覚えているだろうか、2011年のサッカー女子W杯決勝を。激闘の末のPK戦。最後の最後で世界一のアメリカを仕留めたのは、あどけなさも残る二十歳の熊谷紗希だった。大会後は欧州の名門クラブを渡り歩き、数え切れないほどの栄光をつかんだ。
あれから12年――なでしこジャパンは今、岐路に立たされている。再びW杯で頂点に立ち、優勝を狙う主将としての覚悟を、スポーツキャスター・中川絵美里が聞く。
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■海外組最多選出は「ようやく」という感覚
中川 熊谷選手は2011年にW杯ドイツ大会で優勝後、浦和レッズレディース(当時)から女子ブンデスリーガの1.FFCフランクフルトに移籍。以後、今に至るまで第一線で活躍されています。今回のW杯は4度目の出場となりますが、やはり国を背負って戦うのは特別な思いがありますか?
熊谷 ええ、代表は誰もが立てる場所ではないですしね。11年にW杯を獲(と)った後、このなでしこジャパンというチームの力にもっとなりたいという思いで海外に出ました。
もちろん、海外のクラブに行けばそこでのタスクはあるんですけど、でも最後はやっぱり日本代表として世界に勝つというのが自分の中にあるんです。だから、W杯は特別なんです。
中川 今大会では11年の優勝を知る唯一の選手となりました。メンバーもご自身の立場もずいぶん変わられたわけですが、感慨はありますか?
熊谷 純粋に、4回もW杯に出られるなんて本当にうれしいです。4回目ともなると、それなりに経験もしてきて、それなりに年齢も重ねて(笑)。自分が海外でチャレンジした成果が4年ごとに発揮できる場所、表現できる一番の大舞台がW杯なので。
この先、自分にとって5度目の出場があるかどうかはわからないですから、この4度目のW杯が特別な大会になることは間違いないです。
中川 今大会の池田太監督率いるなでしこジャパンのメンバーは、海外組が過去最多選出(9名)。熊谷選手から見て、日本の女子も海外挑戦が増えてきた印象はありますか?
熊谷 ようやく、といったところですね。11年の優勝直後はけっこうたくさんの選手が海外へ出ていったんですけど、その後が続かなくて。私としては、「海外に出たほうがいい、出るべきだ」と声を大にしてずっと伝えてきた中で、ようやくという感覚です。本当にここ1年くらいじゃないですかね。
中川 再び海外進出が増えた要因というのはどこにあると思いますか?
熊谷 おのおのの選手が世界と戦ってみて、世界の成長スピードを体感して、このままじゃいけないと思ったこと。
それに、素直にチャレンジしてみたいと思ったことで増えていったのかなと。海外に行くことが単純にすごい、ステータスがあるというわけではなくて、そこに学びがあって、選手として大きく成長できるんです。
男子サッカーを見ても、今やスタメンの8、9割は海外組ですよね。日本が本気で世界で勝つには、海外挑戦は重要だと思います。
■日本のWEリーグについて思うこと
中川 熊谷選手は20歳のときに1.FFCフランクフルトに移籍されました。日本と海外との違いというのは、ものすごく感じましたか?
熊谷 正直、すべてが違っていましたね。言葉はもちろん、求められるサッカーも。監督によるとは思いますけど、まず、日本と同じことをしていたら絶対に起用されない。日本での常識が、向こうでは常識じゃなくなるんです。
中川 パワーやスピードなどの個の強さはもちろん、文化的な部分もすべて違うと。
熊谷 そうです。生活も含めてです。今になって思うけど、行った当初はめちゃくちゃ苦労していましたね。練習も行って、語学学校も通って。戸惑いというか、うまくいかない時期もありました。
言語でサッカーするわけじゃないけど、それでも徐々にしゃべれるようになってから、自分の意図を伝えられるようになって。自分の考えていることを理解してもらえるようになったことで、よりサッカーもやりやすくなりました。
その経験があるからこそ、どの国、どのクラブに行っても大丈夫というか。今回、自分にとって初めての国であるイタリアのASローマへ加入することも、なんの抵抗もなかったです。
中川 なでしこジャパンでの活躍は言わずもがなですが、海外のクラブでの実績も素晴らしいです。13年には1.FFCフランクフルトからフランス女子1部の名門、オリンピック・リヨンへ。ここでUEFA女子チャンピオンズリーグ(CL)5連覇を達成。
特に19-20年シーズンには、日本人では男女通じて初めてとなる欧州CL決勝戦でのゴールを記録しています。その後21年にドイツに戻り、バイエルン・ミュンヘンに移籍。そして次はローマ。本当に、日本サッカー界が世界に誇るレジェンドです。
熊谷 いえいえ、全然(笑)。
中川 海外の名門クラブを渡り歩き、10年以上活躍し続けられる秘訣(ひけつ)、強みはなんですか?
熊谷 うーん......プレーヤーとしての自分を俯瞰(ふかん)したときに、できることとできないことを私自身が一番理解できているのかなと。それを踏まえて、今のチームは私に何を求めているのだろうかと。
それが自分のプレースタイルではなくとも、求められたらやる。そういう割り切りができているので、生きていくすべというか、技術面も含めて、身につけられたんだと思います。
中川 体格差というのはどうしても埋められないわけですから、その分、技術や状況判断、戦術バランスへの理解力で補うわけですね?
熊谷 ええ、やっぱりそういう能力は日本人のほうが持っていると感じます。例えば、かけっこで「よーいドン!」って同時にスタートしたら、スプリント力のある外国人のほうがだいたい強い。でも、フライングすれば勝てますよね(笑)。
つまり、試合でもいい意味での「ズルさ」が必要だったりするわけです。あと、相手の弱点、クセをいち早くインプットするだとか。予測する力というのも大切なんですよね。
中川 ここ最近の海外における女子サッカー人気、特にヨーロッパにおいてはうなぎ上りですが、熊谷選手も実感されていますか。
熊谷 めちゃくちゃ感じますね。私、12年ほど海外でプレーしていますけど、12年前に1.FFCフランクフルトに行ったときと、8年ぶりにドイツに戻ってきて、バイエルン・ミュンヘンに移籍したときの状況って全然違いました。取り巻く環境やサポーターの数、そしてお金の面とか、まるっきり違います。
中川 ビッグビジネスになっているんですね。
熊谷 ええ。イングランドは昨年の欧州選手権で優勝したからさらに過熱しているし、ドイツは準優勝でしたけど、公開練習はそれまでの倍の数のファンが集まるそうで。スタジアムも満員に。
私もバイエルン・ミュンヘン加入1年目のときに、男子が使うアリアンツ・アレーナ(収容人数7万5000人)で試合ができました。欧州の女子サッカーの成長速度はすさまじいですね。
中川 一方、日本もWEリーグが発足して2シーズン目を終えました。日本の女子サッカーの環境についてはどうとらえていますか?
熊谷 私は現在WEリーグでプレーしていませんし、当事者ではないのですべてのことを把握しているわけではありません。ただ、いろんなところから話を聞く限り、良くしていける部分は多くあるんだと思います。
もちろん、プロになって選手の環境が良くなったこと、熱心なサッカーファンが見に来てくれていること、一生懸命PRに知恵を絞っているクラブがあることも知っていますが、このWEリーグを継続する、さらに発展させるためには、もっと多くの、新規の観客を獲得しないといけないわけで。
これは、今のなでしこジャパンにも言えることなんです。状況はWEリーグと同様に厳しい。だから、(着ているユニフォームを指さし)ここで結果を出さないといけないという思いは、ものすごく強くあって。責任感ですね。今回のW杯の結果に、今後の日本女子サッカーの未来がかかっていると強く感じています。
■澤穂希、宮間あや。キャプテンの系譜
中川 責任感という言葉が出ましたが、熊谷選手は17年からなでしこジャパンのキャプテンを務められています。これまでのチーム、ここからのチームについて、主将の立場としてどう考えていますか?
熊谷 キャプテンとして、というよりも、これだけ長い間代表でやらせてもらっている一選手の立場として、経験値の高さというところで日本代表を引っ張る、背負っていく存在にならないとダメだと思っています。
キャプテンになってからは、ピッチの中でも外でもチームのことを考える機会は格段に多くなりました。いい意味で、選手同士が本音でぶつかり合えるチームを目指しているんです。
中川 理想のキャプテン像というのはご自身の中にありますか? 歴代、澤穂希さんや宮間あやさんといった名キャプテンがいましたが。
熊谷 澤さんと宮間さんって、全然違ったタイプのキャプテンで。澤さんは、ピッチの上で「私についてきて」っていうカリスマタイプでした。あやさんは、プレーでも引っ張ってくれるんですけど、同時に周りに対しても常に目を配ってくれていたんですね。それぞれにすごさがありました。
でも、私はどう頑張っても澤さんにも、あやさんにもなれない。だから、熊谷だからついていける、ついていきたいっていう、下の世代のコたちがチームメイトとして慕ってくれるような、そんなキャプテンでいたいです。
中川 今大会のメンバーは、W杯に初めて挑むメンバーも多く、全体的にフレッシュな印象があります。
熊谷 私たち選手は選ばれる側なので、選ばれた以上、ピッチで答えを出すしかないです。それと、ここまで長い間一緒に戦ってきてくれた人たちの思いもすごく感じるし、むしろそれを背負うべきだと思います。
チームとしては、確かに全体的に若いですね。私ひとりでガーンと平均年齢を上げているんじゃないかって(笑)。でも、ひとたびピッチの上に立てば、年齢なんて関係ないですからね。ただ、自分には経験があるので、W杯未経験者や若いコたちのことは、メンタル面でも支えられるかなと思っています。
中川 少し前に岩渕真奈選手とお話しする機会があって、11年の優勝メンバーを振り返ってもらったんですけど、当時はベテランと中堅、若手が満遍なくそろっていたと。
でも、最近のなでしこジャパンは中堅がおらず、ベテランと若手の年齢差がかなりあるとのことでした。そのギャップを埋めるために相応のコミュニケーション上の工夫が必要なのかなと思ったのですが......。
熊谷 確かに、ジェネレーションギャップを感じるときはあります。私は32歳、一番年下の選手は19歳ですからね(笑)。
振り返ってみると、11年は岩渕と私が一番下の世代。4年たった15年のW杯でも、チームの平均年齢は上がったけど岩渕と私たちが一番下であるのは変わらなくて。それが16年から17年に、私たちふたりが中堅を飛び越えていきなり一番上に行った感がありました。いざ、チームをつくるとなったときに、もがいた記憶もあって。
こういう言い方をするとトシだって思われそうですけど(笑)、本当に若いコたちが何考えているかわからない、ぶつかり合い方がわからなかったんです。19年のW杯は、大会中にようやく腹を割ってチームで話せるようになって、もっと早くにそういうふうになれればよかったって、悔やんだことをよく覚えています。
中川 今は、熊谷選手がキャプテンとして目指す、本音でぶつかり合えるチームになりつつありますか?
熊谷 そうですね。私も、基本的には上の世代、下の世代ともけっこう話せるタイプだと自負していますし、コミュニケーションは取れているほうだと思います。
一番下の世代、石川璃音(三菱重工浦和)や浜野まいか(ハンマルビー)、藤野あおば(日テレ東京V)。みんな19、20歳ですけど、私のことは怖いとか、全然しゃべれないってことはないと思います。もしかしたら、うるさいおばさんだって若干思われているかもしれないけど(笑)。
中川 そんなことはないと思いますよ!(笑)
■11年から15年は、完全に〝ブーム〟だった
中川 今大会はオーストラリアとニュージーランドの共催。グループステージ2戦目以降は、昨年のサッカー男子W杯カタール大会を彷彿(ほうふつ)とさせる、コスタリカ(7月26日)、スペイン(7月31日)が相手です。
決勝トーナメントに進出すれば、ノルウェーやアメリカといった強豪国と戦うことも十二分に予想されます。池田監督率いるこのチームのコンセプトは、どんなものなんでしょう。
熊谷 ボールを奪う、ゴールを奪うということをコンセプトにずっとやってきたので、アグレッシブにハイプレスでいくことは大前提ですね。となれば、自分たちがものすごく運動量をもって攻守両面でアクションすることが当然大事です。
同時に、その時々で柔軟に判断し、プレーもしないといけない。ただやみくもにハイプレスをかけても無意味になるでしょう。しっかりとした共通認識、ゲームコントロールが必要になってくると思います。
中川 大会を勝ち上がっていく上で、日本の強みでもある組織力をどんどん高めるというのも大事になりますか?
熊谷 ええ、やっぱり大会の中で着実に成長していくチームが優勝できるのかなと思います。自信も深まるので。とはいえ、結果が伴わないとダメですよね。ただ成長できて、自信が深まってよかったね、では済まされないので。とにかく、結果ありきです。結果だけを求めてやっていきたいです。
中川 知人のなでしこジャパン総務スタッフの方から常々聞いている印象的な言葉として、「男子のSAMURAI BLUEのように、なでしこを背負う価値をもっと高めたい」というものがあります。熊谷選手はどう思われますか?
熊谷 前々から私自身が訴えてきたのは、女子サッカー選手が夢のある職業、子供たちに将来の夢とされるようなポジションに、もっともっとなってほしいということなんです。
子供たちがなでしこジャパンのユニフォームに袖を通すことが憧れとなるように、私たち着ている側は責任を持って戦わないといけない。先ほどの言葉にあったように、なでしこのユニフォームを着ることの価値を高めていかなければならないです。
世界的に女子サッカーの人気は上がってきているし、女性の社会進出も目覚ましいものがありますけど、じゃあ、日本はどうかというと、やっぱりまだまだ男子サッカーのほうが、圧倒的に注目度が高いのが現実です。女子サッカーの魅力を伝えて支持を増やすために、私たち代表チームが結果を残さないといけない。
中川 以前、宮間さんは現役時代に、「なでしこジャパンをブームではなく、文化にしたい」という言葉を残しました。11年の優勝からずっと当事者としてただ中にいた熊谷選手からすると、現状に対するもどかしさはあるんでしょうか?
熊谷 正直に言うと、あの当時は完全にブームで終わってしまったと感じています。11年のW杯での優勝、12年のロンドン五輪では銀メダル。15年のW杯でも、優勝こそ逃したけど銀メダルを獲れました。本当に、多くの人たちに見てもらっているという実感がありました。でも、ピークはその頃までというか。
ブームを文化に......本当にそのとおりなんですけど、例えばサッカーが文化になっているドイツの状況を例に出すと、これってとても難しいことで。
私が長くいたフランクフルトでは、その子供のお父さん、おじいちゃんがフランクフルトのファンで、家族で生粋のファン。小さい頃からスタジアムに連れていってもらって、そこから一生ファンになるわけです。それが文化なのかなって考えたときに、これを新しいものでやるのは相当難しいぞという思いはやっぱりあります。
だからこそ、ここ(着ているユニフォームを指さし)の出す結果が何よりも大切になってくる。あの頃......11年から15年のなでしこは、勝つことで人々の注目や熱狂を集めていたと思うから。
中川 あらためて今大会に向けての意気込みを聞かせてください。
熊谷 チームとしては、当然優勝を目指します。優勝を目指さないチームは優勝できないものなので。運でも勢いでも、なんでもいい。とにかく、優勝を狙いにいく。
正直、今大会の私たち日本代表に対する世間の期待は、それほど高くはないでしょう。世界的にもそうだと思います。だからこそ、サプライズを起こしたい。いい意味で裏切りたいですよね。
私たちにはそれを成し遂げられるだけのポテンシャルがあると思います。上に行けば行くほど注目度は増すし、多くの人たちに見てもらえる機会が増えます。今の私たちにはそれが絶対的に必要なんです。
中川 個人としてはいかがでしょう?
熊谷 大会が終わったときに、自分のすべてを出し切ったと思えるようにしたいです。悔いを残さないように、とにかくすべてを出し切りたいですね。
●熊谷紗希(くまがい・さき)
1990年10月17日生まれ、北海道出身。身長173㎝。常盤木学園高校2年次に日本代表初選出。2011年にW杯初優勝。同年、当時の浦和レッズレディースから独の1.FFCフランクフルトに移籍。13年に仏の強豪オリンピック・リヨンへ加入、UEFA女子チャンピオンズリーグ5連覇の原動力に。来季から伊のASローマでプレー。代表では17年から主将を務め、2度目のW杯優勝を目指す。
●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。『Jリーグタイム』(NHK BS1)キャスター、FIFAワールドカップカタール2022のABEMAスタジオ進行を歴任。2023WBC日本代表戦全試合を中継するPrime VideoではMCを務めた。6月より『情報7daysニュースキャスター』(毎週土曜22:00~)の天気キャスターに就任。TOKYO FM『THE TRAD』(毎週月~金曜)の水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週水曜21:30~)のメインパーソナリティを担当。
スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/川上優香(中川) 衣装協力/MIDDLA HIMIKO Good Morning JEWELRY chabi jewelry