強豪国のドイツやスペインを相手に勝利を挙げた昨年のW杯カタール大会、そして今年に入って南米勢相手の親善試合でも唯一の先発フル出場。
いまやサムライブルーの守備の要となった、板倉滉。ドイツ・ブンデスリーガでのシーズンを終え、オフを満喫かと思いきや、自身が立ち上げた社会貢献活動"Ko creation project"(略称KCP)を本格的に始動させた。
6月末~7月頭にかけて神奈川で100人、宮城で200人の子供たちに向け、サッカー教室を開催。「これからもどんどん日本全国を回って社会貢献を果たし、子供たちに夢を、和食の素晴らしさも広めていきたい」と語る。
そんな彼の連載が、7月10日月曜発売の週刊プレイボーイからスタートする! そこで、イベント密着&独占インタビューを週プレNEWSで大公開!
■100人の子供たち全員にサインを書く、底なしのサービス精神
6月24日、横浜・海の公園なぎさ広場。時折、潮風は吹いてくるものの、朝から蒸し暑い。日差しも出始め、汗は止まらない。
9日前にキリンチャレンジカップのエルサルバドル戦、4日前にはペルー戦にそれぞれ先発でフル出場したもかかわらず、板倉選手は疲れた様子もなく、屈託のない笑顔で握手を求めてきた。
「こんにちは、宜しくお願いします!」。
集まった子どもたちは、横浜市在住もしくは在学の小学生100人。
イベントの構成は、ヨガ講師による準備体操とミニゲーム、そして小学生100人とチーム板倉5人のガチンコ勝負。
フィールドをぎっしり埋め尽くしたサッカーキッズの姿はじつに壮観。ボールがどこにあるのか、全く見えず。ただひたすら、子どもたちの嬌声が耳に心地よい。
「子供、大好きなんですよね。というか、人が大好きで。昔からそれは変わらないですね」。
人懐っこい笑みを浮かべながら、子どもたちとたわむれる板倉選手。壁がないぶん、板倉選手のまわりには人が集まっていく。
イベントの締めくくりは、表彰式。この日、活躍した子供たちに賞品が贈呈された。板倉選手が普段から愛用している寝具メーカーの西川、愛飲しているプロテインやサプリメントの会社DNSがそれぞれ協賛。
プレーで光り輝いていた子どもだけではなく、チーム板倉の一人がはからずも足をつった際に、かけよってフォローした子どもにもプレゼントが渡された。もちろん、その場で板倉選手がサインを加えた。
これでイベントは終了と思いきや、板倉選手は子どもたち全員に向けて、即席のサイン会を始めたのだ。炎天下の中、嫌な顔ひとつせずに、時折会話もしながら、子どもたちが差し出すユニフォームや色紙にサインを入れていく。
「僕も、小さい頃は選手の出待ちしてましたからね。川崎フロンターレの練習場とかで。(中村)憲剛さんとか、鬼木(達)さんが現役の頃です。だから、子どもたちの気持ちはすごく分かる」。
■飛躍するきっかけを作ってくれた宮城県に恩返ししたかった
7月1日、宮城県・岩沼市陸上競技場。板倉選手は2018年に1年間、ベガルタ仙台に在籍し24試合に出場、3得点をマークした。
彼にとって、宮城県は飛躍を遂げた忘れがたい場所である。KCPのプロジェクトを始めたら、真っ先に行きたいと挙げた地域だった。
「やっぱり、僕を育ててくれた場所ですからね。恩返しという意味も込めて、絶対に宮城県でイベントをやりたかったんです」。
集まったのは、200人の小学生。県内出身のお笑い芸人・パンサー尾形氏のサポートも受けつつ、チーム板倉は100人の小学生とまたも大合戦を繰り広げた。
今回のイベントでも板倉選手のナイスガイっぷりが見えた。当日、地元の飲食店による屋台が8店出ていたのだが、彼は一軒ずつ挨拶をして回り、イベントスタッフの分を含め差し入れを購入。記念撮影にも気軽に応じるなど、サービス精神は底なしだった。
「昨日前乗りしたんですよ、仙台に。何を食べたかって? そりゃもう、牛タンですよ(笑)。やっぱり和食は尊いですよね」
現在、ドイツで暮らす板倉選手にとって、日本に帰国した際の一番の楽しみは和食を堪能することだという。KCPの目的のひとつ、和食文化を広めるというテーマも着々と準備を進めているという。
「なにかの企画にのっかるというのではなく、自分たちの手で一からプロジェクトを作り上げていきたいんです。神奈川と宮城でイベントを開いたことによって、ようやく出発できたという実感が湧きましたね。こうやってオフシーズンに日本へ戻ってきたタイミングで、今後も47都道府県を回っていきたいです」
今後も、ピッチ内外問わず板倉選手の活躍から目が離せない。
7月10日月曜発売、週刊プレイボーイ30・31号にて、板倉選手の新連載コラムがスタート! ぜひご覧ください!
板倉 滉(Kou ITAKURA)
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。DF。身長186cm。
川崎Fでプロデビュー、18年ベガルタ仙台での1シーズンを経て、19年1月、マンチェスターCに移籍。その後、オランダ1部フローニンゲンへ移り、21年、ドイツ2部シャルケ、22年よりブンデスリーガのボルシアMGでプレー、守備の要に。2022年W杯カタール大会でも活躍。