によれば、ほとんどがプライベートの話で「僕の前ではニコニコしている、いつもの無邪気な律だった」そうだが、当時を含め、今日まで試合などを通して見ている堂安には確かな変化を感じ取っているという。

「今も僕の前では、ガンバにいた時のような後輩っぽい顔しか見せないけど、海外に行ってけっこう早い段階から、律の中にある『俺が、俺が』という、いい意味で尖ったメンタルをプレーに繋げているなと感じていました。

特にここ数年は、いい意味で余分なものが削ぎ落とされた感じもします。それはたぶん常に自分より優れた選手がいる環境に身を置いて、生き残る術を考えてきたから。実際、オランダでプレーしている時は、今よりもう少し低いゾーンからドリブルで運んで、サイドから仕掛けて、って形が多かったけど、ドイツのフライブルクではチーム戦術、求められる役割もあってか、プレーゾーンが少し高くなって、無駄な労力を使わずに自分がシュートを打てるゾーン、決められるポイントでボールを動かし、仕留める形が増えたな、と。

ドイツでは律のポジションで点を取れないとすぐに居場所がなくなってしまうからかも知れないけど、チームのタスクをこなしつつも、いい場所で待って点を取ることに振り切ったようにも見える。でも結果的にそれが律の左足をより際立てているし、W杯カタール大会で魅せたパンチの効いたシュートもそういう時間を積み重ねてきたからこその結果だったんじゃないかと思います」

その言葉を堂安にぶつけると、今の彼につながる興味深い言葉が返ってきた。

「確かに、ブンデスリーガでプレーするようになって、プレーゾーンは少し高くなったと思います。これは、4バックのサイドMFではなく、3バック、5バックのシャドーでプレーしているのもあるし、宇佐美くんが言うようにブンデスリーガのスタイルというか、繰り返し仕掛けて点を取れる選手が重宝される中で、自然と体が自分の活きる場所、プレーを覚え始めた気もします」(堂安)

そんなふうにブンデスリーガでのチャレンジを続ける堂安に、宇佐美もエールを贈る。

「海外でプレーする難しさ、日の丸を背負う大変さを知っている分、自分の置かれた場所で右肩あがりに成長を続けている律のことは純粋にすごいなって思うし、リスペクトしかない。このまま律らしく突き進んでほしい。僕が見たことのない、経験したことのない世界もすでにいろいろ体感しているやろうから、また会った時にはそんな話を聞かせてもらいたいなって思います」

「無邪気に笑う後輩」に向けてではなく、同じプロサッカー選手として戦い続ける同志に、最大限のリスペクトを込めた言葉だった。

●堂安 律(どうあん・りつ) 
1998年6月16日生まれ、兵庫県尼崎市出身。ガンバ大阪、FCフローニンゲン(オランダ・エールディヴィジ)、PSVアイントホーフェン(オランダ・エールディヴィジ)を経て、2020年9月にアルミニア・ビーレフェルト(ドイツ・ブンデスリーガ)へ期限付き移籍。21年には再びPSVアイントホーフェンでプレーし、22年7月にSCフライブルク(ドイツ・ブンデスリーガ)へ完全移籍。18年9月からサッカー日本代表としても活躍中。21年の東京五輪では背番号10、22年のカタールW杯では背番号8を背負った。また、地元・尼崎で実兄の憂とともに、未来の日本代表10番を育成するフットボールスクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を運営中


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