エルサルバドル、ペルーとの2連戦に臨んでいる森保ジャパン。その注目選手のひとり、中村敬斗(なかむら・けいと)はまだ22歳ながら、すでに欧州で4チームを渡り歩いている苦労人だ。試合に出られず帰国も勧められるなどした苦しい日々、飛躍のきっかけ、そして日本代表を含めた今後の目標を聞いた!
* * *
■オランダで順調なスタートを切るも......
リーグ戦14得点7アシスト。オーストリア1部で来季のヨーロッパリーグ出場権(予選プレーオフ)を手にするなど3位と躍進したLASKリンツでブレイクした中村敬斗。欧州の移籍市場でも評価を高め、今オフのステップアップが噂される注目株だ。
日本代表としても3月に再スタートした森保ジャパンのウルグアイ戦でデビューすると、6月シリーズ(エルサルバドル戦、ペルー戦)にも続けて招集されている。
――今季はリーグ32試合中31試合に出場し(30試合で先発)、チームトップの14得点をマーク。手応えは?
中村 ほぼ2試合に1点取れたわけですし、プロ入り後、最もいい数字が残せたので、満足はしています。とにかく1年があっという間でしたし、それだけ充実していたってことだと思います。
――好結果の要因は?
中村 特に何かを変えたわけではないです。ただ、昨季終盤に就任した(元オーストリア代表の)キューバウアー監督が最初に指揮した試合で2点取れて、そこから継続して起用してもらえるようになるなど、監督といい関係が築けたのは大きかった。
試合に出ないと点は取れないし、プロになってから初めて監督の愛を感じたというか、たぶん監督は俺のことがめっちゃ好きだったと思います(笑)。
2019年夏にガンバ大阪からオランダ1部のトゥウェンテに期限付き移籍、開幕から2戦連発と中村の欧州挑戦は出だし好調だった。
だが、チームの成績が下降線をたどると、ウインターブレイク明けは徐々に出番が減少。欧州2年目はベルギー1部のシント=トロイデンに活躍の場を移したが、状況はさらに悪化。
開幕からの2試合こそ先発したものの、その後はベンチ外が続き、故障も重なって練習に参加できない日々も過ごした。G大阪からは復帰も打診された。
それでも、欧州でのプレーにこだわり、21年2月にオーストリア2部のジュニアーズへ期限付き移籍。この判断が功を奏し、21年8月にLASKへの完全移籍を勝ち取り、今季の好成績につなげた。
――オランダ、ベルギーでは出場機会が得られない苦しい時期もありました。
中村 トゥウェンテではPSVやアヤックスからもゴールを取れましたけど、チームが苦しくなると、若手よりもベテランが起用されるのは仕方ないですよね。
ただ、そのシーズンはコロナで3月にはリーグが中断になったし、冬のブレイクまでは先発していて、出られない時期はそんなに長くはなかった。一番つらかったのはシント=トロイデンのときで、ほぼ半年間試合に出られなかったですから。
――シント=トロイデンにはシュミット・ダニエル選手や鈴木優磨選手(現・鹿島)ら日本人選手も多く所属していましたが、誰かに相談したりすることもありましたか?
中村 試合に出られないことについての相談はしなかったです。ピッチ外では仲良くしていても、選手はピッチに入れば日本人も外国人も関係なくライバルですから。まあ、うまくいかず気持ちがモヤモヤしているときに(日本時間の)深夜に家族へ電話してグチをこぼしたことはありましたけどね(苦笑)。
――2部のジュニアーズへの移籍に迷いはなかった?
中村 いろいろな声はありましたけど、当時はまずは試合に出て、自分の感覚を取り戻したいと思っていたので迷いはなかったです。
ガンバからは「一度戻って、再挑戦すればいい」と言ってもらいましたけど、それは言うほど簡単なことではないし、年齢が上がれば上がるほど(海外移籍が)厳しくなるのはわかっていたので、僕の中に「戻る」という選択肢はなかった。オランダで結果が出ていた時期もあったので、自分を否定したくない気持ちもありました。
それにジュニアーズはLASKのセカンドチームという位置づけで、結果を出せば1部のLASKに(個人)昇格できるという考えもありましたね。いま振り返っても最高の選択だったと思うし、オーストリアではピッチだけでなく私生活も含めて順調でした。
――公私ともにオーストリアの水が合った。
中村 オーストリアは山や湖が本当にキレイなんです。オフはチームメイトと観光に行き、川で捕れたマスをカフェで焼いてもらって食べたりして。ヒマになることがなかった。家で自炊していたときに、近所のスーパーで買ったイカにあたって3日くらい入院したことはありましたけど......(苦笑)。
リンツには日本の方がやっている本格的な日本食レストランはないんですけど、よく外国にあるあぶったサーモンや天ぷらに甘いソースがかかった〝なんちゃって寿司〟も好きですし、食事も僕の口に合ったみたいです。
■「五大リーグには挑戦したい」
――日本代表に初招集されたときはどんな思いでしたか。
中村 めっちゃうれしかったですよ。ただ、実際にピッチで合流するまでは、レベルがどの程度かもわからなかったですし、不安や緊張のほうが大きかったです。特に自分と同じ攻撃的な2列目の選手は五大リーグ(イングランド、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス)でやっているスゴい選手ばかりですからね。
――初対面の選手も多かったと思います。チームにはすぐになじめましたか。
中村 菅原由勢(AZ)や瀬古歩夢(グラスホッパー)ら同期の選手も何人かいたし、シント=トロイデンで一緒だったダンさん(シュミット)らもいたので、「誰あいつ?」って感じではなかったと思います(笑)。
それに緊張は合流するまでで、初日の練習を終えてからはいっさい緊張はなかったです。サッカー選手がピッチで緊張していたら話にならないですから。
――中村選手の持ち味は左サイドからドリブルでカットインしてからの右足シュートですが、最近は逆サイドからのクロスに飛び込んでいくシーンも増えつつあります。
中村 左サイドでボールを持ってからの仕掛けは、自分の得意の形です。カットインして右足で狙う場合もあれば、中のコースを切られたら縦に仕掛けて左足でシュートとか。ただ、最近はワンタッチゴールも増えています。
3月のコロンビア戦では三笘(薫)選手がヘディングでゴールを決めたじゃないですか。三笘選手は足元の技術だけじゃなくプレミアリーグでも頭でゴールを決めている。ああいうプレーを目の前で見られたことはスゴく刺激になりましたし、実際に4月のリーグ戦では僕もヘディングで決勝ゴールを決めましたからね。最近はゴール前に飛び込んでいくプレーも自信を持ってできるようになりました。
欧州各国リーグの実力を示すUEFAランキングでオーストリアは、ベルギー(8位)、スコットランド(9位)に次ぐ10位。LASKとの契約は25年6月まで残っているが、移籍は時間の問題かもしれない。
――移籍の報道も出ています。
中村 僕自身もどうなるだろうって感じです(苦笑)。LASKに残るかもしれないですし、ステップアップの可能性もある。特にこのクラブに行きたいという希望はないですけど、五大リーグには挑戦したいし、いつかチャンピオンズリーグやプレミアリーグでプレーできたらという夢は持っています。
――残念ながら日本ではオーストリアリーグの試合中継がなく、日本代表で中村選手のプレーを見ることを楽しみにしているファンも多いです。
中村 リーグの得点シーンはYouTubeにアップされるんですけど、僕のインスタグラムにその動画を上げていたら、著作権の問題があったみたいで現地の放送局の方から「新しい動画はアップしないでほしい」と突っ込まれてしまいました(笑)。
日本代表では、3月のウルグアイ戦はロスタイムを含めて約5分と短い出場時間だったので、6月シリーズではもう少し経験したい気持ちはあります。ただ、気負う必要はないし、自然体というか、クラブでやってきたことを出すだけかなって思ってます。
●中村敬斗(なかむら・けいと)
2000年生まれ、千葉県出身。三菱養和SCユースを経て、18年に高校2年生でG大阪のトップチームに加入。19年にルヴァン杯のニューヒーロー賞に選出。20年にトゥウェンテ(オランダ)に期限付き移籍し、デビュー戦でゴール。その後、シント=トロイデン(ベルギー)、ジュニアーズ(オーストリア2部)を経て、21年にLASKリンツ(オーストリア)に完全移籍。2季目の今季はウイングのポジションながら公式戦36試合で17得点8アシストと躍動。今年3月のウルグアイ戦で日本代表デビュー。180㎝、73㎏